2017年2月28日 (火)

奏でる人々(4)ウユニ塩湖(ボリビア)

ウユニ塩湖ツアーで立ち寄る、塩のホテル「プラヤ・ブランカ」。そこに現れた笛と太鼓の楽団。笛はおそらく、アンデスの民俗楽器、サンポーニャ。衣装も民俗衣装風。
Zamponas_and_drums_in_salar_de_uyun
ウユニ塩湖とサンポーニャ

おっ、と思ったが演奏は残念な感じ。チップを出す気などさらさらしないレベル。先方もそれをわかっているのか、現れて立ち止まって演奏するだけで、こちらへアピールしてくる感もない。観光客が来るのを待って演奏しているのだと思うのだが。

太鼓に書かれた文字「Aymarpacha」で検索すると、youtubeやfacebookで演奏の動画がヒットする。こちらはまともな演奏・・・これを現地で聞きたかった。

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2017年2月25日 (土)

奏でる人々(3)バクタプル(ネパール)

バクタプルのトウマディ広場は、様々な人が行きかい、ぼーっと人間観察しているだけで飽きない場所。そんな広場を、打楽器を打ち鳴らしながら歩いてくる一団が。
Music_instruments_in_bhaktapur
トウマディ広場を行く【バクタプル】

太鼓(ドールというものか)とシンバル状のものを鳴らし、通り去って行った。なぜかヤギを連れていた。

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2017年2月22日 (水)

奏でる人々(2)ダデス峡谷(モロッコ)

マラケシュ発の現地ツアーで利用したダデス峡谷入り口近くのホテル。夕食後に休憩室のようなスペースで、ベルベル人従業員による楽器の演奏が始まった。
Hotel_in_gorges_du_dades_morocco
ダデス峡谷近くのホテルにて

タンバリンのようなもの、ギターのようなもの、太鼓のようなもの。手拍子も含めて民族音楽を奏でるちょっとしたショー。いいサービスだったのだが、睡魔に負けるのであった。

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2017年2月19日 (日)

奏でる人々(1)メロウェ(スーダン)

スーダンのメロウェで宿泊したホテルでは、大晦日(この日はスーダン独立記念日の前夜でもある)に泊まったこともあって、ちょっとしたコンサートが催されていた。宿泊客向けというより、地元の人々向けという風情。

男性ダンサーが躍るパートでは太鼓と、あまり見たことのない、竪琴のような楽器が伴奏に使われていて、興味深かった。
Harp_and_drums_at_merowe
スーダンの竪琴と太鼓【メロウェ】

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2017年2月16日 (木)

世界の高速列車(14)イギリスのジャベリン

英仏海峡トンネルと合わせて、ロンドンからトンネルの間にも高速新線が整備された。そしてその区間にはロンドンとパリなど欧州大陸との間を結ぶユーロスターと合わせ、イギリス国内を走るローカルな高速列車も運行されることとなった。それが「ジャベリン」である。車両は日本の日立製。新幹線の親戚筋と言えなくもないか。
Javelin_at_canterbury_west
ジャベリン【カンタベリー・ウエスト駅】

高速列車ではあるが、どことなくローカルな近郊列車の風情もある。
Javelin_inside
ジャベリン車内

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2017年2月13日 (月)

世界の高速列車(13)日本の新幹線(E5系)

現在、最も速い(営業している)鉄道は、文句なく最高時速431km/hの上海のリニアモーターカーであろう。次いで最高時速320km/hのフランスTGV、ドイツICE、そして日本の新幹線であろう。

新幹線の中でも320km/hで走るのは、東北新幹線のみ。東京から東北を経由して函館まで向かう「はやぶさ」が、宇都宮~盛岡間のみであるが、日本最速のスピードで走る。
Hayabusa_1
東北新幹線E5系「はやぶさ」【東京駅】

Hayabusa_2
E5系普通車車内

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2017年2月10日 (金)

世界の高速列車(12)日本の新幹線(N700系)

1964年、世界に先駆けて最高時速200㎞以上で走る高速列車として開通した新幹線。早いだけでなく、16両編成の列車が最短3分間隔で走る輸送力の大きさも特筆もの。
N700
東海道・山陽新幹線の主力N700系

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2017年2月 7日 (火)

世界の高速列車(11)スウェーデンのX2000

かつて鉄道車両メーカーとして「ビッグ3」と呼ばれたのは、フランスのアルストム、ドイツのシーメンス、そして本社がカナダにあるボンバルディアである。高速列車としてはアルストムにはTGV(そして旧フィアット社のペンドリーノ)が、シーメンスにはICEがある。ではボンバルディアはどうか。

スウェーデンの高速列車、X2000(現在はSJ2000と呼ぶようだが)で使われてきた車両X2系は、スイス・スウェーデンの企業ABB社により開発され、その鉄道部門がダイムラーグループの鉄道部門とくっついて「アドトランツ」という名となり、それがさらにボンバルディアに買収された。ということで、X2000はボンバルディアの高速列車車両、と位置付けてよいのではないか。
X2000_at_goteborg
イェーテボリ駅のX2000

現在、ボンバルディアは「ゼフィロ」というブランドで高速列車を開発、イタリアや中国でその車両が走っているもよう。

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2017年2月 4日 (土)

世界の高速列車(10)スペインのAVE(S103)

フランスのTGV、イタリアのペンドリーノ他、日本の新幹線と並ぶ、世界の高速列車の最大勢力の一つがドイツ・シーメンス社のヴェラーロである。ドイツのICE3がベースとなっており、その最初のバージョンがスペインの高速列車AVEに使われるS103である。
Ave_103_at_barcelona
出発を待つS103【バルセロナ・サンツ駅】

実際に乗ったのはバルセロナからタラゴナまで30分の短い区間だったが、早くて快適だった。
Inside_ave_103
S103車内

ヴェラーロはその後、ロシア、中国、トルコ、さらにはユーロスター用にも輸出されている。

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2017年2月 1日 (水)

世界の高速列車(9)フィンランドのペンドリーノ

イタリア製高速列車のペンドリーノは、カーブを高速で曲がれる性能を持ち、高速新線を整備せず、在来線を走っても高速性能を発揮できることから、様々な国に輸出されている。

北欧・フィンランドでもペンドリーノは走っている。首都ヘルシンキからトゥルクまで、2時間弱。
Pendolino_at_the_turku_station
トゥルク駅に停車するペンドリーノ

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2017年1月29日 (日)

世界の高速列車(8)イタリアのペンドリーノ(ETR480)

ペンドリーノは、イタリア・フィアット社(現在はアルストム社に吸収合併されている)による高速列車用車両。カーブを高速で曲がるため車体傾斜式車両となっているのが特徴で、山がちのイタリアで、高速新線を整備せず、在来線でも高速で走るために開発された。
Etr480_at_caserta_station
ETR480【カゼルタ駅】

列車の種別というか愛称としては、前回紹介したのと同じ「エウロスター・イタリア」(のイタリア語読み)だった。なお、前回紹介したETR500は高速新線を走る前提で、車体傾斜装置が装備されていないため、「ペンドリーノ」とは呼ばれない。

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2017年1月26日 (木)

夜の街を(38)ラホール(パキスタン)

パキスタンの幹線道路には電灯がない。だから車のヘッドライトがなければ真っ暗である。日中は霧に包まれ、夜は明かりがなく、どちらも暗い。

大都市ラホールの「フード・ストリート」と呼ばれる商店街も街灯は少ない。が、店先の明かりが、ストリート全体を照らし出す。
Night_at_food_street_in_lahore
ラホールのフード・ストリート

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2017年1月23日 (月)

世界の夜明け(17)パキスタン ラホール

シンド州からパンジャーブ州を走り抜けた今回のパキスタン旅行。どこに行っても霧ともや。特に朝と夕方は。

ということで、夜明けからだいぶ時間がたっても、朝日は弱弱しいまま。それはそれで美しいものであった。
Sunrise_at_badshahi_mosque
朝もやの中、バードシャーヒー・モスクのミナレットが浮かび上がる【ラホール】

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2017年1月20日 (金)

旅の飲み物(30)パキスタンのチャーエ

他の南アジア諸国と同様、パキスタンも飲み物といえばミルクティである。チャーエと呼ばれる。隣国インドではスパイスが入っていることが多いような気がするが、今回のパキスタン旅行では一度もスパイス入りはなかった。たいていはミルクと砂糖と紅茶であった。甘く優しい味わいは、辛い食事で刺激された口の中を優しく癒してくれた。

また、たいていは鍋にかけたミルクに茶葉と砂糖をぶち込んで、それを煮立てて作っていた。ただし、ミルクに水が混ざっている可能性はある。
Chae_in_punjab_pakistan
この店はやけに丁寧に淹れていた。そしてうまかった。【ハラッパーとラホールの間の道路沿いの茶屋】

チャーエのほか、緑茶もよく出てきた。もちろん甘かった。時にはレモンでも入れているのか、甘酸っぱかった。

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2017年1月17日 (火)

パキスタン旅行(5)ケウラ、イスラマバード

1月2日
6時半モーニングコール。朝食はいつものごとくカレーにソルティ・ラッシー、地元のスイーツ(「ハルワ」と総称される)など。8時10分ツアー出発。カラチとイスラマバードを結ぶスーパー・ハイウェイへ。沿道にはサトウキビ、麦、稲、菜の花に加え、オレンジの果樹が。時々「Speed thrills but kills」といった交通安全の標語みたいのが掲示されていて面白い。効果のほどは怪しいものであるが。

8時45分頃、10時45分頃とトイレ休憩。後者はケンタッキーやサブウェイも入る近代的なサービスエリア。ここのチャーエは紙コップにティーバッグを入れたものにミルクを注いで、自分で砂糖を入れる。なんとなくミルクが薄い気がする。水が入っているのであろう。

11時50分頃、ケウラの塩鉱山に到着。まずは昼食。チキンの「ハンディ」という小さな鍋料理に、ダール(豆)のカレーなど。そして1時間ほどしていよいよ鉱山に入っていくトロッコ列車に乗車。鉱山内はLED風の電飾で飾られている。7分ほどで下車。ここはアレキサンダー大王遠征の際に馬が地面をなめていたので岩塩があると分かったという伝説のあるところ。実際にはムガル朝期に始まり、現在に至るまで岩塩を産出。世界第二位、現役では第一位の塩鉱山とのこと。

岩塩はマグネシウムを多く含むものは白っぽく、鉄を含むものは赤っぽくなり、地層のような模様を描いている。また、地下水が染み出た部分は塩がツララ状に固まったり、壁や天井、床を白い塊で覆ったりしている。

広い坑道を歩く。掘りぬいた後に水がプール状にたまっているところをライトアップしていたりして幻想的。さらに塩のブロックで作ったモスクも。鉱山労働者のために作られたものだそう。さらには現在パキスタン人は入れないという「クリスタル・パレス」に入れてもらう。天井や壁に塩の結晶が大量に浮かび上がり、輝いている。さらに「鏡の宮殿」へ。こちらは壁がツルツル。
Khewra_salt_mine
ケウラ塩鉱山内部

14時ごろ、再びトロッコ列車に乗って、外へ。ちょっとバスで移動して、岩塩でできたランプシェードなどを売る土産屋街へ。いい感じの山中の田舎町の風情。ミルクをタンクに入れてバイクが各戸に配送していた。

14時40分頃、バスで出発。岩塩のブロックを積んだトラクターと何度もすれ違う。そして再び「スーパー・ハイウェイ」へ。峠を越え山間部になってきた。周囲は農地から未利用地へ変貌。

17時35分、パキスタンの首都、イスラマバードに到着。スーパーで買い物した後、夕食会場へ。パキスタン最後の晩餐はペシャワール料理。ひき肉を円柱状に丸めたもの(コフタないしキョフテ?)や、チキンのカレー、それにプラウ。それに甘くない緑茶。

19時半頃出発して約30分で空港に到着。メッカ巡礼のシーズンで、サウジアラビア行きのフライトが近いことから、空港内外は大混雑。セキュリティ・エリアにたどり着くまで80分ほどかかる。巡礼用の白装束に身を包んだ人をたくさん見かける。さすが信心深いようで、エリア内のモスクも人がいっぱい。

そして24時少し前のタイ国際航空で、一路バンコクへ。

1月3日
4時間15分ほどのフライトで、6時10分にバンコク・スワンナプーム空港に着陸。こちらもセキュリティ・チェックで大行列。それでも何とか間に合って8時半過ぎのタイ国際航空に搭乗。エアバス380だった。そして成田も混雑しているとのことで上空で待機させられたがバンコクから5時間40分ほどで到着。

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2017年1月14日 (土)

パキスタン旅行(4)ラホール

2017年1月1日
6時15分モーニングコール。なんとなく腹の調子がいまいち。朝食はおかゆ(オートミールか)など控えめに。7時50分ツアー出発。15分ほどでバードシャーヒー・モスクへ。ムガル帝国の第六代皇帝アウラングゼーブにより1674年に建造。ペルシャ風の庭園を横目に中へ。中庭は一辺160m、ミナレットは高さ50mで、まずはでかい。3つの大ドームに4つのミナレットと、デリーの金曜モスク(ジャマー・マスジッド、こちらは第五代皇帝シャー・ジャハーンによる建造)に形は似ているが、こちらのほうが断然大きく感じる。収容人員はパキスタン第二、世界でも第七位とか。
Badshahi_mosque_in_lahore
朝もやに包まれるバードシャーヒー・モスク【ラホール】

建物の内部へ。大理石を彫り込んだり、彩色して描いたりしてアラベスク模様が満ちていて、シンメトリーな構成とも相まって、どこからどこを撮っても絵になる。朝日の差し込み方まで芸術的に見える。素晴らしい。1時間ほど堪能。

その後、隣のラホール・フォートへ。こちらは最初の建造期は11世紀だが、今に残るはムガル帝国期に建て直されたもの。シャー・バージ・ゲートから中へ。象嵌細工っぽいのもみえる。第三代皇帝アクバルの王座は地味。シャー・ジャハーン、そして第四代皇帝ジャハンギールの庭園や宮殿は豪華だったと思われるが、傷みがひどく、また落書きがひどい。なんとかならないものか。「シーシュ・マハル」は「鏡の宮殿」とも言われ、イランにある聖者廟のように内部の天井や壁が小さな鏡で埋め尽くされ、輝く。同じ中庭に面する「ナウラカー」は大理石でできた小館で、柱の造形や象嵌細工が美しい。そして「象の通り道」を通って場外へ。

10時15分頃にバスに乗って10分ほどでラホール博物館へ。切符購入に10分ほどかかった後、入場。まずはガンダーラ美術。仏陀の前世、仏陀の生涯などを描いた彫刻や仏像など。有名な「断食をするシッダールタ」像は断食でやせ細った姿がリアルすぎて気持ち悪いほど。そのほかにヒンズー教やジャイナ教の像、パキスタン独立の歴史に関する写真、ビルマ(と表記)、ネパール、チベットの仏教関係の展示、細密画など雑多な展示。アフリカン・アートまである。

12時頃出て昼食会場へ。ファーストフード店を貸し切り。いつものように各種カレー。12時50分頃出発して20分ほどでシャリマール庭園へ。シャー・ジャハーンにより1642年に建造された、十字に水路が走るペルシャ式庭園。三段のテラスそれぞれが庭園になっていて、中央のテラスには池があり、噴水も(一部)吹き上げる。園内には木が生い茂り、地元の人々で賑わう。水は汚いし、枯れた水路もあるが。

14時15分に出て、1時間ほどかけてワガの国境に到着。バスを降りて簡単なボディチェックを受けた後、バスに再び乗り込んで駐車場へ。トイトレイン風のに乗ってスタジアムへ。ここはインド・パキスタンの国境で、毎日国境を閉鎖し、国旗を降納する儀式が行われるのだが、それを見るためにインド・パキスタンの双方に観覧席が設けられているのである。15時半頃入ると、すでにスタジアム内は大音量で愛国心をあおる歌が流れ、民間ボランティアの男性が片足で旋回舞を踊り(ちなみにもう片足は義足であった)、やんやの喝さいを浴びている。ゲートを隔ててインド側にも同様のスタジアムが見えるが、こっちが大音量と大歓声に包まれているので、インド側がどうなっているのか把握できない。

16時、羽というか扇子のような飾りのついた帽子の警備兵が入場。盛り上がり、立ち上がる観客たち。国旗が振られ、こぶしが上がる。打ち鳴らされる太鼓、そして後ろの舞台のようなところで兵士姿および警備兵姿の二人の男が代わる代わる何やら朗誦(時にロング・トーンを見せつける)。それらにあわせて、警備兵は足を高く上げて歩を進める。応援団長みたいのがいて観客を煽り立てる。盛り上がりは最高潮になり、「パキスタン・ジンダバード(万歳)」などと声をそろえて叫ぶ。みればインド側でも色違いだが同じような制服の警備兵が同じような動きをしている。どうやら動きを合わせている。そして両国そろって国旗を降ろし、握手。後はそれぞれ国旗を畳んで事務所に運んでおしまい。応援合戦のようなものか。

国威発揚ということなのか、なんにせよイスラム教徒という以外に共通点のない多民族の人工国家(人工的ではない国家などないのだが)において、こういうことを毎日やって、あるいはこういうイベントに参加することで、国家とか国民とかそういうものを意識し、させる、そのための装置なのであろう。それはまた同時に一大エンターテインメントでもあった。式は30分で終わったが、駐車場まで写真を撮り撮られながらだらだら歩いて30分、さらに大渋滞の駐車場を抜けるまで15分。後はラホール市街へとひた走り、18時40分頃、スーパーでちょっと買い物。スーパーというより菓子屋に雑貨屋が付属したような感じだったが。

ホテルでトイレ休憩した後、ラホール博物館近くまで移動。そこから5、6分ほど歩いて「フード・ストリート」とも呼ばれる商店街へ。その中の食堂へ。店の前で調理していて、鉄板の上でタカタカとリズミカルな音を立てながら包丁を打っている。贓物を鉄板の上で刻みながら焼く「タカータク」という名物。注文に時間がかかるということで、いったん店を出て10分ほど商店街を歩く。なかなかの活気。料理は「タカータク」として、ヤギの睾丸のカレー、それに羊の脳みそのカレーが登場。ラホール料理は本来はパキスタンの中でも激辛で有名らしいが、ガイドが日本人客向けに一番辛くなくしてくれと頼んだとのことで、あまり印象に残らない味。緑茶はレモンが入っているのか、甘酸っぱかった。

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2017年1月11日 (水)

パキスタン旅行(3)ムルタン、ハラッパー

12月31日
6時にモーニングコール。だんだん遅くなる。朝食はホテルのビュッフェ。それほど辛くない。機械で自分で入れるエスプレッソはまずいの一言。部屋に戻る。やや下痢気味。このホテルも7、8人ほどのライフルを持ったガードマンに守られ、車止めも完備。車が中に入るだけでも大変。

7時40分にツアー出発。寒い。そして今日も霧。5分ほどでシャー・ルクネ・アーラムへ。14世紀にたてられたダルガー(聖者廟)で、高さ33mとでかい。こちらは昨日のダルガーと異なり現役の聖地。中へ入ると大きな墓があり、その周りに聖者にあやかってつくられた「あやかりの墓」が並ぶ。「結婚したい」「子供がほしい」といった願いごとをしに人々が訪れるという。中にはミフラーブもあった。入り口近くでビニール袋に詰めた花びらを売っている・・・と思ったらただとのこと。ありがたくいただいて墓の上にまいて、地元の人をまねて頭をつけてみる。触るとご利益があるらしい。日本風に言えばパワー・スポット。スーフィズムの聖者廟はシーア派、スンニ派に関係なく礼拝の対象になっているという。

8時半に出発し、20分ほどでガソリンスタンドでトイレ休憩。囚人の護送車がやってきた。カメラを向ける日本人。柵をつかみ手を振る囚人たち。なんなんだこの光景は。ここパンジャーブ州はイギリス植民地時代に灌漑が整備されて一大穀倉地帯になっており、走っていると何度もまっすぐな水路というか運河を橋で渡る。菜の花畑が多いが食用油は主に菜種とのこと。レンガ工場なのか、煙を上げるずんぐりむっくりな煙突もよくみる。

10時半に再びトイレ休憩。いい感じの茶屋があるのでチャーエを頼もうとしたら・・・結局ガイドが全員におごってくれることになった。地元の牛乳を使い、トラック・ドライバーにも評判の店とのこと。確かにうまい。そして温まる。

再び出発。11時25分に踏み切りでストップ。せっかくなのでバスを降りましょうということになり、地元の踏み切り待ちの人々とともに列車の通過を待つ。ちょっとしたことでもイベントに仕立ててしまう。うまい。はたして約10分後、霧を突いて旅客列車が通過。

11時50分、ハラッパーに到着。インダス文明の遺跡。まずはハラッパー博物館へ。コート・ディジなどインダス文明期より前の遺跡のものも含め、雑多に展示。モヘンジョダロの博物館のほうが充実しており、ガイドの説明にも力が入らない。こちらの見ものは男性と女性一体ずつの人骨。女性のほうは腕輪をしている。一体どんな人物だったのだろうか。石の重りも展示。河川を通してモヘンジョダロ、それにバーレーン、さらにはメソポタミアと交易(物々交換)していたらしい。ただし、メソポタミアとはイラン高原を行く隊商ルートがあったとの説もあるそう。文字が解読されていないインダス文明は謎が多く、興味が尽きない。

12時20分頃に遺跡へ。我々にだけ、ライフルを持った警備員が付き添う(ローカルの観光客にはつかない)。まずは城塞地区。井戸や下水、土器の工房、印章の工房など。さらには穀物倉庫、それにレンガを焼いた窯など。19世紀の鉄道建設の際にレンガが掘り出されて線路の敷石代わりに使われてしまい、相当破壊されているといい、大変に残念。それでも遺跡全体の1~2割しか発掘されていないそうなので、今後の発掘・研究がまたれる。一方で、土器のかけらなどが地面に散在し、観光客が拾い放題。もう少しきちんと保護できないものか。
Harappa
散々破壊され、そして復元されているので、どこが本物かよくわからない【ハラッパー】

13時20分に出て、30分ほど走って食堂のある近代的なビルへ。何やら音楽が鳴り、人だかりができている。それを大型のテレビカメラが数台取り囲み、それにドローンまで飛んでいる。民族衣装風の楽隊がバグパイプとブラスバンドの小太鼓みたいなものを打ち鳴らす。お札が空へと撒かれ、男たちがそれをつかもうと手を伸ばす。どうやら、結婚式の儀式の一つで、新郎が新婦を迎え、親戚一同が集まる儀式「バラート」が行われるよう。花で飾った車も停まっている。我々の昼食はそれとは別会場で、チキンや豆のカレー、それに焼きそば(チョウミンのことか。そばというよりうどん風)。

15時過ぎに出発。1時間ほどでロードサイドの茶屋へ。地元の牛乳を使い、トラックドライバーに評判のチャーエの店。店の主人が、茶葉や砂糖を測りながら鍋に投入。そこから茶漉しに通しながら一杯一杯丁寧に注いでいく。その仕事ぶりを見ているだけでほれぼれする。そして、もちろん、甘くおいしい。

16時半に出発。パキスタンで人口第二の都市にして、パンジャーブ州の州都ラホールへと向かう。だんだん車の量が増えてきて、ついには渋滞に。サイズもスピードも違う車やバイクやトラクターが「ひしめく」という表現がぴったり。クラクションを鳴らしあい、隙あらばそこに突っ込んでくる。

19時半にラホールの高級ホテルに到着。こちらも入ると良い香り。そしてウェルカム・ドリンク(ザクロ・ジュースか)。ドアマンは先ほどの楽隊、さらにはムルタンのホテルのドアマンと同様に、大きな羽か扇子のようなものがついた帽子をかぶっている。パンジャーブの民族衣装なのだあろうか。このホテルでも「バラート」の儀式が行われ、セレブな感じの人々が三々五々集まる。特に女性たちの華やかないでたちに目を奪われる。ホテルのスタッフが写真をとっていいよと言って、儀式というかパーティ会場の入口に案内。花嫁らしき女性を説得してくれた。最初は嫌がっていたようで、申し訳ない。

夕食はホテルのルーフトップ・ガーデンで。焚火が燃え盛り、中東風の音楽が大音量で流れ、地元テレビ局の取材まで。雰囲気は大変セレブだが、食事は「スズメ」と説明された小鳥の肉(日本でいうところのスズメなのかどうかは不明)が珍しかったものの、あとはカレーもプラウも辛いだけで特にうまくもない。添乗員の持ち込んだカップそばが一番うまかった。

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2017年1月 8日 (日)

パキスタン旅行(2)サッカル、ウチュ

12月30日
5時にモーニングコール。今日も早い。朝食はパン、オムレツにおかゆ、みそ汁。チャーエは添乗員の配慮で砂糖なしで出てきた。せっかくなのでそのままいただく。甘くなくても、うまい。6時半ごろ出発。朝もやの中にナツメヤシの木の影が浮かび、幻想的。バスに揺られながら小刻みに夢を見る。夢か現か幻か。

7時10分にコート・ディジ・フォートに到着。鍵を持つ管理人が着くまで15分待つ。周囲にはスンニ派とシーア派のモスクがそれぞれあり、どちらかわからないが説教の声が聞こえる。時々、唄うような調子になる。門が開き、場内へ。タルプール(Talpur)藩王国の創始者であるソーラブ・ハーン(Mir Sohrab Khan、Mirは王などの称号)が18世紀に建てた砦というか城。レンガが積み上げられて城の形になっている。レンガでできたというかレンガが表面に出たままの城というのはたぶん見たことがなかったので、なんというかブロックで作った城のようで(しかも巨大)、壮観。眼下に広がる朝もやに煙るまち、そして朝日も美しい。

8時半ごろ、バスにて出発。ナツメヤシ畑を車窓に眺める。9時10分頃、ナツメヤシの実(デーツ)の土産屋が数軒並ぶところで買い物ストップ。種の代わりにアーモンドが入っているものをひと箱買ったところ、店のおやじが「俺からのギフトだ」と、普通のデーツを箱から取り出して小さな袋に入れてくれた。さらにフルーツケーキのようなものも「食わないか」といってくれた。やけに愛想がいい。ぼったくられた風でもなかったが。

9時半に再び出発。せっかく現地の日本語ガイドがパキスタンの歴史を熱く説明してくれたのに、眠気に勝てず、つい寝てしまう。その罰が当たったのか、首が痛くなった。1時間後にトイレ休憩。ドライバーは走り屋なのかよく攻める。トラックやら何やらで渋滞していたところでは、中央分離帯を乗り越え、反対車線に出て果敢に逆走。渋滞の起点にまで躍り出た。サトウキビを満載したトラクターが曲がり切れず、道をふさいでいた。

この辺りはサトウキビ畑が多く、また製糖工場があるとのことで、トラクター、ラクダ、ロバがサトウキビの束を引っ張っている姿をよく見かける。12時頃、シンド州とパンジャーブ州の境界を超える。検問があり、本当は乗客・乗員全員の身分証チェックなどが必要なようだが、ツアー会社が準備していた乗客名簿を見せるだけで通過できた模様。

13時頃、昼食ストップ。プラウ、チャパティ、レバーのカレー、豆のカレー、別の豆のカレー。食後の緑茶は甘い。厨房に見学に行くと写真大歓迎。我々は屋内で食べたが、屋外にも中東のベッド風の席が上がり、人々(イスラム圏ではよくある話だが外で飲み食いしているのは基本的には男性のみ)はそこに上がって胡坐をかいてくつろいでいる。停まっていたデコトラにガイドが交渉し、運転席に上がらせてくれた。中もデコレートされていた。

14時半頃出発。ドライバーは相変わらず攻める。一台の車を左右両側から二台の車が同時に抜き去ることも。それも二車線+側道という道路で、側道にはみ出て強引に走りながら抜く。バスは幹線道を離れ、農村地帯へ。そんな道でも渋滞を尻目に反対車線に突っ込んでまたも逆走。

16時頃、ウチュないしウチ・シャリフというまちに到着。草クリケットをやっている野原をガイドは構わず突っ切ろうとする。おいおい、と思っていたら、プレーをやめて笑顔でウェルカム。こちらがカメラを構えれば、バットを構えてポーズをとる。小高い丘を上がっていくと、崩れかかったレンガ造りの建物。イスラム教のスーフィズム(神秘主義)の聖者の孫娘の「ダルガー(廟)」、ビービー・ジャヴィンディン廟である。1492年建造。イランやウズベキスタンでよく見られる青いタイルが表面に使われていて美しい。さらに沈む夕日も美しい。一方、ここにいるガキどもはとてもすれていて、美しいとは言い難い。
Tomb_of_bibi_jawindi_in_uch
ウチュのビービー・ジャヴィンディ廟

16時半に出発。日が沈み、霧も濃くなって見通しが悪い。トイレ休憩をはさみつつ、20時20分頃、ムルタンに到着。ホテルは昨夜とうって変わってわりと豪華な外資系ホテル。アロマ・ディフューザーがロビーに設置され、ほのかに良い香り。夕食はここのレストランでマトンやダール(豆)のカレーなど。雰囲気にのまれていつもは警戒して食べない生野菜まで食べてしまった。

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2017年1月 5日 (木)

パキスタン旅行(1)モヘンジョダロ

2016年12月28日
スカイライナーで成田へ。今回は添乗員付きのツアーに参加。7時15分成田集合の早起きツアー。自分でチェックインして30分後に再集合。ここで、明日利用予定だったパキスタン国際航空の国内線が欠航になったと昨日になってわかったとの報告が。代わりにバスで8~9時間かけて移動に変更と。同航空は数週間前に事故を起こしており、事故機と同型の機材は運航禁止になっていたとのニュースが流れていたので、その余波と思われる。案の定の範疇。とは言え、旅行会社としてはドライバーや車の手配で大変であろう。逆に言えば、こういうことがあるからこそ、ツアーに参加する意味がある。

10時10分頃離陸のタイ国際航空で6時間半弱のフライトで14時半ごろにバンコク・スワンナプーム空港に着陸。安心・安定のTGクオリティの機内サービスであったが、なぜか座席がリクライニングせず、そのせいもありあまり眠れず。降機後、マッサージをと思ってインフォメーションに場所を尋ねると「ここから1km」とのご案内。広すぎる空港も考えもの。やっとたどり着いたと思ったら閉まっている。近くのインフォメーションで再度尋ねると、さらにその先にあるホテル内にあるという。ようやくたどり着いたマッサージは、割と痛めだが、まあよい。

19時半頃離陸のタイ国際航空に搭乗。今回はリクライニングして割とよく寝れた。4時間50分ほどのフライトで22時20分頃にパキスタンで人口最大の都市にしてシンド州の州都であるカラチのジンナー国際空港に着陸。南アジアのような、中東のような、そんな雰囲気。ツアーバスで30分ほどかけて移動し、24時15分にホテル着。割と立派なホテルに見えるが、室内のペットボトルの水はただのろ過水なので飲まないようにとの注意が。見掛け倒し系か。チェックイン、明日の説明などいろいろあって、部屋に入ったのは24時40分頃。さっさと寝たいところだが、外の車が割とうるさく、なかなか寝付けず。

12月29日
3時半にモーニングコール。シャワーは水のみ。ホテルで簡単な朝食をとった後、5時ごろにツアーバスが出発。パキスタン建国の父にして、初代総督であるムハンマド・アリー・ジンナーの墓「カーイデ・アーザム廟」を車窓に眺めてバスは首都・イスラマバードまで続く「スーパー・ハイウェイ」へ。まだ暗いうえに、朝霧が激しく、しかも街灯が一切ないのでよくわからないが、どうやら街を抜けて、大平原を走っているもよう。そして「スーパー・ハイウェイ」のわりに道が凸凹している。と思ったら、工事中のためのう回路であった。

6時半ごろ、ガソリンスタンドでトイレ休憩。トイレは建設途上で照明がなく、真っ暗。早速ヘッドライトを使用。どうやらモスクが併設されていて、そのトイレのよう。その後もガソリンスタンドにモスクが付設されていることが多かった。客寄せに有効なツールなのだろう。

日が昇ってきた。周りは砂漠のような感じ。ゴテゴテに飾ったデコトラをたくさんみかける。7時50分頃、再び休憩。デコトラを撮りまくり。9時50分頃、再び休憩。イラン風というか中東風のベッドのような台に上がって座り込む形式の喫茶店が屋外に。明るくなってきたものの霧が濃い。周辺は農村になってきていて、ヤギ、牛、水牛をよく見る。ロバやラクダの姿も。12時頃再びトイレ休憩。暑くなってきた。

その後、ハイウェイを降りて、農村地帯の中の道へ。水牛が小川で水浴びさせられていたりする、のどかな道。しかし途中で渋滞に。農村の中の中心部みたいな集落で、トラクターやらトラックやらバスやら自家用車やらバイクやら、さらには歩行者でカオス状態。警官もやってきた。どうやら、この道は工事中で先には進めないらしい。ということで、12時40分頃、Uターン。

14時頃にモヘンジョダロに到着。まずは昼食。食後に中庭にある屋外喫茶でチャーエ(ミルクティ)を。ミルクに茶葉と砂糖を入れて煮出すスタイル。インドなどと違ってスパイスはなし。甘く優しい。

14時50分頃、モヘンジョダロ博物館へ。世界四大文明の一つ、インダス文明の時代の、またそれよりもさらに古い時代の石器時代などの発掘物を展示。有名な神官像はレプリカだが。牛や一角獣の姿、それにいまだ解読されていない文字が刻印された印章が興味深い。

15時45分頃、いよいよ遺跡の中へ。まずは「城塞部」。2~3世紀ごろの仏教遺跡のストゥーパのふもとに、紀元前2600~1700年ごろに栄えたといわれるインダス文明期のレンガの建物・街並みが広がる。レンガは日干し煉瓦だけではなく焼成レンガも使われているという。沐浴場はきれいに形が残り(あるいは復元され?)、あちこちに排水路が張り巡らされている。続いて市街地跡へ。家々の区画がわかるほか、高い円筒形の柱があちこちで目に付く。これは井戸で、2階から直接井戸水を利用できたという。Moenjo_daro
レンガを積み上げてつくられた街の跡が残る【モヘンジョダロ・城塞部】

レンガの街並みの跡が広がる、素晴らしい遺跡。そしてこの後の観光地でも同様だったが、地元の人々にやたらとセルフィを一緒に撮ってくれと頼まれる。外国人が珍しいということか。確かに、ここに限らず、我々のグループのほかに外国人を見ることはほとんどなかった(ワガの国境やホテルの中では中国人らしき人々は見かけたが)。それにしてもスマホとは偉大な発明なのだと感じ入る。また握手を求められることも多かった。握手した後、胸に手を持っていく仕草は、南アジアに共通のものだろうか。なお、たいていは中国人と思われていたようだった。

17時半頃、バスで出発。30分ほど走り、インダス川に架かる橋で写真ストップ。もう日は落ちて、だいぶ薄暗かったが。そして18時50分頃、サッカルのロードサイドにあるホテルに到着。ライフルを持ったガードマンが7、8人がたむろ。フロントは小ぎれいで、ウェルカムドリンクとして冷えた缶コーラも。しかし部屋の中は古さを隠せない。もっともツアー会社から散々、期待するなと言い含められていたので、想定の範囲内。出ないと言われていたお湯も出た。

夕食はホテルの食堂で。ナン、プラウ(スパイス入りの炊き込みごはん)、魚のフライ(これは美味)、そしてシーフ・カバーブ(いわゆるシシカバブ、クセのある辛さ)。食後の緑茶は残念ながらティーバッグ。

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2017年1月 2日 (月)

世界の高速列車(7)イタリアのエウロスター・イタリア(ETR500)

高速列車というと、日本の新幹線、フランスのTGV、そしてドイツのICEが有名なところだが、イタリアのETR500と呼ばれる車両も1990年代からすでに最高時速300km/hで走っていた。
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ユーロスター・イタリアETR500【フィレンツェ】

実はイタリアの高速列車は「Eurostar」(エウロスター、エウロスタル)という名前だった。しかし、英仏間を結ぶ高速列車が同じ名を名乗り、すっかりそちらのほうが有名になってしまった。イタリアのほうは「エウロスター・イタリア」の名称でしばらく走っていたが、もうこの名称は使われていないようだ。
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ETR500車内

ETR500を開発したフィアットの鉄道車両部門は、今やフランスのアルストム社に買収されてしまった。技術力は高いはずなのに、微妙に影が薄い。それがイタリアの高速列車。

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