2019年2月19日 (火)

旅の飲み物(37)チュニジアのカプサンとディレクト

チュニジアではオスマン・トルコ治世のころにコーヒーが導入されたそうで、その後のフランスの植民地時代に今度はフランス風のコーヒー文化が流入したのか、コーヒーをよく飲む。人がいるところには必ずカフェがあり、ミントティと共にコーヒーが供される。トルコ・コーヒーが用意されている場合もあるが、ないところもある。
必ずあるのはエスプレッソの設備である。そしてよく飲まれるのがエスプレッソに蒸気で温め泡立てたミルクを加える飲み物、イタリア語でいうところのカプチーノである(ちなみにエスプレッソはフランス語風に「エクスプレス」と呼ばれていたが、アラビア語でなんというかは不明)。この国のカプチーノには大きく二つの種類がある。「カプサン」と「ディレクト」である。

カプサンは、エスプレッソに使うような小さな器に入れられる。つまり、ミルクは少量である。
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チュニスのメディナのカフェでカプサンをいただく

一方、「ディレクト」は大きな器が使われ、ミルクもたっぷり注がれる。こちらはいわゆるカプチーノそのものである。
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チュニスの新市街で飲んだディレクト

カプチーノはどこで飲んでも美味いものだが、チュニジアのディレクトもたいていどこでもうまかった。また、カプサンも、ミルクが少量なので、エスプレッソの苦みを残しつつ、ミルクの泡も楽しめるので、これまたどこで飲んでも美味かった。そしてこの国ではエスプレッソも、トルコ・コーヒーも、ミントティも、いずれも美味かったので(そして安かったので)、カフェに入っては代わる代わる飲むことと相成ったのであった。

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2019年2月16日 (土)

夜の街を(43)チュニス(チュニジア)

チュニジアの首都チュニスの中心部には、アラブ世界の影響を受けた旧市街「メディナ」ともに、フランス植民地時代の街並みも残る。

写真はそんな地区の一角にあるマルセイユ通り。歩行者天国になっていて、夕食時ともなると、レストランを探しに集まる地元客や観光客でにぎわう。小ぎれいに清掃もされていて、左端の店に見えるアラビア語がなければ、まるでヨーロッパ。

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マルセイユ通りの夜【チュニス】

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2019年2月13日 (水)

世界の夕焼け(40)チュニジア トズール近郊

トズールからの半日ツアーの最後は、砂漠からの夕日鑑賞。スターウォーズエピソード1の撮影に使われたセットが残る「MOS ESPA」の近くの砂丘に日没1時間前に上り、砂と空の色が少しずつ変わっていく様をずっと見ていた。
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砂漠の風紋が夕日に照らされる【トズール近郊】

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2019年2月10日 (日)

世界の夜明け(19)チュニジア ル・クラム

チュニジアの首都、チュニス近郊のチュニス湾沿いには、カルタゴやシディ・ブ・サイドなど、観光地で高級住宅地でもある町が並ぶ。その一つ、ル・クラムもおそらくやや高級住宅地、といった雰囲気。その海沿いの民泊からみた夜明けは、2019年の初日の出、の前の日に見た日の出となった。
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チュニス湾の日の出【ル・クラム】

静かな海を、朝日のオレンジ色が包んでいき、そして明るさの中に消えていった。

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2019年2月 7日 (木)

ナショナル・ミュージアム(35)バルドー博物館(チュニス)

国立博物館というのは、その国に関する歴史、文化、芸術にまつわるものを展示する。研究機関であり、美や文化を堪能・学習する娯楽・教育施設でもあるとともに、その国の誇りやアイデンティティを内外に示すための装置でもある。しかし、どの国も多様な歴史、文化、芸術の積み重ねの上に成り立っている。なので、その中でどこかにフォーカスして展示が組み立てられることになる。

チュニジアの首都チュニスにあるバルドー博物館は、この国の歴史を網羅する構成ではあるが、展示の重点は古代ローマ期のモザイクにある。ローマ神話や当時の日常生活に題材をとったモザイク画は非常に見ごたえがある。

一方、ローマの文化は外生的なものである。チュニジアが誇りとするものとしては微妙なもののようが気がする。そこで、この博物館は、それより前にこの地で栄えていたカルタゴ、そしてヌミディア人に関する文化についての展示にも注力している。もっともカルタゴもフェニキア人による都市国家であり、外生的なものともいえるが。
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カルタゴの廟の間【バルドー博物館(チュニス)】

古代ローマ帝国より後はヴァンダル族、ビザンツ帝国の治世があり、そしてウマイヤ朝による侵攻以降はイスラム教の国となるのだが、そのあたりの展示は少ない。が、建物自体がオスマン・トルコの地方長官「ベイ」の宮殿だったところで(もともとは13世紀のハフス朝の宮殿)、その豪華な内装を見学できる部屋もある。そうした部屋に、古代ローマのモザイクや像が展示されていたりして面白い。

そしてこの博物館を語るにあたって忘れてはいけないのが、2015年にテロリストによる襲撃事件が発生し、日本人を含む15人の外国人観光客が亡くなったこと。博物館入口には犠牲者の名を記したモニュメントも置かれていた。

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2019年2月 4日 (月)

チュニジア旅行(11)実用情報

博物館の入場料などの値段はおおむね地球の歩き方(2015~16版)の通りであった。ここでは交通機関に関する情報を中心に。

■チュニスの空港と市街地間の移動

基本的にはどの町もタクシーはメーター制であった。しかし、チュニスの空港からのタクシーはすべからくメーターを使用しようとせず、いろいろな理由をつけて吹っ掛けてくる。最初に乗ったタクシーで見せられた料金表によると(フランス語なので一部推測)、初乗り0.500ディナール、80メーターごとに0.080ディナール、20秒ごとに0.040ディナール、(最大辺が?)45㎝以上の荷物一つにつきプラス1ディナール、空港からの乗車はプラス3ディナールである。夜間料金があると主張するドライバーもいたが、この料金表には書かれていなかった。

以下は実際に払った金額。
・空港→バルセロナ広場:11ディナール(約400円)。荷物代1ディナール、空港乗車代3ディナール、チップを含む。
・空港→大聖堂近く:所要10分、10ディナール(約360円)。乗り込む前にメーターの価格プラス5ディナールで合意のうえ(かなりもめたが)、乗車。
・TGMルクラム駅付近→空港:所要20分、チップ込みで8ディナール(約290円)。
・バルセロナ広場→空港:所要20分、チップ込みで6ディナール(約210円)。

■チュニスのメトロ
メトロと呼ばれるが地下鉄ではない。都心部では路面を走るトラムないしLRTである。
・バルセロナ広場→バルドー博物館最寄りのル・バルドー:メトロ4号線で所要20~30分、0.480ディナール(約17円)か0.500ディナール(約18円)。つり銭の有無で違ったのかもしれない(真相不明)。
・リパブリック広場→北バスターミナル最寄りのバーブ・サアドゥーン:メトロ3号、4号ないし5号線で、所要10分前後、0.300ディナール(約11円)。
・バルセロナ広場駅は、1号線のマリン駅方面のホームは、他の路線のホームと別の場所にあるので注意。

■チュニス→ドゥッガ
・チュニスの北バスターミナルからテブルスークという町まで、バスは6.140ディナール。しかし、バスには実際には乗らなかった。実際に使ったのはルアージュ(ミニバン型の乗り合いタクシー、満員(8人)になったら出発する)で、所要1時間半弱、7.4ディナール(約270円)。帰りはバスで、6.040ディナール(約220円)、所要2時間。

・テブルスークからドゥッガへは、車をチャーター。往復15ディナール(約540円)。テブルスークからドゥッガまでは順調にいけば10分程度。
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テブルスークのバス切符売り場は、写真中央の赤い国旗のある屋根の建物の左側。

■チュニス→スース
・鉄道で3時間弱。一等車で10.9ディナール(400円)。時刻表は下記の国鉄サイトで調べられる。が、遅延や運休も多そう(実際に遭遇)なので、ご注意を。
http://www.sncft.com.tn/En/home_46_87

■スース
・ルアージュ・ステーション→スース考古学博物館:タクシーで3分、メーターで1.3ディナールぐらいだったので、2ディナール(約70円)払った。
・メディナに面したファルハット・ハシェド広場→ルアージュ・ステーション:タクシーで10分弱(道が混んでいた)、2.200ディナール(約81円)。

■スース→エル・ジェム
・鉄道で1時間弱、一等車で6.25ディナール(約230円)。が、実際には途中で運転が取りやめになり、代行バスで移動したので実際は3時間半弱かかった。
・帰りはルアージュで5.6ディナール(約210円)、約1時間。エル・ジェムのルアージュ乗り場は鉄道駅からは離れており、また大通りに面しているわけではなく、わかりにくい。

■ケロアン
・ルアージュ・ステーション→ホテル・ル・カスバ:タクシーで10分弱、1.300ディナール(約48円)。
・ホテル・ル・カスバ→バス・ステーション:タクシーで5分、2.600ディナール(約95円)。メーターを入れた後、すぐに何やらボタンを押され、1ディナール加算された。荷物代か。

■ケロアン→チュニス
・ルアージュで2時間弱、11.7ディナール(約430円)。

■トズール
・考古学伝統博物館:入場料5ディナール(約180円)
・半日ツアー(13時トズール出発、オング・エル・ジュメル、MOS ESPA、ネフタの「ラ・コルベイユ」、MOS ESPA近くの砂丘からの夕日鑑賞、18時10分頃トズールに帰着)が100ドル。かなりのぼったくり価格と思われる。

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2019年2月 1日 (金)

チュニジア旅行(10)チュニス

1月5日

今日も寒い。手袋がほしいぐらいだ。今日もフランス門からメディナ内へ。メイン(観光客的に)のスークであるジャマー・ジトゥーナ通りを歩く。まだ開いていない店が多く、かえって雰囲気がある。グランドモスクは今日も入れない。そして今日はグランドモスクから北側の住宅街へと進む。白い壁に青、黄、緑色のドアが並ぶ。ごみも少なく、地中海沿岸のイメージの小洒落た街並み。解説板のついている建物は17~18世紀との表示が多い。
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意外に小ぎれいなメディナ内をさまよう【チュニス】

「ダール・ラスラム」「ハエルディン宮殿」と訪れるがいずれも閉まっている。元来た道を戻る。工事現場の覆いにも青いドアや赤黒緑の縞模様の柱が描かれていたりして面白い。道幅が狭い(といってもバイクぐらいしか通れない南側よりは広い)ので、ダンプカーは入れず、トラクターが荷車のようなものを引いて土砂を運んでいる。

薄暗いカフェでカプサンで一休み。苦みが利いてうまい。店内の客に日本のバスケットボールの「Bリーグ」の試合の予想について助言を求められる。スマホのサイトで賭けをしているらしい。残念だから全く詳しくありません。話している間にカプサンが冷めてまずくなった。

続いて南側の住宅側へと進む。昨日も行ったダール・ベン・アブダラー博物館は今日も閉まっている。向かいにあるカフェのような建物は開いているので中にちょっと入ったが、営業はしておらず。

中心部へ戻る。旧市街のパノラマが見えるという売り文句のテラスのカフェに誘われて入る。予想通り大したことない眺めだが、晴れ上がって気持ちはいい。トルコ・コーヒーを頼んだら、ジェズヴェという、長い柄のついた水差しのようなものを渡される。トルコ・コーヒーはこれを直接火にくべて沸かすのだが、それをそのまま持ってきた。自分でカップに注ぐという趣向。最後に加える香り付きの水(バラ水?)の入った小さな壺も付いてくる。上澄みだけ注ぐのには失敗したが、お湯の中で舞っている粉も含めてうまいのだと再認識。5ディナール(約180円)と観光地価格だが。トイレを借りる。ここも便座なし。

若干、スーク(商店街)内をさまよった後、グランドモスクの近くにあるレストランへ。焼き魚を頼んだら、「ない」と言われ、早口でまくし立てるように勧められるがままに「タジン」を頼む。モロッコのタジンと雰囲気が異なり、何やらオーブンで焼いたパイのような感じで、とりあえずうまい(辛いが)。ボリュームもあり、ライスとフライドポテトも付くので、初めてフランスパンに手を付けずに食事を終える。

その後、歩いていると広場の市のようなところに出たので、そのカフェで「テ」を注文。初めて「ルージュ?それともこれ?(ミントを指さす)」と聞かれる。ルージュとは紅茶のことであろうか。それも飲んでみたかっただが、おそらく最後のお茶になるので、やはりミント・ティを。ヤカンで高いところから注がれる。汚い店だが、茶はうまいし温まる。ああ、旅が終わる。

観光客向けではないスークを通り、フランス門へと戻り、そしてホテルへ。荷物を取って外へ。タクシーが全然捕まらない。これはまずいのではないか。とりあえず人が集まっていそうな所へ行こうと、バルセロナ広場まで歩く。首尾よくタクシーを発見。標識を外して休憩中だったが、出してくれるという。よかった。

20分ほどで空港に到着。空港内で最後のカプサン。6.7ディナール(約240円)と超絶ぼったくりだが、余った小銭の処理にはなった。そして16時50分ごろ、定刻より50分近く遅れてカタール航空機が離陸。さよなら、チュニジア。

1月6日
5時間20分ほどのフライトでドーハに到着。到着は25分遅れ。接続がギリギリなので小走り気味にゲートへ。しかし成田行きも遅延。しかも接続便を待っているのでさらに遅れるという。そうか、カタール航空は待ってくれるのだ。問答無用で定時出発するエミレーツとは大違い。

結局、定刻より1時間半遅れて午前3時20分過ぎに離陸。そして、9時間10分のフライトで成田へ。

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2019年1月29日 (火)

チュニジア旅行(9)チュニス

1月4日
ホテルで朝食後、9時10分頃に外に。寒い。息が白い。そして少し雨がぱらつく。まず中央市場へ。魚を扱う一角では砕いた氷を敷き詰めたうえで魚が並べられていて面白い。さすが海産物の国、冷蔵設備がなくてもこうして新鮮さをキープするのか。カタツムリ(生きている)も売っていた。こちらは常温。チーズの売り場では何度か試食させてもらう。「イタリア産だ」とアピールしていたが、海を渡ればイタリアである。クスクスをはじめとするパスタも充実。

12分ほどで外へ。カフェでディレクト(大きいカプチーノ)で一休み。珍しく女性がバリスタの小ぎれいな店。ココアパウダーを振りかけられる。美味。そしてあったまる。そしてバルセロナ広場からメトロ(トラム)4号線で20分弱でル・バルドーに到着。10分強歩いて国立バルドー博物館へ。オスマン帝国時代の地方長官「ベイ」の宮殿だった建物のはずだが、外観は白く四角くモダンな感じ。

入ると吹き抜けに巨大なモザイクを展示。まずは重要どころを見ようと2階へ。19世紀のチュニスのメディナ(旧市街)の邸宅を再現した「宮殿の間」には立てかけた箒や、シュレッダーにかけたような本なども展示。現代アートらしい。ウィーンでもこの手の展示をしていたが、最近のはやりなのだろうか。

続いてカルタゴの間。部屋自体が「ベイ」の宮殿そのもので、天井からして豪華仕様。そこに1~4世紀の古代ローマのモザイクや大理石像などを展示。エジプトのイシス神の像もあって面白い。続いても古代ローマのモザイクの展示。さらに3階も。美しいモザイクの洪水。再び2階に戻り、ヌミディア人の展示や、ローマに滅ぼされる以前のカルタゴの展示を見ているうちに・・・催してきた。

急ぎトイレへ。きれいだが便座も紙もない(と思ったら、洗面台のところにトイレットペーパーがあって、必要な分だけ取って個室に入るという仕組みであった)。幸い、下痢には至らず。再び中に入ろうとすると、係員にチケットを見せろと言われる。見せると「2枚渡さなかったか?」と詰められる。いえ、1枚だけですが。結局、放免。そもそもトイレを展示エリア内に設置していない時点で間違っているのではないか。とにもかくにもこれを機に博物館指定の順路通りに、古い時代から歴史を追うように改めて見学することとする。

「フェニキアの間」では、フェニキア人の信仰したタニト神の印の入った石柱(ステラ)などを展示。エジプトやギリシャの影響も解説され、興味深い。カルタゴの歴史の説明にも力が入る。武力に勝ったローマが、経済(農業と貿易)に秀でたカルタゴを滅ぼしたという図式で語られている。チュニス沖にで発見された、古代ローマ人がギリシャから像などを持ち帰ろうとして沈没した船の積み荷の展示もある(マハディアの沈没船の宝)。ギリシャに憧れたローマ人の展示は、ローマの文化がいかに劣っていたかをあてこすっているようにも見える。

1階はローマのキリスト教国教化以後のヴァンダル人、そしてビザンツ帝国治世下の展示。モザイクは古代ローマ期よりなんとなく田舎っぽい雰囲気になっているように感じる。そのあとはアラブ人の制服とイスラム王朝時代。解説を読むのが疲れてきた。展示もモザイクを扱っていた時代と比べると簡素に。

こうして2時間20分程たっぷり見た後、外へ。まだ寒い。駅前の軽食堂で昼食。「オジャ」という、トマトソースの煮込み料理。辛いのでパンと半熟卵とオリーブとで辛みを緩和しながら食べる。ちょっとした放心状態。でもうまかった。メトロの4号線に乗車。激混み。ドアを閉めるのも大変。そんな中でもベビーカーを連れた母親が乗り込んでいる。そして降りる際には周りの乗客がこぞって手伝っている。そういう国。

30分ほどでバルセロナ広場に到着。疲れたのでミントティで一休み。そして10分程歩いてフランス門へ。ここがチュニスのメディナ(旧市街)の入口。といっても今は城壁がなく、門だけが建っている状態。門の中には警察の車が止まり、門自体は通れない。チュニスの中心部では2018年10月末にテロがあった影響か、機関銃を持った人を含め、警官が多く展開していたが、あまり緊張感がないようにみえた。

フランス門のメディナ側にあるビクトワール広場は植民地風の建物とメディナ風(?)の建物が混在。その広場からメディナへと入る。しかし入る道を早速間違え、衣料品のスーク(商店街)であるカスバ通りに入ってしまう。普通の服や靴を売っているだけであまり面白くない。

・・・段々面白くなってきた、と思っていたら、グランド・モスクの前に出た。異教徒はモスク内には入れない。どうやら中庭にも入れない。残念。周囲のスークをめぐる。グランド・モスク周辺はだいたいアーケードになっていて、まさに迷宮、ラビリンス。観光客目当ての店が多く、あちらこちらから「ニーハオ」「こんにちは」と声がかかる。

さらに西に向かい、首相官邸の周りをぐるっとした後(官邸は写真撮影禁止)、南の方へと進む。この辺りは住宅街。ここも猫が多い。モスクのようなドームを載せた、エル・ベイの墓をかすめて、さらにうろうろ。散々迷った挙句、ダール・ベン・アブダラー博物館らしきところへたどり着いたが閉まっている。「歩き方」によると16時半閉館。迷っているうちにその時間は過ぎてしまった。それとも単に今日は休館なのかあるいはしばらく閉鎖されているのか、真相は迷宮入り。
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チュニスのメディナにて

さらにウロウロし、ダール・オスマンに入ろうとすると「許可がないと入れない」という掲示を示される。が、1分ならいいと言われる。美しい中庭をちらりと見学。そして発見したトイレも借りる。助かった。この辺りはゴミも多く、建物もぼろくて廃墟のよう。しかし人は住んでいる。少しずつ中心部へと戻る。店じまいが始まっている。雰囲気あるカフェでトルココーヒーで一休み。そして17時半ごろにビクトワール広場に戻る。

夕食は新市街にある、歩き方掲載のレストランで、ラムのクスクスとオレンジジュース。しかしジュースは生でなくしかも氷入り。なので追加でビールを注文。突き出しにハリッサもオリーブもない。最後に食べたかったのに残念。店内ではキーボード兼ボーカルの生演奏が始まる。どちらかというとBGM的な位置づけか。クスクスの量が多く、エスプレッソ一杯も飲む余裕もなくなるほど腹一杯に。

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2019年1月26日 (土)

チュニジア旅行(8)ドゥッガ、チュニス

1月3日
リパブリック広場からメトロ(トラム)の4号線で10分ほどでバーブ・サアドゥーンへ。街の中心はフランス植民地時代の建物が並び、まるでヨーロッパだが、10分移動するだけですっかり途上国の光景。そして北バスターミナルに行きたいのだが・・・見つからない。駅からすぐと思っていたが、さにあらず。結局20分程歩き回って8時45分にようやく到着。

今日の目的地、ドゥッガ遺跡に近いテブルスークへのバスの切符を買う。「10時発だ」といわれ、OKと答えてしまったが、いざバスに乗ろうとして・・・1時間以上あることに気付いた。そんなに待っていられない。失敗した。どうしたものか。そう、思案しながらターミナル入口を歩いていると「ドゥッガ?」と声がかかる。うなずくと、あれよあれよという間にルアージュに乗せられ、しかも案内してくれた親父はどこかに姿を消し、しかもルアージュはすぐに出発。大丈夫か?

ルアージュはかっ飛ばして走る。昨日までの砂漠の風景とは一変、今日の車窓は畑や牧草地と思しき緑の大地。やがて山を上っていると思ったら、チュニス出発から1時間半ほどでテブルスークに到着。路上に多くの露店が出て大賑わい。今日は市が立つ日ということなのか。

さてここから遺跡までに行く車をチャーターしなければならない。・・・と、「ドゥッガ遺跡」との標識を載せたルアージュというか乗り合いのミニバンが停まっている。しかしそのドライバーは往復で20(ディナール、約720円)とのたまう。そんな馬鹿な。渋ってたら行ってしまった。あれは何だったのだろうか。

別のドライバーが勧誘にきた。ここから20㎞などと大ウソも言っていたが、結局、往復15ディナール(約540円)で妥結。10時35分に出発。タクシーではなく普通の車。大丈夫か。と思っていたら、すぐに警官に止められ、何やら免許証だか身分証明書だかを出せと言われているようで、3枚のカードのような書類を取り上げられている。そして、車で警察署に移動。一緒に降りろと言われる。やむを得ずついていくと、こちらのパスポートも出せと言う。

ドライバーが何か説明を求められ、警官は電話で何か話している。何事かと大変気になるのだが、親戚がロンドンにいるとかいう中年女性が嬉しそうに話しかけてきて、その対応に追われ、状況がつかめない。

が、結局、何事もなく解放。一体何だったのか。10時55分に改めて出発。10分ほどで遺跡の入口に到着。ここでもナンバープレートの番号を控えられたりいろいろあって、11時10分過ぎにようやく車を降りる。

ドライバーに13時に迎えに来るよう言って、古代ローマの遺跡、ドゥッガの見学を開始。まず入口近くにある劇場へ。劇場全体が残っていて、観客席を上ると広大な遺跡全体、それに丘の下に広がる斜面から盆地にかけての一帯が緑に覆われているさま、そして周囲の山並みが見渡せる。警察署で話しかけてきた中年女性が「ドゥッガはいい、美しいよ」と言っており、遺跡を美しいと表現するとはどういうことだろうと思ったのだが、なるほど、これは美しい。

続いてひときわ目立つキャピトルの神殿へ。ジュピターなど3つの神々を祀ったところで、神の像は失われているものの、建物はきれいに残っている。石の色が他と異なりベージュがかった色をしているのも特徴的。キャピトル周辺にはフォルム、風の広場、市場などの跡が広がる。街の中心といった感じ。
少し離れたところにあるカエレスティス神殿を見た後、中心部に戻ってローマ人の住宅を。住居跡とそれらのあった町の通りが残っている。町まるごと残っている感じ。またこの辺りから見るキャピトルの姿もフォトジェニック。さらにモザイクの残るリキニアの浴場などを見学。
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キャピトルを望む【ドゥッガ】

さてドゥッガはローマの前にヌミディア人が住んでいた町。彼らの王子の廟といわれる「リビコ・プュニック廟」は高さ21mで、少し離れているためか他の客は全く訪れていなかったが、ローマ時代以前の貴重な遺跡でありぜひ近くで見たいと探す。が、苦戦。遺跡内でmaps.meを駆使して何とかたどり着く。そして13時過ぎに車に乗り、帰路に。車窓から緑の景色を眺めていると、山の中にも関わらずヌミディア人、そしてローマ人がここに町を築いた理由がわかるような気がしてくる。

テブルスークに戻り、食堂を探す。陶器のお椀が重ねて置いてある店を発見。これは猫まんま「ラブラビ」がある証。で、注文。フランスパンを自分でちぎってお椀に入れ、そこに豆入りスープ、ハリッサ(?)、各種香辛料、オリーブオイル、その他オイル(?)、小さなオリーブなどをかけてもらい、後は二つのスプーンを使って混ぜる。食べようとすると、混ぜ方が足りないとばかりに、地元客(ないしスタッフの知り合い)がさらに混ぜてくれた。そして食べる。うまい。辛いけど。付け合わせの酢漬け野菜やオリーブもおいしくいただく。

帰りはルアージュが出ないようなので、地元客についていって、バスの切符売り場へ。隣のカフェでカプサンを買って、飲みながら待つ。が、なかなか来ない。結局予定より30分以上遅れ、14時50分頃にやってきたバスに乗車。そして2時間ほどかけてチュニスの北バスターミナルへ。そしてメトロ4号線へ。激混み。15分強で中心部のバルセロナ広場へ。

植民地建築の並ぶ中心部をうろうろした後、夕食はレストランの多いマルセイユ通りへ。入った店では生演奏をしていたが、それが見えない席に通される。しかも演奏はすぐに終わってしまった。いまいちなラムステーキにさっぱり苦くておいしいローカル・ビール「Celtia」を。突き出しのオリーブも美味かった。

その後、カフェでエスプレッソを飲んで宿へ。

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2019年1月23日 (水)

チュニジア旅行(7)トズール、チュニス

1月2日

30分ほど歩いて旧市街入口のイブン・シャバット広場へ。カフェで一休み。カプサン(小さいカプチーノ)を砂糖なしで(入れ忘れた)。朝からトランプで盛り上がっている。スマホのゲームを3、4人でやっているグループもある。その後、旧市街へ。迷ったが、「ホッシュ・ベン・アズーズ」らしきところに到着。中庭は広く、建物内には1900~1940年のトズールの写真を展示。今とあまり変わらない部分もあれば、変わっている部分もある。
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トズールの旧市街「ウルド・エル・ハデフ地区」内のレンガの装飾

その後、さらにメディナ(旧市街)内をふらつくが、昨日とやっていることが同じである。しかも小さなメディナなので、同じところばかり通っている気がする。そこで別のプランを検討。地図アプリの誘導で、ナツメヤシ(デーツ)のオアシスというか林というか畑の中を進む。要は農地であり、時折番犬に吠えられる。

11時ごろ、オアシス内の「エデン・パーム」に到着。デーツの資料館のようなところ。といっても展示品は一切なく、ひたすら解説板を読むだけという潔さ。暇なので読み続ける。説明によるとデーツはおそらく世界最古の農作物で、6000年以上前にエジプトとメソポタミアで栽培されていた。フェニキア人がカルタゴなど地中海沿岸に進出するのと合わせ、デーツも広がる。やがて砂漠のオアシスでも栽培されるようになる。中世には地中海世界とサブサハラの交易の結節点となっていたトズールは、黒人奴隷、象牙、絹・毛織物、そしてデーツの交易で栄えた。

今でもデーツはチュニジアの主要輸出作物であるが、最近の若い者は観光などのサービス業を好み、人手不足。さらにはデーツ、それも人気のある品種の単一栽培であること、他国(米国やイスラエルも)との競争激化とそれに伴う価格低下、そして病害虫対策などが課題とのこと。いずこも同じ。そして砂漠で育てるために重要なのが灌漑であり、その解説も。

建物内のカフェでエスプレッソで一休み。結局、1時間ほど滞在した。その後デーツのオアシス(というか果樹園という表現が適切か)を抜け、メディナを歩き、45分ほどで昨日の昼食と同じレストランへ。今日はラクダのステーキ。味は昨日と同じ(当たり前)。それにプラスして、ツナと半熟卵のクレープのようなものを揚げた「ブリック」も。

その後、今朝と同じカフェでミントティを飲み、スーパーを物色し(オリーブやオリーブオイルの種類が豊富なのはさすが)、歩いて宿へ。宿のオーナーと業者(推定)二人組の車で空港へ。そしてチュニスエアエクスプレスでチュニスへ。往きはリージョナル・ジェット機だったが、帰りはターボプロップ機で、80分ほどかかった。

前回、空港からのタクシーでもめたので、バスで移動しようと「歩き方」の記述を参考にバス停らしきところに移動。しかし無人。2階の出発階に行けば、客をおろしたタクシーに乗れるのではないかと期待して階段を上がるが、上がったところで係員に追い払われる。やむを得ずタクシー乗り場へ。客引きドライバーがくるが、メーターを使えと言うと、去っていった。で、乗り場から乗車。走り始めてメーターを使えというと、30だと来た。法外である。断固拒否すると、一周回って元の乗り場に戻って降ろされた。腹正しい。やはりだめだと思い、もう一度バス乗り場へ。しかし、近くにいた人に「バスはない、タクシーに乗れ」と言われる。事実かどうかは不明だが、バスがいないのは事実。

結局、もう一度タクシー乗り場へ。今度は乗る前から交渉。英語通訳親父も登場。結局、メーターの料金プラス5ディナールで妥結。実際はメーターは5ディナール弱だったので、10ディナール(約360円)を支払うことに。車内でスマホの地図アプリを見ていたのも気に障ったのか、ドライバーは始終、グダグダ文句らしきことを言って、指定した目的地の前ではなく、少し手前で降ろされた。まったくもって不快(お互い様かもしれないが)。

今日の宿は大通りから1本角を曲がった通りの奥。しかし1本入るだけで漂う場末感。荷物を置いて近くの「歩き方」掲載のレストランへ。食べたメルゲズ(ソーセージ)は臭みが強く、パンとオリーブとライスとポテトでごまかしながら食べる感じ。そしてチップを1銭も出す気がしないウェイターの低サービス。が、そういうウェイターに限って、おつりを持ってこないでそのままチップとして召し上げられた。

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2019年1月20日 (日)

チュニジア旅行(6)トズール

2019年1月1日
外で花火の音がする。そして犬が吠えている。時計を見ると0:00。年が明けた。

昨晩、近所の雑貨屋で購入した袋入りクロワッサンなどのわびしい朝食をとった後、外へ。朝日が。一応初日の出。客がおらず、店主が一人水煙草を嗜んでいる薄ら暗いカフェへ(そんな店しかない)。でもエスプレッソはうまい。その後、タクシーで旧市街「ウルド・エフ・ハデフ地区」の入口といえるイブン・シャバット広場あたりへ。時刻は8時過ぎ。そして正月はチュニジアでも祝日。まだ多くの店が閉まっている。

旧市街の散策をスタート。文字通りさまよう。日干し煉瓦を積んで幾何学模様を描いた化粧壁が特徴の街。建物内が通路になっているアーケードというかトンネル状になっているところも多い。スターウォーズの衣装のモデルともなった、フードの付いたコート風の伝統衣装を着ている人をよく見かける。寒い気候に合った服装なのだろう。

30分ほどふらついた後、「MUSEE」の看板をたどって考古学・伝統博物館(歩き方には「伝統民俗工芸博物館」と記載)に到着。地中海沿岸ないし中東にはよくある、中庭のあるつくり。裕福ではない家の生活用品や家具の展示といった感じか。ただ置いてあるだけで、解説の類はなし。ガイドもいない。博物館というほどのものではない。

10分ほどで退散し、再び街歩き。この街も猫が多いが、警戒心が強く、近づくと逃げてしまう。文字通り迷宮で、歩いているうちに元来た道に戻るという営みを繰り返す。いったん旧市街から出て、イブン・シャバット広場のカフェで一休み。「テ」(フランス語でお茶)というと、ヤカンから注がれたどす黒い緑茶にミントを入れたものが出てくる。

再び、旧市街内へ。時々解説板がある。そういう建物はたいてい16世紀のオスマントルコ治世下のもののようだ。一応、歩き方に掲載されている観光スポットを目指して歩いてみるが、なかなかたどり着かず、やっと着いたと思ったら閉まっている、ということを繰り返す。祝日はダメよ、ということか。ここの旧市街はすべて住宅街で、スーク(市場、商店街)は旧市街の周辺にある。なので、旧市街内はカフェの類が一切なく休めない。

・・・と思っていたら、土産屋の上にあった。上から街のパノラマが見れるとの触れ込みだったが、上から見て面白い街ではなかった。ここでトルコ・コーヒーを。2.5ディナールと観光地価格(約90円)だが、うまい。20分ほど休んだ後、旧市街を出て新市街を歩き、スーパーで買い物などを済ませた後、イブン・シャバット広場のレストランでラクダのブロシェット(串焼肉)。柔らかい部分はうまい。生オレンジジュース、突き出しのオリーブとハリッサもうまい。

予定では今日は一日ツアー、明日は街歩きをした後、夕方に飛行機でチュニスに向かう予定だったが、ツアーが半日になったため今日午前中で街歩きがおおむね終わってしまった。そこで予定を変えようと旅行代理店を探し出して、明日朝の飛行機がないか聞くが、何も調べることもなく「フル」と一言。バスターミナルへ行って今日の夜のバスがないかと聞くと、次のチュニス行は明日の23時発だという。中南米同様、チュニジアでも正月は長距離バスは運行しないのか。イスラム歴を使っているのではないのか。結局、旅程変更の試みは失敗に終わる。

13時前に、待ち合わせのカフェへ。ガイドの食事が終わるのを待って、13時20分ごろにツアー出発。4WD(おそらくトヨタのランドクルーザー)で街の外へ。まずはナツメヤシのオアシスへ。・・・と思ったら、車窓見学で終了。なんだこれは。特に興味をひかれなかったからよいが。

草一本生えていない砂砂漠をひた走り、13時50分ごろに「オング・エル・ジュメル」に。ラクダの頭に見える岩山があり、映画「イングリッシュ・ペイシェント」の撮影が行われたところ。その岩山に上る。眼下には塩湖「ショット・エル・ガルサ」。岩山が渓谷状になっているところや蜃気楼も見える。
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ラクダの頭の後ろから【オング・エル・ジュメル】

再び砂漠を移動し、14時10分ごろ、「MOS ESPA」へ。ガイドが「スター・ウォーズ」と呼んでいた場所。だが、オリジナルのスター・ウォーズ(エピソード4)ではなく、エピソード1(および2)の撮影が行われたところ。しかも撮影用のセットを補修したところ。土産物はスター・ウォーズ関連のものは一切ない。ルーカス・フィルムはうるさいのだろうかと思ったが、にぎわる地元客はスター・ウォーズにはあまり興味がなさそうだったので、ニーズに合わせただけなのかもしれない。

さらに10分ほど走り、ネフタという街へ。ここの「ラ・コルベイユ」へ。コルベイユとはフランス語で「かご」という意味。崖が形成するくぼ地の下に楕円形の池とナツメヤシの林が広がり、その崖から下のオアシスを見下ろす展望台からは、なるほど、籠のようにみえる、不思議な光景。しっかりカフェがあり、カプサンを。美しくも平和的な眺めではあるが、この街は外務省安全情報のレベル2(トズールはレベル1)。

車に戻ると、山岳オアシス3か所にも行かないかとの勧誘。しかし、さらに100ドル出せとのこと。そこまで見たいわけではないし、何よりただでさえ高いのにまだふんだくる気か。断ると、車は再び砂漠を走り・・・15時半にトズールの街に戻ってしまった。これでツアーは終了という。出発から2時間強しかたってない。冗談ではない。大体、昨日は夕日を見ると言っていたではないか。しかもその時に行き先を書かせた名刺を、なぜか回収したうえで、それを見せろというと新しい名刺を出してごまかそうとする始末。当然猛抗議。

結局、しぶしぶと車は砂漠へと走り出し、先ほどのMOS ESPAに近くの砂丘に戻る。この無駄な往復の時間はなんだったのだ。本来は山岳オアシスを含めて半日で100ドルだったのではないか。まったく腹が立つ。とにもかくにもここで夕日を待つ。見渡す限り砂の世界。風が砂を巻き上げ、風紋を描く。空の青がものすごくきれい。そして日が傾くにつれ、砂丘がオレンジ色に輝いていく。

こうして夕日、夕焼けを堪能した後、帰路へ。砂漠の道は当然、街灯などなし。日の入り後なので、当然だんだん暗くなっていく。この辺で変な賊に襲われたら終わりだなどと妄想にふけっているうちに40分ほどでトズールに到着。

昨日と同じ食堂で夕食。今日は薄く切ったターキーのフライ(たぶん)。なかなかうまい。付け合わせのライスとフライドポテトもうまい。しかしジャガイモなんか取れない国だろうに、どこでも食事には付け合わせとしてフライドポテト(フレンチフライ)が出てくる。植民地とは罪なものだ。

昨日と同じカフェでミントティ。ぬるくていまいち。カフェではトランプで盛り上がっている。思えばこの街では酒を飲んでいる地元客をあまり見ない。健全な街なのだろうか。

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2019年1月17日 (木)

チュニジア旅行(5)カルタゴ、トズール

12月31日
6時40分ごろ、目が覚めてしまったので海を臨むテラスに出てみる。ごみ収集車の音を除けば鳥の声と波の音だけの静かな海。何かの映画のラストシーンを思い出す。雲間から朝日が顔を出す。これも日の出といってよかろう。2018年最後の日の出。朝食後、宿を出て銀行へ。ATMで金をおろせないので窓口へ。両替レートが表示されているので日本円を両替しようとしたらできないと言われる。やむを得ずユーロを両替。

そして郊外電車TGMでカルタージュ・ハンニバル駅へ。辺りは高級住宅街の風情。15分弱坂道を登ってカルタゴ博物館へ。博物館は改装のため閉まっているが、敷地内のビュルサの丘の遺跡を見学。カルタゴはフェニキア人の植民都市として誕生し、その後、ポエニ戦争で古代ローマに滅ぼされた。その際、フェニキア人の街は徹底的に破壊され、そのあとにローマ人の街が建設される。ここにはフェニキア人の住宅の跡が残っている。また、丘の上からはカルタゴの街や海が見渡せるいい眺め。

30分ほど滞在して、その後20分弱歩いて海沿いのアントニヌスの共同浴場へ。こちらは古代ローマの遺跡。アーチ状の建物の基部やシンボリックな柱などがよく残っている(修復されている)。遺跡内を歩けるのも良い。兵どもが夢の跡といった感。
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古代ローマ以前からある町でも、遺跡として残るのは古代ローマ期という典型【アントニヌスの共同浴場(カルタゴ)】

40分ほど滞在した後、10分程歩いてカルティエ・マゴンへ。フェニキア人、そしてそのあとにローマ人によって建てられた住居の跡。ドイツの援助で修復されたため、解説板はアラビア語、フランス語、そしてドイツ語のみ。意味が分からず。10分で出る。近くの邸宅にたたずむ猫の写真を撮ったら、兵士が飛んできて、写真の削除を求められる。政府の建物でもないようだったのだが、要人の宅なのだろうか。写真を削除させられたのはスーダン以来の失態。

10分弱歩いてカルタージュ・ハンニバル駅へ。そしてTGMでカルタージュ・ビュルサ駅へ。駅前のカフェで一休み。「エクスプレス」(エスプレッソのこと)と言ったのに、「カプサン」(小さなカプチーノ)になった。まあうまいからよい。

5分ほど歩いてカルタゴの軍港跡へ。といっても湾曲している水辺というだけ。雨が降ってきた。散歩している犬に遭遇。脇を通り抜けようとしたら、急に犬が吠えだし、飛び掛かられた。必死に逃れるも犬の口(歯?)が膝に衝突。噛みつかれはしなかったが、打撲とかすり傷を負う。結構痛い。血も滲んでいる。運がいいのか、悪いのか、近くに警官がいた。「サバ?」と聞かれたので「サバ」と答える。そして飼い主というか、おそらく散歩のアルバイトをしていたという風情の青年が取り締まりを受けていた。この辺りは高級住宅街で、その番犬なのであろう。

カルタゴの商業港跡(こちらはただの直線の水辺)を見た後、フェニキア人の時代の「タニト神」などの聖域だとされる「トフェ」へ。小さな石柱がたくさん並んでいて、中にはタニト神の印が刻まれたものもある。

その後、元来た道を戻る。さっきの犬の青年がまだ取り調べを受けている。警官にまた大丈夫かと聞かれるが、こちらも取り調べを求められては面倒なので、大丈夫と言って去る。昼食場所を探しながら25分ほど歩いて、ようやくよさげな店を発見。珍しく女性たちが切り盛りする安食堂。ここでマトンのシチューを注文。マトンが柔らかくてうまい。シチューもいい味(辛いけど)。それに例によってフランスパンとハリッサが付く。大満足。

カフェでディレクト(大きいカプチーノ)を飲んで一休みした後、宿へ。そしてタクシーで20分弱で空港へ。そしてチュニスエアエクスプレス機で45分ほどで、チュニジア南部の砂漠のオアシス都市、トズールに18時40分頃到着。今日も民泊。車で迎えに来てもらう。親父と若者の二人組だが、後者は通訳というか業者っぽい。

宿は空港からは近いのだが、町の中心である旧市街まで歩いて30~40分かかることが判明。ちゃんと場所を開示しないのはずるい。これでは明日のツアーの予約もできない。困って二人組に相談すると、彼らが手配する、あとで連絡する、という。怪しいがやむを得ない。そしてここはオーナーが住んでいるのではなく、だれもいない空き家が宿ということだった。周りは閑静な住宅街だが、何かあったらと不安になる。

歩いて5~10分ほどのところにあるロードサイドの食堂で夕食。メルゲズというソーセージのようなもの。羊っぽくてくせがあって美味。しかし辛くて鼻水が出てくる。食後、カフェでミントティーを飲んでいると、怪しげな男が声をかけてくる。民泊二人組に言われて来たという。そして一日ツアーを希望していたのに、午後の半日ツアーのご提案。しかも最初は400ディナール(約15,000円)とめちゃくちゃな値段。結局、100ドル(約11,000円)になったが、相場の倍以上と思われる。しかし選択の余地がない。ろくでもない民泊、ろくでもないツアーガイド。そして帰宅。タオルも石鹸もなく、ヒーターは壊れており、Wifiもすぐに使えなくなった。文句を言おうにも誰もいない。ろくでもない。

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2019年1月14日 (月)

チュニジア旅行(4)ケロアン、シディ・ブ・サイド

12月30日
なんとなくおなかが緩いが、せっかくの5つ星の朝食、いろいろ食べる。食後、グランドモスクへ。8時オープンのはずだが、係が来ていないらしく、入れてもらえない。向かいにある土産屋の屋上に上がれと誘われたので、上がる。少し上の角度からモスクを見る。8時20分頃、ようやくモスク内へ。

ケロアンは7世紀にイスラム帝国(ウマイヤ朝)によってアフリカ征服の拠点となった街であり、その後も歴代王朝の都がおかれた。このモスクは7世紀に建立されたもの(今に残る建物は9世紀以降のもの)。例によって古代ローマの石材が再利用されており、ミナレットの基壇部にはローマの文字が見える。中庭の柱廊は石材にレンガも組み合わせて建てられたよう。モスクの内部(例によって異教徒は入れない)も柱が並んでいる。

朝早く、まだ誰も人がいない、静謐な空間。朝日を浴びて輝くミナレットが美しい。単純な造形なのだが、青空に映える。観光客がだんだん集まりだすが、なんとなく落ち着いて長居してしまう。結局、45分ほど滞在。
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ケロアンのグランド・モスク

ホテルに戻り、タクシーで9時40分頃バスターミナルに到着。事前にネットで調べた情報では10時発のスース行きがあるはずなのだが、壁に記された時刻表を見ると、3時、3時15分、11時40分とある。それは困る。隣には乗り合いタクシー、ルアージュのターミナルがあるはず。たまたま目があったおじさんに聞くと、あっちへ行けと教えられたので、そっちへ進む。市場みたいなものの奥にルアージュ乗り場を発見。そして10時ごろに出発。隣のおやじに話しかけられる。よくわからないが、スマホではない携帯電話を見せて、ご機嫌に「アンティーク」と言っている。スマホよりこちらのほうが良いというアピールか。

12時前にチュニスに到着。路上で降ろされるが、目の前にメトロ(という名のトラム)の駅「Bab Alioua」が。10分ほど待ってメトロ1号線に乗車。劇混みだが、そんななか、段ボールに子ウサギを4匹入れて乗り込んでくる客もいる。隣のバルセロナ広場駅で下車。4号線に乗り換えようとホームで待っていると、男が先ほど乗っていたメトロの進行方向からやってきて・・・あろうことか自分のスマホを持ってきた。どうやら車内?で落としていたらしい。まったく気付かず、ショック。車中で見つけて、次の駅で降りて戻ってきてくれたのだろうか。それともすったけど、日本語が表示されよくわからないので返してくれたのか。真相は藪の中。

気が沈み、次の観光スポット(博物館に行こうと思っていた)に行く気が失せて、まっ直ぐ宿に向かうことに。ということで、再び1号線に乗って、終点のチュニス・マリン駅へ。ハビブ・ブルギバ通りを歩いてATMを探すが、3台トライして3台失敗。日曜なので窓口は開いておらず両替もできない。あきらめて立ち食いの軽食堂で、揚げパンみたいなものにオリーブ、チーズ、卵などを挟んだものの昼食。2つも頼んでしまい、食べきれず。

13時15分発の郊外電車TGMで、カルタゴ近郊へ。ビーチ沿いの今夜の宿へ。Hotels.comで予約したら、すぐに「これはホテルではありません」という警告メールがきたところ。フロントはなく、14時以降でないと対応しないとのこと。つまり民泊。そういうことは予約前にいうべきなのではないか。14時より20分前に着いてしまったが、ベルを鳴らしても誰も出てこない。仕方ないので海を見て時間をつぶす。14時過ぎに再チャレンジしたら今度は出た。どうも家の中にはいたけど、あえて出なかったという感じ。やれやれ。

再びTGMに乗り、シディ・ブ・サイドへ。曇ってきた。地元客が大勢降りる。どうやら目的地が同じ。坂を上るが人だらけ。ここは白い壁に青い扉の街並みで、それに地中海と空の青が美しいとされるところ。しかし曇っていて、空も地中海も青くない。白壁に青扉ならスースやケロアンの旧市街も同じである(かなりくたびれた感じだったが)。同じ青の街でもモロッコのシャウエンとは比ぶべくもない。だが、周りの地元観光客の楽しそうなこと。

土産物街の中心にあるカフェ・デ・ナットへ。「ティー」と言ったら、白い米粒のようなものが入った甘い紅茶が出てきた。ここの名物の松の実の紅茶であった。しかし、粒は無味無臭で、何のために入っているのかよくわからない。そして値段は6ディナール(約220円)とバカ高い。歴史のあるカフェで、内装も美しく、ここ自体が観光名所、やむを得ないか。とりあえず10分ほど一休み。

再び坂道を上がり、ヨットハーバーの見える展望スポット(というか崖)へ。やはり天気が悪いとまるで美しくない。元来た道に戻るが面白みがないので、脇道にいろいろ入ってみる。表の通りとはうって変わって廃墟感が漂う。猫が闊歩。

16時過ぎにダール・エル・アンナビへ。18~20世紀の金持ちの邸宅を公開しているところ。屋上のテラスからは街並みを眺めることができる。30分弱で退散。その後、駅へと戻る。駅の近くの住宅街も白い壁に青い窓。しかし観光客はまるでいない。景色よりも土産物やカフェを楽しむべき町ということなのだろうか。

宿近くの駅に戻り、夕食は通りすがりの軽食堂で、キョフテジ。羊肉と野菜の煮込みのはずだが、羊をあまり感じない。何より辛い。半熟の目玉焼きやオリーブ、それにピクルスのような酢漬けの野菜もトッピングされる。辛いが割とうまい。鼻水が激しく出るが。

食後、カフェにてエスプレッソサイズのカプチーノ「カプサン」で口直し。カプチーノに外れなし。カフェはチュニジアはどこに行ってもたくさんあり、にぎわっていた。社交場であるとともに、おひとり様での利用もよくみた。中東のイスラム教国は酒が御法度のため、お茶を飲む場が居酒屋代わりの社交場になっているが(といってもチュニジアではかなり飲酒が普及しているようだったが)、そうしたものとフランスから持ち込まれたカフェの文化が融合して今に至っている、といったところだろうか。

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2019年1月11日 (金)

チュニジア旅行(3)スース、ケロアン

12月29日
まずはスースのグランド・モスクへ。9世紀に建てられたもので、港や武器庫を守るため、要塞のようなつくりとなっている。ミナレットのようにみえるラウンド・タワーは監視のためのもの(今はスピーカーがついているので、ミナレットとして使われているのかもしれない)。ローマ時代の柱やアーチが流用されている。異教徒は中庭だけで建物内には入れないが、入り口からミフラーブは見える。その上にはクーポラが載っている。

20分ほど見学した後、隣のリバトへ。こちらも古代ローマ期の石材を再利用して8世紀に建てられ、9世紀には塔が建てられた。イスラム帝国の進出後、ビザンツ(東ローマ帝国)の反撃を恐れて、この手のリバトが海岸沿いにいくつも建てられたという。塔に上る。隣のグランドモスクや港、そしてメディナ(旧市街)全体やカスバが見える素晴らしい眺め。
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地味だが白と青の世界【スース】

30分ほど滞在した後、メディナ内をふらつく。そしてダール・エシド博物館へ。10世紀に建てられた建物で、19世紀の第二夫人までいるような金持ち(「歩き方」では「中流階級」と表現していたが)の邸宅内を再現。上のテラスからはやはりメディナや海が見下ろせる。

20分ほどで外へ。再びメディナ内をふらふらと。ものすごいツーリスティックな、伝統風なカフェへ。当地では「カフェ・トゥルク」といわれるトルコ・コーヒーを注文。目の前で注いでくれて、最後に香りの付いた水(バラ水?)を垂らす。普通においしい。砂糖がもともと入っているが、さらに甘いお菓子付き。

その後、にぎわうスーク(商店街)を歩いて宿へ。そして荷物を持ってメディナの外へ。タクシーで10分ほどでルアージュのステーションへ。チケット売り場でチケットを買って、8人(ドライバーを入れて9人)乗りのルアージュに乗車。オリーブ畑を見ながら走る。うつらうつらしていたら気持ち悪くなった。

70分弱で古都にしてイスラム教の聖地、ケロアンのルアージュ・ステーションに到着。タクシーで10分ほどで今日の宿へ。奮発してカスバの内部に作られた5つ星ホテルへ(といっても約6,800円)。チェックインに手間取っていたが、ウェルカム・ドリンクのレモネードとマクロウド(ナツメヤシのお菓子)に免じて許そう。

宿は5つ星だが、昼食はローカルなファーストフード店へ。「タスティーラ」という、刻んだ野菜に半熟卵とオリーブ・オイル、唐辛子を混ぜたスパイシーな具材とチキン。チキンは妙に柔らかい部分があり、そこはうまいが生っぽくて不安になる。周りの地元客は手で上手に食べているが、こちらは渡されたフォークで食べ始めるもうまくいかず(ナイフが欲しかった)、結局手で食べるが、イスラム教では不浄とされる左手を使いまくる大失態。しかもあちこち残ってしまい、挫折感を味わう。

食後、観光開始。「歩き方」に、観光地の共通チケットを売っていると記載されていた観光案内所に行くも無人。次いでアグラブ朝の貯水池へ。敷地入り口近くには遊園地が。そしてチケットなしで入れてしまう。丸いプールが大きいのが一つ、小さいのが二つある。9世紀から使われている貯水池のことだが、特に面白みもないし、池にはペットボトルがたくさん浮いていて汚らしい。

10分ほど歩いてシディ・サハブ霊廟へ。ムハンマドの専属の床屋だったとかいう聖者、アブ・ザマ・エル・ベラウィの霊廟。現在の建物はオスマン・トルコ治世下の17世紀のもの。スペインやイタリアの影響も受けているという。こちらもチケット売り場に人がいないので、ただで入る。入口から入るとタイルや透かし彫りなどの装飾の大軍。中庭も同様。肝心の霊廟がある部屋には異教徒は入れない。モスクもあり入って見たかったが、こちらも異教徒お断りであろう。何も言われなかったが遠慮しておく。

30分ほどで退散。メディナ(旧市街)へ向けて歩く。メディナの外側もいい感じの小道がたくさん。次いでシディ・アモール・アバダ霊廟へ。19世紀の聖人の聖廟らしいが、どちらかというとミニ博物館風。といっても、何の展示かさっぱりわからない。こちらもチケットは求められない。

そしていよいよメディナ内へ。まずは住宅街。次いで商店街。そして突然、にぎやかな通りに出たと思ったら、チュニス門へと至るメインストリート「1月14日通り」だった。チュニス門を出た後、メディナ内を逆方向に歩き、反対側のマルティール広場へ。広場に面したカフェでミント・ティで一休み。甘く、ミントも強烈。

再びメディナ内へ。異教徒も入れると聞いていたガリヤーニ廟はクローズ。次いで、ビル・バルータへ。「ビル」とは井戸という意味で、メッカへ通じているという怪しげな伝説があるところ。ラクダが井戸の周りを歩いてロープを引き、水をくみ上げる仕組みになっていて、地元の観光客たちが喜んでいる。

次いで「3つの扉のモスク」。こちらももともと中には入れないが、扉が開いてすらいない。さらにメディナを歩く。再び住宅街へ。青と白とベージュだけの世界。ただそれだけなのに魅力的。そしてこの街も猫が多い。さらに歩き、グレート・モスクにたどり着いた。もう異教徒は入れない時間。外から見るとこちらも要塞のようだ。

いったん、宿へ。Wifiが早くて感激する。部屋にはデーツ(ナツメヤシ)やマクロードなどが置かれている。さすが5つ星。夕食はメディナ内で食べようとするが、予約客のみだったり、見つからなかったりして、入れるところが見つからない。あきらめかけたところでチュニス広場近くに食堂を発見。メニューはただ一つ、「ラブラビ」のみ。パンをちぎってどんぶりに入れ、スープをかけ、赤いタレ(ハリッサ?)をかけ、生卵を落として、あとはぐちゃぐちゃにかき混ぜる。豆も入っていた。猫まんま状態だが・・・猫まんまはうまいに決まっている。不思議と飽きが来ない。辛くて鼻水が止まらなくなったが。

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2019年1月 8日 (火)

チュニジア旅行(2)スース、エル・ジェム

12月28日
6時40分頃、部屋を出る。が、朝食は7時半からとのこと。遅すぎる。外へ。開いていた立ち食いの軽食堂で、小麦粉を溶いたものを広げて油に入れて揚げるパンのようなものを。そこに卵も落としてもらう。揚げたてで美味だが、卵は半熟。大丈夫だろうか。手でちぎって食べるもののようだが、熱くて持てないので、犬食い状態。

ホテルに戻ると入口で「5分待て」といわれる。意味不明。仕方ないので、近くのカフェへ。ここでエスプレッソ。写真を撮っていたら冷めてしまったが、まともな味。路上の小さなテーブルと椅子でいただく。

ホテルに戻る。5分で朝食開始という意味だった。それはもういいです。7時45分、ホテルを出る。日が昇り、街に活気が出てきた。なんだかこちらもテンションが上がる。が、時間がないので速足で鉄道駅へ。切符売り場で手で「1」と示されたので、片道か一人分かと思ってイエスと答えてしまったが、1等車という意味だった。失敗。まあよいが。

定刻より15分遅れで列車が出発。スースの人々は黒、グレー、茶色など、彩度の低い地味な色合いの服を着ている人が多い。列車はオリーブ畑の車窓を進む。途中のM'Saken駅に着いたが、しばらく動かない。

・・・ずっと動かない。9時5分に目的地のエル・ジェム駅に到着予定のはずだが、その時刻を過ぎても動かない。そして10時35分、乗客が降りだす。「ビュス」と教えられる。列車は運休、代行バスに乗り換えるということのよう。しかし6両ぐらいある列車の乗客が1台のバスには乗り切れない。どうにか1台目に乗れたが(2台目が来るかどうか不明)、座れず。でも代行バスが出るだけましか。思ったよりオーガナイズドされた国。

10時50分ごろに代行バスが出発し、11時45分にエル・ジェムに到着。やれやれ。10分弱歩いて古代ローマのコロセウム(円形闘技場)に到着。早速、中へ。2世紀着工だそうで、よくもこんな巨大建造物が残っているものだ。まずは外壁(?)の一番上まで上る。町とコロセウムのアリーナが見渡せる。降りて、今度は地下へ。全体的に「構造物」感がすごい。大きな石のブロックを、割と複雑に積み上げて、巨大な構造物が出来上がっている。続いて、観客席へ。アリーナは意外に狭いのだが、それが間近に見られるいい設計。さぞや迫力があったであろう。
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エル・ジェムの円形闘技場

50分ほど滞在して外へ。コロセウムの周りを一周歩く。商売っ気のない土産屋や地元民向けの食堂などがちらほらと。その後、駅へ向かう通り沿いの「ファーストフード」との看板の食堂へ。薄いアラブパンというかクレープ状のものでチキン、野菜、玉ねぎ、ハリッサ(ニンニクとスパイスを混ぜたもの)、それにフライドポテトを包んでまるめて焼いたもの。火が中まで通っていない。そしてとても辛い。口の中が燃えるよう。鼻水も出る。オリーブがついてくる。この辺りはオリーブの産地。

食後、10分ほど歩いてエル・ジェム博物館へ。古代ローマ時代にここにあった都市、シスドラスの2~3世紀のモザイクの展示がメイン。絵画のように壁にかけて展示。巨大なものもあり迫力がある。ローマ神話を題材としたものが多い。モザイクは結局、線画なので、神々の顔の表情が漫画のようでユーモラス。一方、虎が馬を、ライオンがイノシシを襲うモザイクなどは割と写実的。博物館の建物の外には、金持ちの屋敷跡の遺跡が。

30分強滞在して外へ。バスターミナルを探すが見つからない。20分ほどさまよい、結局地図アプリmaps.meの力を借りて乗り合いタクシーというかミニバス「ルアージュ」のターミナルへ。20分弱待ったところで満席(8人)になり、出発。オリーブ畑の中を走っていく。うつらうつらしていると、アラブ風の音楽が流れだした。

1時間でスースのルアージュのターミナルに到着。タクシーで5分ほどでスース考古学博物館へ。メディナ(旧市街)のカスバの中に作られたような感じで、エル・ジェムの博物館と比較して豪華な感じ。こちらも2~3世紀の古代ローマのモザイクがメイン。展示品はエル・ジェムのほうがよかった気がする。解説はこちらのほうが丁寧で、全部読む気が失せるほど長い。ビザンツ時代の6世紀の洗礼水盤は、複雑な形状の内部もモザイクで覆われていて、見ごたえがある。中庭の城壁からは一応海と街が見える。

40分弱滞在して外へ。そしてメディナの中へ。住宅街といった感じで、魅力的な路地が続く。白い壁に青いドア、壁ははげているところも多いが、観光地然としていないところがかえって好ましい。暗くなり始めた。アザーンが聞こえる。ほぼ閉店といった感じのアーケード街を抜けると、服などのスーク(市場、商店街)。人通りが多く、にぎやか。昨晩も探したレストラン(歩き方掲載)が見つかったが、閉まっている。

悩んだが結局、メディナから出て駅のほうへと歩く。もう一つの目当てのレストラン(歩き方掲載)を探すが見つからない。面倒になって、通り沿いのレストランへ。ここも歩き方に掲載されていた。入ると煙草の煙が目に染みる。ラムのクスクスとファンタを注文。周りはビールやワインを飲んでいる人多数。これだけ酒を飲むムスリムの国がほかにあるだろうか。突き出しに小さな焼き魚とオリーブとトマトが出てきた。昨日のオリーブはうまかったと実感。魚はうまい。そしてぬるめのファンタがうまいと感じる自分に、疲労の蓄積を感じる。クスクスはラムとポテトと人参と豆がのっかっていたが、クスクス自体は単調な味で、辛く、最後は頑張ってファンタで流し込む感じ。

メディナ内に戻り、カフェで食後のフィルター・コーヒー。ペットボトルのアイスコーヒーを温めたような味。

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2019年1月 5日 (土)

チュニジア旅行(1)チュニス→スース

2018年12月26日(水)
成田エクスプレスで成田へ。車内で搭乗予定のカタール航空機が予定より20分早く出発と知る。しかし実際には予定より20分遅れて22時40分にカタール航空機が離陸。機内にはマンゴージュースを搭載。濃厚でこれぞ中東の味。

12月27日
5時15分(日本時間11時15分)、カタールのドーハに着陸。まあまあ眠れたほうか。ターミナル内はなかなか椅子がみつからない。Wifiもなかなかつながらない。そして搭乗予定の便がなかなか掲示板に表示されない。9時発で8時搭乗開始予定なのに、7時55分にようやく表示。遅いと思ったら9時50分に延発とのこと。とりあえずゲートの近くに移動し、その近くのカフェスタンドでピザみたいなものとトルココーヒー。45カタール・リラ(約1400円)とバカ高い。

結局、定刻より70分近く遅れで離陸。チュニスまでは約6時間。ドーハから直線でまっすぐ飛ばず、まずペルシャ湾、続いてイランとイラクの国境辺りを北上したのち、トルコを西進し、地中海に出るルートを飛んでいる。カタールはサウジアラビアと断行中で、その影響でサウジ上空を飛べないということか。

14時(カタール時間16時)ごろ、チュニジアの首都、チュニスに着陸。14時45分ごろ、タクシー乗り場へ。タクシーで駅に行き、そこからスースという町に移動する計画。1台目はスースに行くなら直接行ってやるとか、40ユーロだとかめちゃくちゃ言ってくるので回避。3台目がまともだったので乗車。

しかし、乗車後メーターをと言ったら、空港のガレージがなんたらで6ユーロだ、料金表で決まっているとかとか言い出す。冗談ではない。だったら降りる、止めろというと、ポリスだ何だと騒ぐ。片言の英語と身振り手振りで料金表があるならその紙を見せろと言うと、最初は抵抗していたが、しぶしぶ取り出す。我ながらよく通じたものだ(ドライバーは英語をほとんど話さず、こちらはアラビア語もフランス語もほとんど話せない)。料金表の写真を撮ろうとするとだめだという。腹が立ったので、フランス語の方を全部手書きでメモ。

そのあとも荷物は1つ1ディナールだから、2ディナールだとか言い出す。手持ちのバッグはスモールだ、プチだ、だから別料金の対象外だとこちらも抗議(料金表には45㎝の何とかの場合は1つにつき1ディナールとのとの表記があった)。まったくもって面倒。

その後気分も落ち着いた(?)ドライバーが「撮っていい」と再び料金表を取り出した。ぼったくりはあきらめたらしい。車内でスマホの地図アプリを見ていたら、「GPS?」と聞かれる。遠回りするなという牽制になったようだ(そういうつもりではなかったのだが)。

15時15分ごろ、中心部のバルセロナ広場に面した鉄道駅に到着。そして15時40分発のスース行き列車に乗車。奮発して1等車に(それでも10.9ディナール(約400円))。おんぼろの車両だが、激しくリクライニングする。そして満席。車窓の白い家に夕日が当たり、淡いオレンジ色に輝いている。車内は暑いのだが、地元の乗客たちは、厚めの上着を着ている。寒くなるのか。

うつらうつらしていうるちに18時35分(定刻より45分ほど遅れ)、サヘル地方の中心都市、スースに到着。もう真っ暗。そして確かに寒い。

メディナ(旧市街)内の予約した宿へ。メディナの入り口はどこか、そしてメディナ内で宿はどこか、迷うが、地図アプリの力を借りて何とか20分ほどかけて到着。荷物を置いて外へ。道端にはやたら猫がいる。メディナ内のレストランに行こうとするが、どうしてもたどり着かない。あきらめてメディナの外へ。車の多い道には、ヨーロッパによくあるような、歩道上にテーブルを広げたレストランが並ぶ。ツーリスティックすぎると思い、さらに歩くが、ほかに見つからない。結局、そのあたりに戻り、歩道沿いではなくレストラン本体の2階に上がって食事。

魚料理とレモネードを注文したが、間違って(?)ビールも来た。押し売りか。でも面倒なのでそのまま飲む。さっぱりしていてかつ苦みもあってまあよい。地元の人もビールやワインをたしなんでいる。ムスリムのはずなのだが。さらに「フリー」といって、突き出しのような感じで、春巻きなどが出てきた。こちらもまあまあうまい。メインの鯛のような魚もおいしくいただいた。チュニジアらしくはなかったか。パンはフランスパン。

食後、メディナに戻る。ライトアップというか街灯が道を照らし、雰囲気がある。そして若い女性二人組が普通に歩いているぐらいの治安の良さ。宿はトイレの水がたまらず、Wifiは弱く、シャワーも弱弱しい。まあ値段を考えれば、それでも良いほうか。
Sousse_grand_mosque_at_night
旧市街(メディナ)内のグランド・モスク【スース】

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2019年1月 2日 (水)

再訪の地(19)ドバイ

アラブ首長国連邦のドバイといえばとにかくバブリーで超高層ビルなどが建てられまくっているイメージだが、以下は2008年1月の写真。世界一高い超高層ビル、ブルジュ・ハリファがまだ建設中。
Dubai_jan_2008
ドバイ、2008年1月。
1年後再訪した際には、ブルジュ・ハリファはだいぶできてきたが、そのほかにも多くのビルが建設中であった。
Dubai_jan_2009
ドバイ、2009年1月。

それから10年たったが、ドバイの酔狂はまだ続いているのだろうか。

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2018年12月30日 (日)

再訪の地(18)タシケント

ウズベキスタンの首都、タシケントのチョルス―・バザールは、ドーム型の建物を中心に生鮮食品などの市場が広がる。2003年往訪時のそのメインの建物の内部がこちら。切った野菜を売っていた。
Chorsu_bazaar_tashkent_may_2003
チョルスー・バザール、2003年5月【タシケント】
15年後訪れると、周りの道路の交通量が激増していたことにまず驚いた。以前は周りの空き地でサーカスが公演をしていたのだが。
そして、中に入ってさらに驚いた。建物の構造は何も変わっていないのだが、中に設置された屋台に、冷蔵ケースと思しきものが多く設置されていたのだ。15年間で、大いに経済発展したのだなと感じた瞬間だった。
Chorsu_bazaar_tashkent_sep_2018
チョルスー・バザール、2018年8月【タシケント】

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2018年12月27日 (木)

再訪の地(17)ブハラ

ウズベキスタンの古都、ブハラ。美しいモスクやメドレセ(神学校)の建築物が多く立ち並ぶ街。宗教的建築物だけでなく、「タキ」と呼ばれる丸屋根で覆った、屋内のバザールもいくつか残っており、見どころとなっている(そして土産屋として活用されている)。宝石のバザール「タキ・ザルガラン」もその一つ。
Taki_zargaron_apr_2003
2003年4月のタキ・ザルガラン【ブハラ】
15年後に再訪したブハラの街は、個々の建物の美しさは前と変わっていなかったが、道路はすべて舗装され、周囲に広場などが整備されて小ぎれいになり、時の流れを感じさせられた。
Taki_zargaron_sep_2018
2018年9月のタキ・ザルガラン【ブハラ】

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2018年12月24日 (月)

再訪の地(16)オスロ

ノルウェーの首都の中央駅から王宮までを結ぶカール・ヨハン通り。道沿いには国会議事堂やオスロ大学、国立劇場などもある、オスロのメイン・ストリート。以下は王宮に向かって撮った一枚。
Karl_johans_gate_oct_2002
カールヨハン通り、2002年10月【オスロ】
15年後に再訪。季節のせいか、時間のせいか、天気のせいか、以前よりも華やいでいた印象。
Karl_johans_gate_aug_2017
カールヨハン通り、2017年8月【オスロ】

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