« 2017年4月 | トップページ | 2017年6月 »

2017年5月29日 (月)

セネガル旅行(6)ダカール、ゴレ島

5月7日
歯ブラシに小さいゴキブリが挟まっていた。割ときれいなホテルだと思ったのだが。そんな朝。朝食を兼ねて周囲のプラトー地区の散歩へ。裏通り感あふれる通りから、開店準備中の常設屋台を横目に歩きながら、この都市最大の目抜き通り、ポンピドゥー通り(Avenue George Pompidou)へ。大きな街路樹もあり、多少の風格はあるが、まだ店が始まっていない時間であることもあって、なんとなくわびしい。ゴミも多い。

何やら親し気に話しかけてくる男が。アーチストを自称。この町の父と呼ばれ、町のみんなに尊敬されていると自称。勝手についてきて、街をガイドしているつもりらしい。予想通り店に来いという話になったので、興味がないというと、ビジネスカードを渡すから来いと。ビジネスカードぐらい持ち歩けばいい。断ると、コーヒーをおごれと。断ると、なぜだと。おごる理由が一分もない。面倒くさい。

流れでこの都市の中心部ともいえる独立広場(Place de l’Indépendance)へ。コロニアル建築がいくつかあり、高層建築も工事中だが、中心感をあまり感じない。そして座って朝食を取れる店がなかなか見つからない。結局、朝から開いているパブへ。朝からビールを飲んでいる白人客が。今日は日曜日。ここでクローク・ムッシュとカフェオレの朝食。

ホテルに戻りチェックアウト。朝食どうぞと今更言われる。先に言ってくれ。外へ。チェーンのスーパー・マーケットがあったので入ってみる。外国人・富裕層向けのようでセネガルらしさに欠ける。出て歩いていると、久しぶり、昨日は警備の制服を着ていたけど、今日は非番だから私服なんだ、わからなかったかい、と親し気に話しかけてくる男が。いや、初めて会うと思いますけど。店に誘うまでもなく、何かをせびるわけでもなく、今夜必ず会おうと言って去って行った。謎。

謎の男に入り口を教えてもらって、今日の目的地、ゴレ島(Île de Gorée)に行くフェリー乗り場に到着。謎男はフェリーは10時半発だと言う。それで思い出した。フェリーの時刻表を調べてきたのだった。見ると日曜午前は7時、9時、10時、12時のみだった。時計を見ると、10時3分。これはまずいと焦る。が、それほど時間通りでもないようで、結局、10時15分過ぎに出港したフェリーに無事乗船。

20分ほどでゴレ島に到着。桟橋近くにちょっとしたビーチがある。海の水がきれい。細い路地へ入っていくと、奴隷解放の像(La Statue de la Libération de l’Esclavage)が。近くの「奴隷の家」(Maison des Esclaves)の入り口に11時15分にオープンとの表示があったので、それまであたりをぶらつく。視察っぽい団体客が入って行った建物について行ってみると、そこはサンドアートの店。様々な色の天然の砂と、人工的に染めた砂とを使って、絵を描いているという。

そしてこの島一番の観光スポット、1786年建造の「奴隷の家」へ。ゴレ島は西欧列強が貿易の拠点としていたところで、特に大西洋奴隷貿易の拠点となっていたことで知られる。この奴隷の家は2階建てで、1階には奴隷が収容されていた窓のない部屋や、奴隷としてアメリカ大陸に送られる際に通ったという「帰らずの扉」などが、2階には奴隷貿易に関する説明パネル(フランス語)や拘束具、銃などが展示されている。――ということになっている。

しかし、渡航前に読んだ本の説明は違った。フランス人男性と現地人女性の間にできた混血女性は「シニャール」と呼ばれるが、中にはヨーロッパ人との接触を通じて裕福になった者もいた。そして「奴隷の館」は、そうしたシニャールの所有した家で、奴隷が収容されていたわけではないというのである。そう言われてみると、中庭から2階までは対になる曲線の階段だったりと洒落れたつくりだったりして、奴隷収容所にはみえない。

そのため、なんとなく冷めた気分で展示を鑑賞。「『罰を与えるための部屋』だった狭い部屋に入ったマンデラが、10分間泣いていた」といった新しい伝説も語られていた。いずれにしても、この島が奴隷交易の中心地となり、大勢のアフリカの人々が奴隷として集められ、大西洋を渡って過酷な労働にさらされた(あるいはその前に命を落とした)のは事実であろう。様々なメッセージも寄せられており、その中にあった「先祖が生き残りの才能を授けてくれたんだ、だから我々は強いんだ」という文章が印象に残った。

なんだかんだで30分ほど見学した後、外へ出て路地めぐり。カラフルに塗られた壁に、木の窓扉、大きな樹木が木陰をつくり、あちこちに花々が咲く。ゴミも落ちておらず、車も走らない小島。美しく、静か。歩いているといつの間に島の南端のCastelという小高い丘へ。付近はアート市場といった趣で、道沿いに小洒落れた絵などが並ぶ。丘の上には第二次大戦中に使われたという砲台が。ここもアートというか土産物というかの展示場に。リモコンなどのちょっとしたごみを使った作品が並ぶ。周りには人々が住み着いている。
Le_de_gore
南国コロニアルな路地【ゴレ島】

疲労感を覚え、丘の上の食堂へ。バオバブのジュース「ブイ」がドロッと甘く冷たくおいしい。米がないと言うので、フレンチフライと鶏肉を。ピーナッツも出てきた。落花生はフランス植民地時代以来、この国の特産品である。ぱさぱさのチキンに、まあまあな玉ねぎの昼食。

食後、丘を降りる。牛、ヤギ、アヒルに鶏、そこに野生のサギがやってきて、牛の体をつついている。空にはトビが飛び交い、地面をトカゲが走る。30分弱歩き、島の北端にあるIFANゴレ歴史博物館(IFAN Musée historique de Gorée)へ。1856年に完成した円形の砦(Fort d’Estrées)を使った建物で、屋上には砲台が並ぶ。内部の展示は石器時代からセネガル独立までと幅広い。写真を使った展示ばかり。もちろんフランス語。

20分ほどで退散。後は適当に島内をぶらつく。強い日差しにカラフルな壁の家々が映える。フォトジェニックな路地が多い。そして14時半発のフェリーで、20分ほどでダカールに戻る。朝と同じスーパーで水とジュースを買う。お釣りが20セーファーフラン(約4円)だったが、つり銭がなくて、キャンディを渡される。朝、同じシチュエーションになったときには50フラン(約9円)を渡された。いろいろ適当。

飲み終わったジュースの空き瓶を持って歩いていたら、シーシーと口を鳴らして呼び止められる。道端のポリバケツがごみ箱だと教えられる。そういうところは親切。ゴミ箱があるのもダカール中心部ならでは。2013年の火災の後はあまり活気がないというサンダガ市場(Marché Sandaga)を通り抜ける。市場として明確なエリアがあるというより、道端に出店が並んでいるタイプで、市場だかただの道だかよくわからない。

独立広場近くのバス停から7番バスに乗車。30分ほど乗車し、ワッカムあたりであらぬ方向にバスが進み始めたところで下車。次に目指すはアフリカ・ルネサンスの像(Le Monument de la Renaissance Africaine)。高さ52mの像が丘の上に立っているはず。少し歩くと見えてきた。像を目指して歩くが、スマホの地図をみても道がどうなっているのかよくわからない。丘の近くを通る高架道路があり、そこから道が伸びているように見えたので、近づいてみると、排水路だった。登れないこともなさそうだが、かなり無理しないと無理。

試行錯誤しながら30分ほど歩いて、ようやく像から伸びる階段の下のエリアに到着。横から見てもなんだかよくわからなかったが、正面から見ると、アフリカ人親子3人が風を切って空を見上げている姿。銅像建設に定評があるとされる北朝鮮の建設会社が建造した像で(デザインはセネガル人建築家のピエール・グジャビ・アテパ(Pierre Goudiaby Atepa))、多額の費用を要したことで論争を呼び、建造を提唱した当時の大統領アブドゥライ・ワッド(Maître Abdoulaye Wade)は、像の完成2年後の大統領選に敗れている。が、今となっては人気スポットのようで、記念撮影している地元民多数。威風堂々たる像ではあるが、イスラムの国の像の割には肌の露出が多い気もする。その辺はおおらかなのだろう。

階段を5分ほどかかって上って、像の台座部分に到着。像の中に入って上に上がることもできるらしいが、外国人料金は6500フラン(1200円)とのことなので遠慮。像の立つ丘の上も展望台になっていて、ダカール市内が一望。もっとも、一望して面白かったり美しかったりする町ではない。ただ、岬の先端にあるまちで、三方を海に囲まれているさまはよくわかる。また、空港が市街地の中にあるのもよくわかる。

その後、バス通りに出て、3番バスに乗車。スマホ地図上であらぬ方向に進み始めたと思ったら、終点のバスターミナル「Terminus Petersen」。周りは道路に文字通り店を広げている人も多く、市場と化している。フライパンのような鍋に砂を入れて落花生を炒って売っている人も。が、道路はゴミだらけ。そういう時に限ってかぶっていた帽子が風で飛ばされ、内側から着地。再び被る気が失せるほど汚い。

40分弱歩いて、プラトー地区の食堂へ。スマホ片手にGoogle翻訳でいろいろメニューの解説を受けるが、セネガル名物の料理は片っ端から「finish」といわれ、結局、オクラソースの魚(Sauce Gombo Poisson)と、キャッサバの団子というか餅のようなもの(foutou)、それにビサップを注文。魚はうまいとは思うが、粘り気あるオクラソースにまみれて、ますます小骨を取るのが大変。

ホテルに戻って荷物をピックアップして、サンダガ市場近くのバス停へ。セネガル人ドライバーは歩行者に道を譲ったりしてマナーが良いが、高級SUVを乗り回す白人ドライバーは狭い道を減速せずに走りマナーが悪いと感じるのは偏見であろうか。なかなか空港行のバスが来ないので、20分弱待ったところで断念しタクシーに。ようやく慣れてきてフランス語で金額を言って値段交渉。しかしこれが最後のタクシー。20分強で空港へ。ただいま20時45分。パリ行のエールフランスは22時45分。ちょうどよかった。

――と、思ったが、ここからが長い。まずターミナルに入る際の荷物チェックで行列。さらにエール・フランスのチェックインでさらに長い行列。次いで入国審査前の荷物チェックで行列。何やら放送が流れるがすべてフランス語で状況を把握できない。そのうえすぐ後ろの白人中年女性のおしゃべりがとめどなく、全く放送が聞こえない(聞こえても意味は分からないが)。入国審査が終わった頃にはもう22時45分。土産物を物色する間もなく走ってゲートへ。と思ったが、ターミナル内で道に迷う。が、何とか正しい道(通路か)を見つけ、走る。間に合った。というか、約1時間遅れで離陸。やれやれ。

| | コメント (0)

2017年5月26日 (金)

セネガル旅行(5)サンルイ、ダカール

5月6日
ヨーロッパ風カフェでクロワッサンとカフェオレの朝食後、サンルイ北部の街歩き。直射日光は強いが日陰に入れば涼やか。微妙な廃墟感が漂うコロニアルな街並み。街中にもバオバブの木が生えている。この国で大きな影響力を持つイスラム教の一派である「ムリッド教(Muridiyya)」団の創始者、アーマド・バンバ(Amadu Bamba)の写真を模したイラストが家や舟に描かれているのをよく見る。信仰の証なのであろうか。小さなカーペットを敷いて、一人で何やら唱和したり、書物(コーラン?)を呼んでいる姿もよく見かける。
Saintlouis_in_senegal
サンルイの街並み

ゴミ箱があちこちに設置され、家庭ごみもそこに入れている。ゴミ回収車がそれを回収していた。隣の漁村の砂州はゴミだらけだったが、こちらは路上のごみは少ない。海辺に出ると、白馬が。なんとなく不思議な絵。島の北端にはアシのような草が生えていて、サギのような鳥が飛んでいる。海沿いの道にテントの屋根が貼られ、市場になっていたので、通ってみる。布製品や化粧品の市場のようだ。木の小枝をくわえて街を歩いたり、たたずんでいる姿をよく見かける。歯磨き用の枝らしい。

昼食は「レストラン」という表示にひかれてのれんのようなものをくぐる。入ると、トタン屋根の下、一つの四角いテーブルを囲んで一辺は調理場所で、残り三辺に客が陣取り、それで終わりという、小さな部屋。超ローカルな感じ。刻んだ鶏肉と玉ねぎとジャガイモを炒めたものと、新聞紙に包んだバゲット、それに甘いカフェオレ(ネスカフェ製)を。小さなゴキブリが隅を歩いているが、不思議とハエがたかってこない。天井で回るファンのおかげだろうか。

ホテルに戻って、タクシーを捕まえ、バス・ターミナル(Gare routière)へ。ホテルのスタッフ曰く、ターミナルまでタクシーは500セーファーフラン(約90円)だというので、その値段で押し通す。途中で別の客が乗り、また降りて行ったが(しかも金を払っていない)まあよい。15分ほどで到着。

タクシーの運転手にダカールに行くと言ったら、ダカール行きのセット・プラス(乗り合いタクシー)乗り場の前まで行ってくれた。本日も最後列。セット・プラスの車内の写真を撮っていたら、先に乗っていた中年男性がタブレットを持ち出して、珍しいアジア人の写真を撮影。お互い様。若い軍人も乗り込んできた。その場で買ったココナッツのお菓子のようなものくれた。その流れで、同じ売り子(中年女性だが)からこちらも砂糖菓子のようなものを買ってみる。軍人曰く「バオバブの種」とのことだったが、食べてみるとしょうがの塊のような感じで、とてもたくさん食べられない。袋には「buiscuit de pain singe et de gingimbre」と。バオバブの実としょうがのビスケット、といった意味だろうか。

13時10分に7人の乗客(+ドライバー)を乗せて出発。今回は足を降ろせるから多少は楽。早速ガソリンスタンドへ。その後は、道路の状態も良く、ずっと飛ばす。途中でサービスエリアで休憩、といったことはしないが、売り子がたむろしているあたりで止まって、(運転手は用を足したり、タイヤのねじを締めたりしている間に)売り子が商売をする。相互扶助というか。おかげで客は車を降りることなく(降りたいのだが)買い物ができる(買い物はしたくないのだが)。

3時間弱でダカール郊外の街、Thiresに入る。ラジオを流し始めた。宗教系の歌のようだが、時折絶叫が入り混じり、割とかっこいい。ここらあたりから交通量が増え、スピードが落ちる。途中、運転手が買い物に行ったりして(同乗のセネガル人が怒っていた)、さらに歩みが遅くなり、ダカールのバス・ターミナルについたのは17時50分過ぎ。

ここから今夜の宿を取った中心部「プラトー(Plateau)」地区までは路線バスがあるはずである。しかしターミナルのバス乗り場に行っても該当する路線番号が書いていない。どうやら、プラトーまで行くバスはここが終点ではなく、近くの道路を通るだけらしい。そうなるとバスを見つける難易度が途端に高くなる。何度か周りの人に聞いたが、タクシーに連れていかれてしまう。周りの道路をうろうろしていたら、プラトーに行く番号のバスが通ったが、通り過ぎた。バスが通りそうな場所を何種類か変えて待ってみたが、その後は一度も求めるバスが通らない。

結局、1時間ほど無駄に過ごしたのち、諦めてタクシーに乗車。日が傾いてきた。そして渋滞。しかし高速道路に入ると、空いており快適に走行。20分ほどでプラトー地区のホテルに到着。降りる際、高速代を出せといわれるのかと思ったが、そうではなく荷物代を出せと来た。そうならそうと最初に言ってくれ。丁重にお断り。

時折白人が歩いたり、自転車に乗ったり、高級車に乗ったりしているのが見える、そんな場所。夕食はガイドブック掲載の食堂へ。まずローカルなジュースとして、ブイ(バオバブ)、ビサップ(ハイビスカス)、そしてショウガを薦められる。先ほどの菓子のリベンジと思い、生姜ジュースを注文したが、これが強烈。先ほどの菓子は甘辛かったが、これは辛いだけ。二口でギブアップ。結局、ビールを注文。料理は、チェブ・ジェン(thieboudienne)という、炊き込みご飯と魚。付け合わせのポテトとニンジンが甘みを感じさせてうまい。魚は骨だらけ。意地で食べる。そしてビールの炭酸込みで満腹。

| | コメント (0)

2017年5月23日 (火)

セネガル旅行(4)ダカール、サンルイ

5月5日
トイレなしの部屋になったおかげでディスカウントしてもらい、チェックアウト。「あなた、フランス語全くしゃべれないの?」とバカにされつつ、バスターミナルに行く際にタクシー・ドライバーに見せる行き先を書いてもらう。が、そこに書いてもらった地名「ピキン(Pikine)」行きのバス(35番)を見つけ、乗車。車内にはラジオが流れる。運転台近くにセネガル相撲のポスターが。30分ほど乗車したところで、バスターミナルと離れた方向に進み始めたので、慌てて下車。スマホの地図頼りにバスターミナルに向かって歩く。

あたりは牧畜エリアなのか、やたらヤギやら馬やらがいる。普通に馬車が走っている。出店がたくさん出ている線路を渡ると、警笛が。なんと列車が来る。現役の鉄道であった。さらにバスターミナルに近づいていくと、路上が市場。前から気になっていた「ネスカフェ」と書いた、人ひとりの幅ぐらいの小さな屋台へ。ここでコーヒーを注文。小さなプラスチックカップにたっぷりの砂糖とポットからコーヒーを入れ、それを高い位置から別のカップに注ぐ、というのを繰り返して渡される。コーヒーを飲みほして、周りをうろうろ。なんか楽しい。

バスを降りて40分ほどで、ボー・マレシェ(Baux Maraîchers)にあるバス・ターミナル(Gare routière)に到着。ここで、サン・ルイに向かうセットプラス(Sept-place、乗り合いタクシー)を探す。「サンルイ」の発音が全く通じないので、書いて見せて案内してもらい、乗り場へ。3列シートのワゴン車に、助手席1人、2列目3人、3列目3人で乗車するのでフランス語で7席を意味する「セットプラス」と呼ばれている。だいぶ年季の入ったプジョー505で、席はボロボロ、天井も一部破けている。席は3列目をあてがわれたが、これが想像以上に狭く、3人並んで座る上に、前の席との間が狭すぎて足を降ろせず、ひざを曲げて体育座りというかヤンキー座りするような格好。これはつらい。

10時15分頃出発。すぐにガソリンスタンドへ。いつも思うのだがなぜ給油してから客を乗せないのだろうか。2列目に座っている女性は、子供を抱えていることに気づいた。すごい。ダカール市内は渋滞気味。そこにサッカーボール売りがやってくる。そんなもの車から買う奴いないだろうと思っていたら、この車の運転手が買っていた。わからないものだ。

ダカール近郊のThiresという街を抜けるあたりから車窓はバオバブの木が時々みえる荒れ地に。ヤシの林が見えることも。車も少なくなり、スピードも上がる。しかし、出発から2時間ぐらいのところで突然路上で停車。運転手が降りてどうも車の下にもぐっている(身動き取れないのでよく見えない)。3列目の窓は開かないので、停まると風が入らなくなり蒸し暑い(当然エアコンなどない)。

5分ほどで走り出したが、10分ほどさらに走ったところでまたストップ。足をずっと曲げているのがつらかったので、思い切って足を隙間にねじ込んで降ろしてみる。何とか降ろせたが、席と席の間に足が挟まって全く動かせなくなる。ただともかく姿勢を変えたかったのだ。その後また走り出してはストップの繰り返し。何やらシフトレバーを取り外して、またつけている。何事なのだろう。古い車だけのことはある。横を真新しいレンジローバーが走り去っていく。ああ、格差社会。

13時ごろ、Meckheという街の、自動車整備工場が並んでいるような通りの前でストップ。外から男がやってきた。修理屋のようだ。時間がかかりそうだ。一部の客が降ろせと騒ぎ出し、降りれることに。周りには物売りもいる。ビニール袋に入れられた揚げ菓子のようなものを買ってみる。ほのかに甘い。これが昼食替わり。無性にトイレに行きたくなってきた。しかし、トイレを貸してくれそうな食堂や店はない。困ってさまよっていると、少女に話しかけられる。オートワレ?――え、なんといった?トイレ?そういうと、うなずく。これぞ、天の助け。民家(?)の門をくぐり、中庭にあるトイレを借りる。ありがたい。

45分後、修理が終わり、出発。砂地にアカシアのような木が生えている景色が続く車窓。時折、並走している線路が見える。ダカールとサンルイを結ぶ鉄道と思われるが、もう使われていないようで、砂に埋もれていたり、真ん中に木が立っていたりする。そして15時40分頃、サンルイのバスターミナルに到着。

ここからはタクシーに乗り換え。ガイドブックには町まで定額で600フランと書いてあったが、全くこちらの値切りに応じない。結局、1500フラン(約280円)。しかも、別の客が乗っていた。ただ、そのおかげでその客の行き先である住宅街を見ることができた。子供たちが路上で遊び、ヤギがうろつく。その後、目的地のサンルイの旧市街へ。20分ほどで到着。

ホテルにチェックイン後、街並みの散策開始。サンルイはセネガル川河口にある細長い三角州で、1659年にフランスが初めて商館を建設し、その後フランス領西アフリカの首都となったところ(1902年まで)。植民地時代の建物が残ることで知られる。雑貨店でオレンジジュースの100ml入りビニールパックを売っていたので面白いと思って購入。しかし店員の愛想がひどく悪い。そして飲み終わったパックは、周囲の子供たちに奪われた。

まず本土との間を結ぶフェデルブ橋(Pont Faidherbe)のたもとへ。そのあとは島の南部をぶらぶら歩く。大きな建物は植民地と関係なさそうなモスクぐらいで、あとは小さな古い(といっても19世紀のものが多そうだが)建物が並ぶ。いい感じの街並みだが、それほど観光化されていないのが好ましい。川にはペリカンなど水鳥も見える。CRDS博物館(Musée du Centre de Recherche et de Documentaion de Sénégal)では、人類の歴史についてのフランス語での常設展と、企画展として抽象画を展示。

西岸からは対岸が見える。漁師の小舟がずらっと並ぶ。こちらまで喧騒が聞こえてくる。それに惹かれるように橋を渡ってそちら側へ。ゴミだらけ。漁港にヤギ、そして馬がいる風景がシュール。海沿いを歩いた後、ちょっと奥の通りへ。女子はゴム飛び、男子はサッカーで遊ぶ。植民地時代の建物はなく、観光客は一切いない。大変ローカルな雰囲気で、写真を撮るのがためらわれる。子供に頼まれて写真を撮ろうとしたら、大人の女性に怒られた。とはいえ、歩いて、見ているだけで面白い。子供たちからは侮蔑的に「シノワ」(中国)とはやされることもあったが。
Ndar
サンルイ対岸の漁師町(右はサンルイ)

サンルイに戻り、割と立派な洋館を写真を撮ろうとしたら、なぜか守衛(軍人?)に止められる。何か重要施設だったのだろうか。そして夕食へ。まずは「ビサップ(Bissap)」という、ハイビスカスの花のガクを煎じた飲み物。砂糖たっぷりで甘い。そして「ヤッサ・ポワソン(Yassa Poisson)」。ライスと玉ねぎソース(ソースというか玉ねぎだらけだったが)をかけた魚。魚はおいしかった。しかし、接客にやる気なし。

ホテルに戻る。ビールが飲みたくなり、ホテルのバーに行ってみるが白人の団体(?)客が占領していて入りにくい。ホテルを出る。路上で音楽が鳴り、人々がテントの下に集まっている。どうもイスラム教関係の集会のような感じ。それを遠巻きに見た後、客引きに乗って食堂へ。ビールだけ頼んだら露骨にがっかりされた。「ガゼル(La Gazelle)」というセネガル産のビールを飲む。薄味で、暑い気候にあっていてうまい。イスラム教徒が大半の国なのにビールは国産である。しかしこういうのを飲んでいる外国人を、好ましく思っていない人もいるのではないか。サンルイでは地元の人たちの態度から観光客をあまり歓迎していないような空気を感じ、そんなことを考えた。

| | コメント (0)

2017年5月20日 (土)

セネガル旅行(3)ラック・ローズ、ダカール

5月4日
61番小型バスに乗車。運賃は車体の中ほどにある格子窓に仕切られた小部屋にいる車掌に払う。車掌から遠い場合は乗客同士でお金と発券されたチケットをリレーして払っている。1時間ほど乗車して、ここはクール・マッサー(Keur Massar)かとほかの客に聞いてうなずかれたところで下車。T字路を中心に市が立ち、賑わっているが、次のバスのバス停がどこかわからない。バス停を探してうろうろしているとお目当ての73番小型バスに来たので乗車。完全に止まってくれないので、文字通り飛び乗る。

10時10分頃、ラック・ローズ(Lac Rose)に到着。フランス語(セネガルは旧フランス植民地で、「公用語」はフランス語)でピンク色の湖という意味で、湖面がピンク色になるとのことで、それを見に来たのだ。しかしどう見てもピンクではなく、黒。湖岸の一部は草が生えていて、放牧されたヤギが牛が草をはむ。そのため、フンだらけ。

そのうちピンクになるのではないかと淡い期待をいただきながら湖岸を歩く。勧誘にのってボートに乗ることに。ここは以上に塩分濃度が高い塩湖で、1tの水から380kgの塩が取れると勝手ガイド達は解説する(彼らの説明は、特に数値はバラバラで信ぴょう性に欠けるのだが、380kgという数値は一致)。湖底には塩が堆積しており、それをさらって集めているボートがそこかしこに。塩さらいをしているのはマリ人が多いらしく、水が体に悪いとのことで、肌にシア・バターを塗っているという。

湖上に出れば光の加減でピンクになるのではと淡く期待したが、やはり黒い。見ようによっては赤黒く見えなくもない、という程度。赤くなるのは塩湖で繁殖するドナリエラという藻の一種が、生育条件によっては赤色のカロテノイドを細胞内に蓄積するためである。事前にネットで情報収集した結果、乾期(それも4月下旬~5月上旬)で、風の強い晴天で、昼頃~午後、という条件がピンクになりやすいと判断したのだが、これら条件はほぼすべてクリアしている。なのに黒いとは残念な限り。ボートは10分2000セーファーフラン(約370円)で交渉成立だったのだが、実際には20分ほど乗せてくれた。
Lac_rose
写真では実物以上に色が強調されるという事例【ラック・ローズ】

その後再び、湖を眺めながら湖岸を歩く。湖で採った塩は湖岸に積まれ、白~灰色の山となっている。これらを袋詰めしてトラックに載せて出荷している。湖岸には真水が出るという泉がところどころあり(なめてみろと言われたが、澄んだ水の下にごみが堆積しているのでご遠慮申し上げた)、塩湖のそばというのに不思議。一方で、湖以上に赤黒く濁った水たまりもあったので、こちらは塩水なのだろう。

歩いていると勝手ガイド、ボート乗り、そして土産屋が声をかけてくる。ガイドとボードは男性、土産屋は女性というのが、当地の性別役割分担らしい。土産屋はまずキーホルダー等の小物をプレゼントと称して渡したうえで(最終的にはすべて返却したが)、うちの店に来い、何か買えと進む。さらに、1ユーロくれ、1フランくれ、ペンをくれ、キャンディをくれと進んだ場合もあった。

2時間ほど歩いたのち、バス停のほうに戻り、近くの集落へ。そこで昼食。「ヤッサ・プレ」(Yassa Poulet)という、ライス、いためた玉ねぎ、鶏肉、そしてレモンの搾りかすのプレート(搾りかすをわざわざ添える理由は謎)。チキンはおおむねぱさぱさ。ライスは砕け米のようで、丸く短く、クスクスのよう。

食後、湖の北側に行こうと思ったが、そこは砂丘になっており、ラクダやバギー、4WDの車で走るのが定番のアトラクション。とのことだったが、特に惹かれなかったので、スルー。14時発の73番小型バスに乗車。バスの乗員や乗客は共助の精神にあふれていて、大きな荷物を背負った行商人が乗ってくれば荷物を置くのを手伝い、車内にお金(それもコイン)を落とした乗客が下車すれば、通りがかりの他人に託してお金を返し、といった光景が繰り広げられる。

100分ほど乗車し、ポスト・チャーロイ(Poste Thiaroye)という地区で下車。ラウンドアバウトと立体交差が交錯し、人と車が多く行き交い、次乗り換えるバスのバス停がどこかわからない。スマホの地図を見ながら進むべき方向と見定めて歩いていた道沿いで、やってきた218番大型バスに乗車。70分ほど乗車し、ワッカム(Ouakam)という地区に入ったところで、(スマホの地図をみていると)あらぬ方向に進みだしたので、慌てて下車。周りは住宅街といった風情。バス停を見つけ次のバスを待つが、なかなか来ないので、タクシーに。

10分ほどでアルマディ(Almadies)地区へ。アフリカ大陸最西端のアルマディ岬に行きたくて、岬を敷地内に擁するホテル・アルマディまでと行ったのだが、そこは閉まっているといわれ、別のホテルの前(アメリカ大使館の近く)で降ろされる。そこからホテル・アルマディまで歩くと、廃墟っぽい雰囲気が漂う建物群が。敷地前の守衛に、トラブルがありホテルは閉鎖されたと説明される。残念。

ともかく海を見たいと少し歩くと、土産屋や食堂が集まるエリアに。土産屋には「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿を売っている。突堤が見えるのでそこに行くと、またも守衛。が、どうぞという感じなので、突堤内へ。突堤からは、ホテル・アルマディ敷地内に海に突き出たエリアが見える。あそこがアフリカ大陸最西端なのだろう。釣り人がいて、釣り上げた、と思ったら魚を地面に放り投げて、また竿を海へ。――次の瞬間、トンビが降りてきて魚をくわえて飛び去っていった。

夕日になりそうだったので、海の見える食堂へ。そして食事を待ちながら、中空でかき消えていく夕日を眺める。夕食はタイの塩焼き。うまい。バオバブのジュース「ブイ」(Bouye)も注文。甘酢っぽいシェイクという感じでうまいが、氷を使っているようで不安になる。と思っているとストローにハエが。これはもう飲めない。と思いつつ、コップから直接飲む。

その後、タクシーでホテルへ。1000フラン(約190円)で妥結したはずなのに、ホテルの場所がわからなかったようで(最初に別のドライバーに教えられていたのだが)、途中でこちらのスマホの地図を見たり、近くの人に何度も聞いたりとして、何とか到着。大変だったからもっと金を出せと言われた(気がする)。サービス提供者の視点からは確かにそうなのだろうが、利用者の視点からは、能力不足を理由に増額を要求するとは言語道断。

ホテルに入ると「責任者」と思しき女性がいる。トイレ付きの部屋に変えてほしいと言うと、客の一人が病気になって滞在を続けているので部屋が空いていない、とインド人のような言い訳を言う。単なるオーバーブッキングだろうに、そしてそれはホテル側の落ち度だろうに、それを客のせいにするとは言語道断。

| | コメント (0)

2017年5月17日 (水)

セネガル旅行(2)パリ

5月3日
上海午前0時発のエール・フランス機でパリへ。深夜便にもかかわらずしっかり夕食(夜食か)付き。しかも巨大機体A380の最後尾のブロックだったためか、配膳は最後。食事が運ばれてきたときにはすでに1時20分をまわっている。早く眠らせてください。そして案の定、可もなく不可もない料理に(これと比べれば、中国東方航空の中華料理ははるかにましだった)、コーヒーはインスタント。

5時半にパリ・シャルルドゴール空港に着陸。家にあったユーロの小銭を持ってきたのに、預け荷物に入れてしまったことに今更気付く。30分以上空港内を走ってようやくゲートへ。さらに到着したのはゲートMなる、サテライトみたいなところで、出口のビルまで電車で2駅。そして出国審査で長蛇の列。やっと自分の番がまわってきたと思ったら、スーダンとパキスタンの入国履歴を見咎められる。何しに行ったんだ、危なくないのかと質問攻め。いろいろ説明し、ようやく「お前が考古学が好きなのはわかった」ということで釈放。

すでに着陸から1時間40分が経過。7時半発のリムジンバスに乗車。今日はトランジットの時間を利用して、パリから列車で1時間ほどの町、シャルトル観光を計画しており、そのためシャルトル行き列車の出るモンパルナス駅行きのバスに乗車したのだが、シャルトルに行って帰るのはもう厳しそうだ。ということで、プランBを発動。パリ近郊のフォンテーヌブローに行くことにして、同地に向かう列車が発着するリヨン駅で途中下車することに。バスは渋滞にはまり、予定より時間がかかり、8時45分頃、同駅に到着。

切符を手配しようと、券売機に行くと、クレジット・カードしか使えない。ユーロの現金を使いたかったので有人カウンターに向かうと、番号札をもらう仕組みになっていて、どうやら10人以上待ちそう。そんな暇ないので、カードで払おうと改めて券売機に。しかし操作がわかりづらく苦労し、ようやく行き先を入力できたと思ったら、適切な価格がありません的な謎のメッセージが表示される。困って番号札を発行する機械のそばでだべっている職員に聞くと、フォンテーヌブロー行きの切符はここでは買えない、二つ下のフロアに行けと言われる。

言われたとおりに二つ下がるとそこは地下鉄「メトロ」とRER(地下鉄の急行版のようなもの)の駅。フォンテーヌブロー行きは「R」という線のようなのだが、なぜか表示が見当たらない。うろうろ探し回り、ようやく表示を見つけ、矢印をたどっていくと、あろうことか地上に向かうエスカレーターに。ナンセンス。しかしどうしようもないので黙って矢印に従って上に上がると、当たり前だがそこはさっきまでいたSNCF(フランス国鉄)の駅構内。途方に暮れてインフォメーションみたいのを探して尋ねると、やはり地下2階に行けと言われる。そうこうしているうちに、フォンテーヌブロー行きの列車が出る時刻は過ぎてしまった。事前の情報では列車は30~40分間隔のはず。次の列車では時間が足りない。プランBもあえなく消滅。

ともかく切符を買うことすらできないとはデリー以来の失態である。帰りのトランジットの際に寄ろうと、真相究明すべく再び地下鉄駅に向かい、路線図を観察し、構内を見まわし――ようやくわかった。地下駅に(見つけた限りでは)2台だけSNCFの「パリ、イルドフランス」と書かれた券売機がある(一方、地上の券売機および有人カウンターは長距離専用)。ここで切符を買ったうえで、列車はメトロやRERのホームではなく、地上のSNCFのホームから出るということなのだった。地上から出る列車に乗るために、地下鉄駅まで降りて切符を買い、目の前にある地下鉄の改札には入らずに地上に戻って列車に乗るという仕組みだったのだ。まったくもってナンセンス。

ともかく、やむなくプランCのパリ市内散策へ。限られたトランジット時間を利用してどう歩くか、朝食をとりながら検討することに。ということでテロ対策なのか警官だらけの駅を出て、バス車窓から見えてちょっと気になっていた駅前のカフェへ。コーヒー(スモールかラージか聞かれたので、後者に)、クロワッサン、それにバター・タルティーヌ(スライスしたバゲットに具材、この場合はバターを載せたもの)。貧相な朝食だが、店の雰囲気はよい。雰囲気代込で6.5ユーロ(約810円)。紙幣で払ったら、店員がお釣りを崩しにどこかに探しに走って行った。なんとなく申し訳なくチップをはずむ。

10時半頃店を出る。雨のパリ。まずはバス車窓から見えて気になった高架橋へ。入口に浮浪者が就寝中。その脇をそっと通って階段を上がると、予想通り緑一杯の遊歩道。ニューヨークのハイラインと同様、かつての鉄道の高架橋跡を利用した「プロムナード・プランテ」であった。そこを歩いてバスチーユ広場へ。中央の「7月の円柱」は工事中。広場に面した新オペラ座はつまらない外観。

そこから10分ほど歩くと割と立派な教会が。せっかくなので中へ。サン・ポール・サン・ルイ教会であった。ドーム状の天井が高く、中も割と立派。出てすぐ近くのカフェで一休み。1.2ユーロ(約150円)のエスプレッソが素晴らしくうまい。妙齢の女性店主もかっこいい。思わずチップをはずむ(といっても0.8ユーロだが)。

さらに歩き、パリ市庁舎の前を通り、橋を渡ってサンルイ島へ、とぶらぶら歩く。緑の並木と石造りの建物がマッチした街並みが続き、雨でも歩いていて楽しい。
Paris
パリの街を歩く

12時15分にアラブ世界研究所に入る。ジャン・ヌーベルのデザインによる建築で、アラブのデザインをモチーフとした幾何学模様のアルミパネルが有名。ここでは特別展「アフリカのイスラム」へ。マグリブ、ヌビア、東アフリカ、西アフリカと、アフリカ各地でのイスラムについてまとめて展示していて、対象が広すぎて散漫。しかも昔のものから現代アートまでいろいろ展示。それでもセネガルのイスラム化についての説明展示もあり、多少は今回の旅行の参考になる。アートも面白いものがあった。さらに常設展へ。こちらのテーマは「アラブ」とさらに広く、イスラム化以前のナバテア人から始まる。ちゃんと見れば面白いのかもしれないが、時間がない。結局全館で1時間ほどで退散。

近くのカフェでクローク・ムッシュとカフェオレで昼食。時間が無くなってきた。ノートルダム大聖堂の写真などを撮りながら速足でRERのサン・ミシェル・ノートルダム駅へ。駅には券売機と閉鎖された窓口だけ。券売機は紙幣は使えず硬貨とクレジットカードだけが使えるタイプだがカードは使用中止との表示。手持ちのコインを数えると9ユーロちょっとしかない。空港までは10ユーロ。数セント足りない。家にあった小銭を持ってきていれば、あるいはチップで小銭を使ってしまわなければ、足りた。しかし今となってはどうにもならない。とにかく空港に行かねばならない。

紙幣を崩して小銭にするしかないと思い、外へ。目の前ににカフェがあるが、ノートルダム大聖堂正面という絶好のロケーションのためかエスプレッソ3ユーロ(約370円)とぼったくり価格。腹正しく、ほかの店を探すが、土産物にはろくなものがないし、近くにほかのカフェも見つからない。やむを得ずぼったくりカフェへ。案の定、まずいエスプレッソ。角砂糖でなく袋入りの砂糖で済ませているあたりからしてやる気がない。典型的な観光地殿様商売。バカにしている。

とにもかくにも7ユーロの小銭を手に入れ、意気揚々と駅へ降りると――有人の窓口が開いた。これまでの苦労と立腹をどうしてくれる。

RERのB線で30分ほどでシャルルドゴール空港へ。駅到着後15分後には空港内の制限エリア。入国と異なり、出国はあっという間。慌てて戻ってきたのに拍子抜け。ぱっと見しゃれたデザインで、高級ブランドショップが麗しく並ぶが、トイレは階段(ないしエレベーター)で降りないと使えないなど、相変わらず利用者の利便性は後回しな設計思想を感じる空港。

そして急いで空港に戻ってきたというのに、エールフランス機の離陸は予定の1時間半遅れの17時50分。5時間20分ほどでセネガルの首都、ダカールに到着。ATMが3台とも使えなかったので、両替所でユーロから当地の通貨、セーファーフランに両替。空港の両替はレートが悪いと相場が決まっているが、ユーロとセーファーフランは固定レートのはずだが、それよりは少し悪い。手数料だろうか。あるいは小銭がないということか。

ホテルに頼んでいた送迎の車で10分弱でンゴール地区のホテルへ。チェックインの手続きもなく部屋に連れていかれる。そして、トイレ・シャワーは部屋の外との説明。つまり共用と。いや、トイレ付きの部屋を予約したはずだというと、確かにそうした予約を受けたが今夜はトイレ付きの部屋は開いていない、責任者は妻だが明日来るから、と。共用のシャワールームには誰かの下着が干されており、タオルはかび臭く、Wifiは弱くて使い物にならない。ろくでもない。

| | コメント (0)

2017年5月14日 (日)

セネガル旅行(1)上海

2017年5月2日(火)
中国東方航空で2時間40分ほどで上海・浦東国際空港へ。そしてリニアモータカーで龍陽路駅へ。最高時速は301km。先頭車両だったので運転席が見える。ただっぴろい空間の右側にちょこんと運転台があり、空いた左側には家庭用扇風機が。暑いのだろうか。冷房がないのだろうか。シュールな絵。

地下鉄2号線に乗り換え、20分強で南京西路駅へ。ここで地下鉄12号線に乗り換えようと案内表示に従って進んでいると、改札口に。切符を入れると(正確にはタッチしたらインサートしろと表示されたので、入れた)切符が出てこない。その先の駅まで買ったのになぜだ。地上に出ると20世紀初頭の建物と、それを模したと思しき新しい建物が並ぶ街並み。12号線の駅が見つからずにうろうろするが、結論としては2号線を出たすぐ近くに12号線の入口が。

12号線で一駅の陜西南路駅で下車。地上へ出ると目の前には国泰電影院という1932年建造の映画館。ここから淮海中路を歩く。この辺りはフランスの租界だったエリア。プラタナスの並木でトンネル状に覆われ、今は高級ショッピング街。歩いていて気持ちのいい通り。少し曲がると、並木は続くが道幅が狭まり、排ガスでのどが痛くなってくる。一方で電動スクーターが音もなく忍び走ってくるので油断できない。

駅から20分ほど歩いて上海孫中山故居記念館へ。孫文(孫中山)の功績をたたえる施設で、入るといきなり中華民国の青天白日旗が展示されていて面食らう。1階は孫文の政治的な役割、2階は彼とその妻・宋慶齢の(私的な)生涯をたどる展示。英語の解説では「国民党」をなぜか「Nationalist Party」といった表記ではなく「Kuo-min-tang 」と表記。30分ほど見学した後、隣の「上海孫中山故居」へ。靴にビニールをかぶせて中へ。孫文とその妻が暮らした家で、19世紀の金持ち暮らしといった風情。華美ではなく落ち着いた雰囲気ではあるが。
Sun_yatsens_former_residence_in_sha
上海孫中山故居

その後、20分ほど歩いて19世紀の「石庫門」様式の建物・街並みをリノベーションした「新天地」へ。単なるおしゃれなショッピング・モールに見えてしまい、面白みに欠ける。建物がまるで古びていないのが仇というか。さらに10分ほど歩く、ブランドショップの入る巨大ビルが立ち並ぶ。走る車は高級外車が多い印象。一方でMobikeなどの自転車シェア(スマホのアプリで予約できる貸し自転車のようなもの)と思しき自転車が多く走り回る。道路にも自転車レーンが整備されているよう。

黄陂南路駅から地下鉄1号線で一駅の人民広場駅へ。地上へ出て巨大な歩行者天国、「南京東路」を歩く。スマホで記念撮影する人が多い観光スポットで、ごみ一つ落ちていないきれいな路上が印象的。一方で日本語の客引きが多く、うざい。小籠包の店で一休み。肉汁をこぼさずに食べるのが難しい。さらに月餅を買って路上で食べる。

混雑する南京東路駅から地下鉄2号線で一駅、陸家嘴駅へ。高級ショッピングモールを通るが、入ってしまうと出口がわからなくなる。というか表示がない。一度入ったら逃がさないという魂胆か。何とか抜け出して、高さ632mと世界第二位の超高層ビル、「上海タワー」へ。展望台でチケットを買うが、180元(約2,900円)とお値段も世界屈指の高さ。以前の経験からどうせ昼間の景色はつまらないだろうと思い、夜景になるのを待とうと早めの夕食をとって時間つぶし。ビル地下のフードコートで、香港風?の店へ。フードコートっぽい味。

そして展望台へ。地下の入り口は閑散としていたが、エレベーター(世界最速らしい、おかげで何度も耳がおかしくなった)で上がると大賑わい。ビルの周囲をぐるっとまわれる構造で、以前訪れた栓抜きビルよりはるかに景色を見やすい。そしてだんだん、周りの超高層ビルや、対岸の外灘の建物群がライトアップを始めていき、夜景が派手になっていく。

30分ほど楽しんで地上へ。と思ったらエレベーターで行列。15分ほど待たされる。そして地下鉄2号線で南京東路駅に戻る。歩道から人があふれ、警官が車道に並んで交通整理をしているという賑わいぶりの道を15分ほど歩いて、川沿いの外灘遊歩道へ。ライトアップした外灘のクラシカルな建物と、対岸の浦東の超高層ビルの夜景を目当てにこちらも大賑わい。なかなか良かったのだが、次のフライトの時間が気になり、25分ほど行ったり来たりして退散。地下鉄2号線、リニアモーターカーと乗り継いで浦東国際空港へ。

| | コメント (0)

2017年5月11日 (木)

奏でる人々(22)メキシコシティ(メキシコ)

メキシコでは楽団をマリアッチと呼び、観光客向けのレストランなどでは流しでやってきてチップを稼いでいる姿をよく見かけた。

こちらは割と高級レストランのためか、チップを撮る風でもなく、また黒いスーツにソンブレロ(つばの広い帽子)という典型的ないでたちでもなかった。
Mexico_city
真ん中のハープのような楽器は「アルパ」か【メキシコシティ】

| | コメント (0)

2017年5月 8日 (月)

奏でる人々(21)佐原(日本)

小野川沿いに風情ある街並みが広がる千葉県香取市の「小江戸」佐原。伊能忠敬記念館を出ると、笛に太鼓の音色が。何事かと音の鳴るほうへ行くと。
Onogawa_gezaren_in_sawara
川の流れとともに音も流れていく【佐原】

「佐原囃」を奏でる小野川下座舟であった。川の流れとともに音も移動していく。風情をかき立てる。観光地を盛り上げるためには、聴覚含め五感すべてを刺激することが大事だと思った次第。

| | コメント (0)

2017年5月 5日 (金)

奏でる人々(20)ベルガマ(トルコ)

ベルガマの町と遺跡を歩きまくって疲れて入った夕方のレストラン。食べ終わってまったりとしていると、民族衣装風の楽隊が行進してきた。何者だったのかは不明。
Bergama
トルコ行進曲?【ベルガマ】

| | コメント (0)

2017年5月 2日 (火)

花話(31)足利の藤

CNNの「2014年にかなえたい夢の旅10選」という記事に取り上げられたことをきっかけに、日本国内でも知名度がぐっと上がった足利市の「あしかがフラワーパーク」の藤。有名な「大藤」をはじめとして、紫色の藤が多いが、白や黄色、そして薄紅色の藤もあり、少しずつ時期をずらしながら開花していく。

満開だったうすべに藤がこちら。
Wisteria_in_ashikaga_flower_park_1

Wisteria_in_ashikaga_flower_park_2
桜色の洪水。【あしかがフラワーパーク】

天を覆う藤の花の下にはベンチがしつらえられ、頭上の藤や、眼前に広がる池とそれを飾るほかの花々を眺められるようになっていた。花三昧。

| | コメント (0)

« 2017年4月 | トップページ | 2017年6月 »