2017年5月23日 (火)

セネガル旅行(4)ダカール、サンルイ

5月5日
トイレなしの部屋になったおかげでディスカウントしてもらい、チェックアウト。「あなた、フランス語全くしゃべれないの?」とバカにされつつ、バスターミナルに行く際にタクシー・ドライバーに見せる行き先を書いてもらう。が、そこに書いてもらった地名「ピキン(Pikine)」行きのバス(35番)を見つけ、乗車。車内にはラジオが流れる。運転台近くにセネガル相撲のポスターが。30分ほど乗車したところで、バスターミナルと離れた方向に進み始めたので、慌てて下車。スマホの地図頼りにバスターミナルに向かって歩く。

あたりは牧畜エリアなのか、やたらヤギやら馬やらがいる。普通に馬車が走っている。出店がたくさん出ている線路を渡ると、警笛が。なんと列車が来る。現役の鉄道であった。さらにバスターミナルに近づいていくと、路上が市場。前から気になっていた「ネスカフェ」と書いた、人ひとりの幅ぐらいの小さな屋台へ。ここでコーヒーを注文。小さなプラスチックカップにたっぷりの砂糖とポットからコーヒーを入れ、それを高い位置から別のカップに注ぐ、というのを繰り返して渡される。コーヒーを飲みほして、周りをうろうろ。なんか楽しい。

バスを降りて40分ほどで、ボー・マレシェ(Baux Maraîchers)にあるバス・ターミナル(Gare routière)に到着。ここで、サン・ルイに向かうセットプラス(Sept-place、乗り合いタクシー)を探すが、「サンルイ」の発音が全く通じない。字に書いたりして案内してもらい、乗り場へ。3列シートのワゴン車に、助手席1人、2列目3人、3列目3人で乗車するのでフランス語で7席を意味する「セットプラス」と呼ばれている。だいぶ年季の入ったプジョー505で、席はボロボロ、天井も一部破けている。席は3列目をあてがわれたが、これが想像以上に狭く、3人並んで座る上に、前の席との間が狭すぎて足を降ろせず、ひざを曲げて体育すわりというかヤンキー座りするような格好。これはつらい。

10時15分頃出発。すぐにガソリンスタンドへ。いつも思うのだがなぜ給油してから客を乗せないのだろうか。2列目に座っている女性は、子供を抱えていることに気づいた。すごい。ダカール市内は渋滞気味。そこにサッカーボール売りがやってくる。そんなもの車から買う奴いないだろうと思っていたら、この車の運転手が買っていた。わからないものだ。

ダカール近郊のThiresという街を抜けるあたりから車窓はバオバブの木が時々みえる荒れ地に。ヤシの林が見えることも。車も少なくなり、スピードも上がる。しかし、出発から2時間ぐらいのところで突然路上で停車。運転手が降りてどうも車の下にもぐっている(身動き取れないのでよく見えない)。3列目の窓は開かないので、停まると風が入らなくなり蒸し暑い(当然エアコンなどない)。

5分ほどで走り出したが、10分ほどさらに走ったところでまたストップ。足をずっと曲げているのがつらかったので、思い切って足を隙間にねじ込んで降ろしてみる。何とか降ろせたが、席と席の間に足が挟まって全く動かせなくなる。ただともかく姿勢を変えたかったのだ。その後また走り出してはストップの繰り返し。何やらシフトレバーを取り外して、またつけている。何事なのだろう。古い車だけのことはある。横を真新しいレンジローバーが走り去っていく。ああ、格差社会。

13時ごろ、Meckheという街の、自動車整備工場が並んでいるような通りの前でストップ。外から男がやってきた。修理屋のようだ。時間がかかるようで、客はいったん、全員降ろされる。物売りもいる。ビニール袋に入れられた揚げ菓子のようなものを買ってみる。ほのかに甘い。これが昼食替わり。無性にトイレに行きたくなってきた。しかし、トイレを貸してくれそうな食堂や店はない。困ってさまよっていると、少女に話しかけられる。オートワレ?――え、なんといった?トイレ?そういうと、うなずく。これぞ、天の助け。民家(?)の門をくぐり、中庭にあるトイレを借りる。ありがたい。

45分後、修理が終わったのか、出発。砂地にアカシアのような木が生えている景色が続く車窓。時折、並走している線路が見える。ダカールとサンルイを結ぶ鉄道と思われるが、もう使われていないようで、砂に埋もれていたり、真ん中に木が立っていたりする。そして15時40分頃、サンルイのバスターミナルに到着。

ここからはタクシーに乗り換え。ガイドブックには町まで定額で600フランと書いてあったが、全くこちらの値切りに応じない。結局、1500フラン(約280円)。しかも、別の客が乗っていた。ただ、そのおかげでその客の行き先である住宅街を見ることができた。子供たちが路上で遊び、ヤギがうろつく。その後、目的地のサンルイの旧市街へ。20分ほどで到着。

ホテルにチェックイン後、街並みの散策開始。サンルイはセネガル川河口にある細長い三角州で、1659年にフランスが初めて商館を建設し、1902年までフランス領西アフリカの首都だったところ。植民地時代の建物が残る。雑貨店でオレンジジュースの100ml入りビニールパックを売っていたので面白いと思って購入。しかし店員の愛想がひどく悪い。そして飲み終わったパックは、周囲の子供たちに奪われた。

まず本土との間を結ぶフェデルブ橋(Pont Faidherbe)のたもとへ。そのあとは島の南部をぶらぶら歩く。大きな建物は植民地と関係なさそうなモスクぐらいで、あとは小さな古い(といっても19世紀のものが多そうだが)建物が並ぶ。いい感じの街並みだが、それほど観光化されていないのが好ましい。川にはペリカンなど水鳥も見える。CRDS博物館(Musée du Centre de Recherche et de Documentaion de Sénégal)では、人類の歴史についてのフランス語での常設展と、企画展として抽象画を展示。

西岸からは対岸が見える。漁師の小舟がずらっと並ぶ。こちらまで喧騒が聞こえてくる。それに惹かれるように橋を渡ってその島へ。ゴミだらけ。漁港にヤギ、そして馬がいる風景がシュール。海沿いを歩いた後、ちょっと奥の通りへ。女子はゴム飛び、男子はサッカーで遊ぶ。大変ローカルな雰囲気で、写真を撮るのがためらわれる。子供に頼まれて写真を撮ろうとしたら、大人の女性に怒られた。とはいえ、歩いて、見ているだけで面白い。子供たちからは侮蔑的に「シノワ」(中国)とはやされることもあったが。
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サンルイ対岸の漁師町(右はサンルイ)

サンルイに戻り、割と立派な洋館を写真を撮ろうとしたら、なぜか守衛(軍人?)に止められる。何か重要施設だったのだろうか。そして夕食へ。まずは「ビサップ(Bissap)」という、ハイビスカスの花のガクを煎じた飲み物。砂糖たっぷりで甘い。そして「ヤッサ・ポワソン(Yassa Poisson)」。ライスと玉ねぎソース(ソースというか玉ねぎだらけだったが)をかけた魚。魚はおいしかった。しかし、接客にやる気なし。

ホテルに戻る。ビールが飲みたくなり、ホテルのバーに行ってみるが白人の団体(?)客が占領していて入りにくい。ホテルを出て、客引きに乗って食堂へ。ビールだけ頼んだらがっかりされた。「ガゼル(La Gazelle)」というセネガル産のビールを飲む。薄味で、暑い気候にあっていてうまい。イスラム教徒が大半の国なのにビールを作って売っているのがこの国の面白いところ。

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2017年5月20日 (土)

セネガル旅行(3)ラック・ローズ、ダカール

5月4日
61番小型バスに乗車。運賃は車体の中ほどにある格子窓に仕切られた小部屋にいる車掌に払う。車掌から遠い場合は乗客同士でお金と発券されたチケットをリレーして払っている。1時間ほど乗車して、ここはクール・マッサー(Keur Massar)かとほかの客に聞いてうなずかれたところで下車。T字路を中心に市が立ち、賑わっているが、次のバスのバス停がどこかわからない。バス停を探してうろうろしているとお目当ての73番小型バスに来たので乗車。完全に止まってくれないので、文字通り飛び乗る。

10時10分頃、ラック・ローズ(Lac Rose)に到着。フランス語(セネガルは旧フランス植民地で、「公用語」はフランス語)でピンク色の湖という意味で、湖面がピンク色になるとのことで、それを見に来たのだ。しかしどう見てもピンクではなく、黒。湖岸の一部は草が生えていて、放牧されたヤギが牛が草をはむ。そのため、フンだらけ。

そのうちピンクになるのではないかと淡い期待をいただきながら湖岸を歩く。勧誘にのってボートに乗ることに。ここは以上に塩分濃度が高い塩湖で、1tの水から380kgの塩が取れると勝手ガイド達は解説する(彼らの説明は、特に数値はバラバラで信ぴょう性に欠けるのだが、380kgという数値は一致)。湖底には塩が堆積しており、それをさらって集めているボートがそこかしこに。塩さらいをしているのはマリ人が多いらしく、水が体に悪いとのことで、肌にシア・バターを塗っているという。

湖上に出れば光の加減でピンクになるのではと淡く期待したが、やはり黒い。見ようによっては赤黒く見えなくもない、という程度。赤くなるのは塩湖で繁殖するドナリエラという藻の一種が、生育条件によっては赤色のカロテノイドを細胞内に蓄積するためである。事前にネットで情報収集した結果、乾期(それも4月下旬~5月上旬)で、風の強い晴天で、昼頃~午後、という条件がピンクになりやすいと判断したのだが、これら条件はほぼすべてクリアしている。なのに黒いとは残念な限り。ボートは10分2000セーファーフラン(約370円)で交渉成立だったのだが、実際には20分ほど乗せてくれた。
Lac_rose
写真では実物以上に色が強調されるという事例【ラック・ローズ】

その後再び、湖を眺めながら湖岸を歩く。湖で採った塩は湖岸に積まれ、白~灰色の山となっている。これらを袋詰めしてトラックに載せて出荷している。湖岸には真水が出るという泉がところどころあり(なめてみろと言われたが、澄んだ水の下にごみが堆積しているのでご遠慮申し上げた)、塩湖のそばというのに不思議。一方で、湖以上に赤黒く濁った水たまりもあったので、こちらは塩水なのだろう。

歩いていると勝手ガイド、ボート乗り、そして土産屋が声をかけてくる。ガイドとボードは男性、土産屋は女性というのが、当地の性別役割分担らしい。土産屋はまずキーホルダー等の小物をプレゼントと称して渡したうえで(最終的にはすべて返却したが)、うちの店に来い、何か買えと進む。さらに、1ユーロくれ、1フランくれ、ペンをくれ、キャンディをくれと進んだ場合もあった。

2時間ほど歩いたのち、バス停のほうに戻り、近くの集落へ。そこで昼食。「ヤッサ・プレ」(Yassa Poulet)という、ライス、いためた玉ねぎ、鶏肉、そしてレモンの搾りかすのプレート(搾りかすをわざわざ添える理由は謎)。チキンはおおむねぱさぱさ。ライスは砕け米のようで、丸く短く、クスクスのよう。

食後、湖の北側に行こうと思ったが、そこは砂丘になっており、ラクダやバギー、4WDの車で走るのが定番のアトラクション。とのことだったが、特に惹かれなかったので、スルー。14時発の73番小型バスに乗車。バスの乗員や乗客は共助の精神にあふれていて、大きな荷物を背負った行商人が乗ってくれば荷物を置くのを手伝い、車内にお金(それもコイン)を落とした乗客が下車すれば、通りがかりの他人に託してお金を返し、といった光景が繰り広げられる。

100分ほど乗車し、ポスト・チャーロイ(Poste Thiaroye)という地区で下車。ラウンドアバウトと立体交差が交錯し、人と車が多く行き交い、次乗り換えるバスのバス停がどこかわからない。スマホの地図を見ながら進むべき方向と見定めて歩いていた道沿いで、やってきた218番大型バスに乗車。70分ほど乗車し、ワッカム(Ouakam)という地区に入ったところで、(スマホの地図をみていると)あらぬ方向に進みだしたので、慌てて下車。周りは住宅街といった風情。バス停を見つけ次のバスを待つが、なかなか来ないので、タクシーに。

10分ほどでアルマディ(Almadies)地区へ。アフリカ大陸最西端のアルマディ岬に行きたくて、岬を敷地内に擁するホテル・アルマディまでと行ったのだが、そこは閉まっているといわれ、別のホテルの前(アメリカ大使館の近く)で降ろされる。そこからホテル・アルマディまで歩くと、廃墟っぽい雰囲気が漂う建物群が。敷地前の守衛に、トラブルがありホテルは閉鎖されたと説明される。残念。

ともかく海を見たいと少し歩くと、土産屋や食堂が集まるエリアに。土産屋には「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿を売っている。突堤が見えるのでそこに行くと、またも守衛。が、どうぞという感じなので、突堤内へ。突堤からは、ホテル・アルマディ敷地内に海に突き出たエリアが見える。あそこがアフリカ大陸最西端なのだろう。釣り人がいて、釣り上げた、と思ったら魚を地面に放り投げて、また竿を海へ。――次の瞬間、トンビが降りてきて魚をくわえて飛び去っていった。

夕日になりそうだったので、海の見える食堂へ。そして食事を待ちながら、中空でかき消えていく夕日を眺める。夕食はタイの塩焼き。うまい。バオバブのジュース「ブイ」(Bouye)も注文。甘酢っぽいシェイクという感じでうまいが、氷を使っているようで不安になる。と思っているとストローにハエが。これはもう飲めない。と思いつつ、コップから直接飲む。

その後、タクシーでホテルへ。1000フラン(約190円)で妥結したはずなのに、ホテルの場所がわからなかったようで(最初に別のドライバーに教えられていたのだが)、途中でこちらのスマホの地図を見たり、近くの人に何度も聞いたりとして、何とか到着。大変だったからもっと金を出せと言われた(気がする)。サービス提供者の視点からは確かにそうなのだろうが、利用者の視点からは、能力不足を理由に増額を要求するとは言語道断。

ホテルに入ると「責任者」と思しき女性がいる。トイレ付きの部屋に変えてほしいと言うと、客の一人が病気になって滞在を続けているので部屋が空いていない、とインド人のような言い訳を言う。単なるオーバーブッキングだろうに、そしてそれはホテル側の落ち度だろうに、それを客のせいにするとは言語道断。

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2017年5月17日 (水)

セネガル旅行(2)パリ

5月3日
上海午前0時発のエール・フランス機でパリへ。深夜便にもかかわらずしっかり夕食(夜食か)付き。しかも巨大機体A380の最後尾のブロックだったためか、配膳は最後。食事が運ばれてきたときにはすでに1時20分をまわっている。早く眠らせてください。そして案の定、可もなく不可もない料理に(これと比べれば、中国東方航空の中華料理ははるかにましだった)、コーヒーはインスタント。

5時半にパリ・シャルルドゴール空港に着陸。家にあったユーロの小銭を持ってきたのに、預け荷物に入れてしまったことに今更気付く。30分以上空港内を走ってようやくゲートへ。さらに到着したのはゲートMなる、サテライトみたいなところで、出口のビルまで電車で2駅。そして出国審査で長蛇の列。やっと自分の番がまわってきたと思ったら、スーダンとパキスタンの入国履歴を見咎められる。何しに行ったんだ、危なくないのかと質問攻め。いろいろ説明し、ようやく「お前が考古学が好きなのはわかった」ということで釈放。

すでに着陸から1時間40分が経過。7時半発のリムジンバスに乗車。今日はトランジットの時間を利用して、パリから列車で1時間ほどの町、シャルトル観光を計画しており、そのためシャルトル行き列車の出るモンパルナス駅行きのバスに乗車したのだが、シャルトルに行って帰るのはもう厳しそうだ。ということで、プランBを発動。パリ近郊のフォンテーヌブローに行くことにして、同地に向かう列車が発着するリヨン駅で途中下車することに。バスは渋滞にはまり、予定より時間がかかり、8時45分頃、同駅に到着。

切符を手配しようと、券売機に行くと、クレジット・カードしか使えない。ユーロの現金を使いたかったので有人カウンターに向かうと、番号札をもらう仕組みになっていて、どうやら10人以上待ちそう。そんな暇ないので、カードで払おうと改めて券売機に。しかし操作がわかりづらく苦労し、ようやく行き先を入力できたと思ったら、適切な価格がありません的な謎のメッセージが表示される。困って番号札を発行する機械のそばでだべっている職員に聞くと、フォンテーヌブロー行きの切符はここでは買えない、二つ下のフロアに行けと言われる。

言われたとおりに二つ下がるとそこは地下鉄「メトロ」とRER(地下鉄の急行版のようなもの)の駅。フォンテーヌブロー行きは「R」という線のようなのだが、なぜか表示が見当たらない。うろうろ探し回り、ようやく表示を見つけ、矢印をたどっていくと、あろうことか地上に向かうエスカレーターに。ナンセンス。しかしどうしようもないので黙って矢印に従って上に上がると、当たり前だがそこはさっきまでいたSNCF(フランス国鉄)の駅構内。途方に暮れてインフォメーションみたいのを探して尋ねると、やはり地下2階に行けと言われる。そうこうしているうちに、フォンテーヌブロー行きの列車が出る時刻は過ぎてしまった。事前の情報では列車は30~40分間隔のはず。次の列車では時間が足りない。プランBもあえなく消滅。

ともかく切符を買うことすらできないとはデリー以来の失態である。帰りのトランジットの際に寄ろうと、真相究明すべく再び地下鉄駅に向かい、路線図を観察し、構内を見まわし――ようやくわかった。地下駅に(見つけた限りでは)2台だけSNCFの「パリ、イルドフランス」と書かれた券売機がある(一方、地上の券売機および有人カウンターは長距離専用)。ここで切符を買ったうえで、列車はメトロやRERのホームではなく、地上のSNCFのホームから出るということなのだった。地上から出る列車に乗るために、地下鉄駅まで降りて切符を買い、目の前にある地下鉄の改札には入らずに地上に戻って列車に乗るという仕組みだったのだ。まったくもってナンセンス。

ともかく、やむなくプランCのパリ市内散策へ。限られたトランジット時間を利用してどう歩くか、朝食をとりながら検討することに。ということでテロ対策なのか警官だらけの駅を出て、バス車窓から見えてちょっと気になっていた駅前のカフェへ。コーヒー(スモールかラージか聞かれたので、後者に)、クロワッサン、それにバター・タルティーヌ(スライスしたバゲットに具材、この場合はバターを載せたもの)。貧相な朝食だが、店の雰囲気はよい。雰囲気代込で6.5ユーロ(約810円)。紙幣で払ったら、店員がお釣りを崩しにどこかに探しに走って行った。なんとなく申し訳なくチップをはずむ。

10時半頃店を出る。雨のパリ。まずはバス車窓から見えて気になった高架橋へ。入口に浮浪者が就寝中。その脇をそっと通って階段を上がると、予想通り緑一杯の遊歩道。ニューヨークのハイラインと同様、かつての鉄道の高架橋跡を利用した「プロムナード・プランテ」であった。そこを歩いてバスチーユ広場へ。中央の「7月の円柱」は工事中。広場に面した新オペラ座はつまらない外観。

そこから10分ほど歩くと割と立派な教会が。せっかくなので中へ。サン・ポール・サン・ルイ教会であった。ドーム状の天井が高く、中も割と立派。出てすぐ近くのカフェで一休み。1.2ユーロ(約150円)のエスプレッソが素晴らしくうまい。妙齢の女性店主もかっこいい。思わずチップをはずむ(といっても0.8ユーロだが)。

さらに歩き、パリ市庁舎の前を通り、橋を渡ってサンルイ島へ、とぶらぶら歩く。緑の並木と石造りの建物がマッチした街並みが続き、雨でも歩いていて楽しい。
Paris
パリの街を歩く

12時15分にアラブ世界研究所に入る。ジャン・ヌーベルのデザインによる建築で、アラブのデザインをモチーフとした幾何学模様のアルミパネルが有名。ここでは特別展「アフリカのイスラム」へ。マグリブ、ヌビア、東アフリカ、西アフリカと、アフリカ各地でのイスラムについてまとめて展示していて、対象が広すぎて散漫。しかも昔のものから現代アートまでいろいろ展示。それでもセネガルのイスラム化についての説明展示もあり、多少は今回の旅行の参考になる。アートも面白いものがあった。さらに常設展へ。こちらのテーマは「アラブ」とさらに広く、イスラム化以前のナバテア人から始まる。ちゃんと見れば面白いのかもしれないが、時間がない。結局全館で1時間ほどで退散。

近くのカフェでクローク・ムッシュとカフェオレで昼食。時間が無くなってきた。ノートルダム大聖堂の写真などを撮りながら速足でRERのサン・ミシェル・ノートルダム駅へ。駅には券売機と閉鎖された窓口だけ。券売機は紙幣は使えず硬貨とクレジットカードだけが使えるタイプだがカードは使用中止との表示。手持ちのコインを数えると9ユーロちょっとしかない。空港までは10ユーロ。数セント足りない。家にあった小銭を持ってきていれば、あるいはチップで小銭を使ってしまわなければ、足りた。しかし今となってはどうにもならない。とにかく空港に行かねばならない。

紙幣を崩して小銭にするしかないと思い、外へ。目の前ににカフェがあるが、ノートルダム大聖堂正面という絶好のロケーションのためかエスプレッソ3ユーロ(約370円)とぼったくり価格。腹正しく、ほかの店を探すが、土産物にはろくなものがないし、近くにほかのカフェも見つからない。やむを得ずぼったくりカフェへ。案の定、まずいエスプレッソ。角砂糖でなく袋入りの砂糖で済ませているあたりからしてやる気がない。典型的な観光地殿様商売。バカにしている。

とにもかくにも7ユーロの小銭を手に入れ、意気揚々と駅へ降りると――有人の窓口が開いた。これまでの苦労と立腹をどうしてくれる。

RERのB線で30分ほどでシャルルドゴール空港へ。駅到着後15分後には空港内の制限エリア。入国と異なり、出国はあっという間。慌てて戻ってきたのに拍子抜け。ぱっと見しゃれたデザインで、高級ブランドショップが麗しく並ぶが、トイレは階段(ないしエレベーター)で降りないと使えないなど、相変わらず利用者の利便性は後回しな設計思想を感じる空港。

そして急いで空港に戻ってきたというのに、エールフランス機の離陸は予定の1時間半遅れの17時50分。5時間20分ほどでセネガルの首都、ダカールに到着。ATMが3台とも使えなかったので、両替所でユーロから当地の通貨、セーファーフランに両替。空港の両替はレートが悪いと相場が決まっているが、ユーロとセーファーフランは固定レートのはずだが、それよりは少し悪い。手数料だろうか。あるいは小銭がないということか。

ホテルに頼んでいた送迎の車で10分弱でンゴール地区のホテルへ。チェックインの手続きもなく部屋に連れていかれる。そして、トイレ・シャワーは部屋の外との説明。つまり共用と。いや、トイレ付きの部屋を予約したはずだというと、確かにそうした予約を受けたが今夜はトイレ付きの部屋は開いていない、責任者は妻だが明日来るから、と。共用のシャワールームには誰かの下着が干されており、タオルはかび臭く、Wifiは弱くて使い物にならない。ろくでもない。

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2017年5月14日 (日)

セネガル旅行(1)上海

2017年5月2日(火)
中国東方航空で2時間40分ほどで上海・浦東国際空港へ。そしてリニアモータカーで龍陽路駅へ。最高時速は301km。先頭車両だったので運転席が見える。ただっぴろい空間の右側にちょこんと運転台があり、空いた左側には家庭用扇風機が。暑いのだろうか。冷房がないのだろうか。シュールな絵。

地下鉄2号線に乗り換え、20分強で南京西路駅へ。ここで地下鉄12号線に乗り換えようと案内表示に従って進んでいると、改札口に。切符を入れると(正確にはタッチしたらインサートしろと表示されたので、入れた)切符が出てこない。その先の駅まで買ったのになぜだ。地上に出ると20世紀初頭の建物と、それを模したと思しき新しい建物が並ぶ街並み。12号線の駅が見つからずにうろうろするが、結論としては2号線を出たすぐ近くに12号線の入口が。

12号線で一駅の陜西南路駅で下車。地上へ出ると目の前には国泰電影院という1932年建造の映画館。ここから淮海中路を歩く。この辺りはフランスの租界だったエリア。プラタナスの並木でトンネル状に覆われ、今は高級ショッピング街。歩いていて気持ちのいい通り。少し曲がると、並木は続くが道幅が狭まり、排ガスでのどが痛くなってくる。一方で電動スクーターが音もなく忍び走ってくるので油断できない。

駅から20分ほど歩いて上海孫中山故居記念館へ。孫文(孫中山)の功績をたたえる施設で、入るといきなり中華民国の青天白日旗が展示されていて面食らう。1階は孫文の政治的な役割、2階は彼とその妻・宋慶齢の(私的な)生涯をたどる展示。英語の解説では「国民党」をなぜか「Nationalist Party」といった表記ではなく「Kuo-min-tang 」と表記。30分ほど見学した後、隣の「上海孫中山故居」へ。靴にビニールをかぶせて中へ。孫文とその妻が暮らした家で、19世紀の金持ち暮らしといった風情。華美ではなく落ち着いた雰囲気ではあるが。
Sun_yatsens_former_residence_in_sha
上海孫中山故居

その後、20分ほど歩いて19世紀の「石庫門」様式の建物・街並みをリノベーションした「新天地」へ。単なるおしゃれなショッピング・モールに見えてしまい、面白みに欠ける。建物がまるで古びていないのが仇というか。さらに10分ほど歩く、ブランドショップの入る巨大ビルが立ち並ぶ。走る車は高級外車が多い印象。一方でMobikeなどの自転車シェア(スマホのアプリで予約できる貸し自転車のようなもの)と思しき自転車が多く走り回る。道路にも自転車レーンが整備されているよう。

黄陂南路駅から地下鉄1号線で一駅の人民広場駅へ。地上へ出て巨大な歩行者天国、「南京東路」を歩く。スマホで記念撮影する人が多い観光スポットで、ごみ一つ落ちていないきれいな路上が印象的。一方で日本語の客引きが多く、うざい。小籠包の店で一休み。肉汁をこぼさずに食べるのが難しい。さらに月餅を買って路上で食べる。

混雑する南京東路駅から地下鉄2号線で一駅、陸家嘴駅へ。高級ショッピングモールを通るが、入ってしまうと出口がわからなくなる。というか表示がない。一度入ったら逃がさないという魂胆か。何とか抜け出して、高さ632mと世界第二位の超高層ビル、「上海中心」へ。展望台でチケットを買うが、180元(約2,900円)とお値段も世界屈指の高さ。以前の経験からどうせ昼間の景色はつまらないだろうと思い、夜景になるのを待とうと早めの夕食をとって時間つぶし。ビル地下のフードコートで、香港風?の店へ。フードコートっぽい味。

そして展望台へ。地下の入り口は閑散としていたが、エレベーター(世界最速らしい、おかげで何度も耳がおかしくなった)で上がると大賑わい。ビルの周囲をぐるっとまわれる構造で、以前訪れた栓抜きビルよりはるかに景色を見やすい。そしてだんだん、周りの超高層ビルや、対岸の外灘の建物群がライトアップを始めていき、夜景が派手になっていく。

30分ほど楽しんで地上へ。と思ったらエレベーターで行列。15分ほど待たされる。そして地下鉄2号線で南京東路駅に戻る。歩道から人があふれ、警官が車道に並んで交通整理をしているという賑わいぶりの道を15分ほど歩いて、川沿いの外灘遊歩道へ。ライトアップした外灘のクラシカルな建物と、対岸の浦東の超高層ビルの夜景を目当てにこちらも大賑わい。なかなか良かったのだが、次のフライトの時間が気になり、25分ほど行ったり来たりして退散。地下鉄2号線、リニアモーターカーと乗り継いで浦東国際空港へ。

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2017年4月17日 (月)

吉野旅行

2017年4月9日
地下鉄で大阪阿部野橋駅へ。スマホで予約した特急券を発券するため券売機へ。しかし予約番号を入力しても「番号が間違っている」との音声案内が流れるのみ。番号は間違っている気はせず、憤懣やるかたなく窓口へ。すると「そのまま乗車して、予約した座席に座って結構」とあっさり。予約画面をよくよく見ると「チケットレス」と書いてある。そういうことか。

次いで朝食と思ったが、店がない。かろうじてスターバックスとマクドナルドがあるが、7時開店。大阪都心の中心駅なのに何たること。やむを得ずコンビニに入ってそのイートインコーナーで朝食。食後、駅へ戻って構内のコンビニでのんびりコーヒーを買って車両に乗り込むと、すぐ発車。腕時計が遅れていた。危うく乗り遅れるところだった。

とまれ7時10分発の近鉄特急さくらライナーで吉野に向かう。せっかくなのでデラックスカーに。3列シートで、2列並びの座席も少し離れて配置するゆったり仕様。窓も広く、フットレストもあり、なかなか快適。これで特急料金プラス210円とはお得。1時間15分強で吉野に到着。残念ながら雨。なのでまずは駅前からバスに乗車。20分弱かけて終点の中千本駐車場に9時前に到着。

バスを降りると目に入った「特別開帳」の文句につられて階段を上って桜本坊へ。天武天皇建立という古い寺。4月のみの公開の釈迦如来像は吉野唯一の飛鳥白鴎時代のものとのこと。本尊は修験道の開祖である役行者。英語の解説文もあるが、日本語とまるで違う。素人には英語の解説のほうが基本から解説しているのでわかりやすい。「空海さんとか密教が入るよりも前から始まったものですよ」「国家神道からすると神仏混交というのは理解できなかったんでしょうな」といった恨み節混じりの解説も聞こえてくる。面白い。世の中知らないことだらけだ。修験道は今でも続いているようで、修験者(山伏)の集合写真なども貼ってある。修験者風に頭襟を身に着けた人が案内しているが、本物の修験者かどうかは不明。雰囲気は出ている。境内には枝垂桜も咲いていた。

30分ほど滞在し、続いて竹林院へ。その中の群芳園へ。苔むした池泉回遊式庭園。枝垂桜、モクレン(?)などが点々と咲く。なかなか風雅でよい。枝につく水滴、池の水面に広がる波紋も美しく見える。雨の庭園歩きも乙なもの。
Chikurinin_gunpoen_in_yoshino
雨の竹林院群芳園【吉野】

25分ほど滞在し、外へ。門越しに見る桜が絵になる。ぬかるんだ山道を上に下にと歩く。この辺りは「中千本」と呼ばれる桜が多いエリアだが、残念ながらつぼみが多数派。10時半頃に五郎平茶屋に到着。茶屋は閉鎖。全部咲いたらさぞや壮観であろうと思いを馳せながら歩く。

このころには雨が上がる。下って上って息も切れ切れになって10時50分頃に如意輪寺に到着。境内に見事な枝垂桜が。宝物殿には楠木正行(正成の息子)が矢じりで辞世の句を刻んだ木製の扉など、怨念のこもってそうなものが多い。多宝塔の周りには桜が咲く。若い木も多数。「200X年 ○○○○」と札に書いてある。有料で植樹できるのだ。商売上手。境内には後醍醐天皇の墓である塔尾陵も。そこに上がる階段とその周りの薄暗い林が、これまた怨念こもってそうな雰囲気を醸し出す。しかしその一方で境内では茶屋に土産屋、そして「Facebookでいいねするとご利益」といった文字が躍る。腹も減ってきたが、ここでこれ以上金を落とす気がしない。

11時半ごろに出て、ひたすら下り。そして吉野元湯温泉から山道に入って、ひたすら上り。崖をジグザグに上がって行く。息も絶え絶えに正午前に吉水神社近くに到着。門前に通りが伸び、人通りも多く、急ににぎやかに。吉水神社に入ると、まず「一目千本」と記された展望スポットが。桜の木々が山々に広がるさまを展望。ほぼつぼみだが。最盛期にはさぞや素晴らしいのだろう。拝観料を払うエリアでは、「日本住宅建築市場最古の書院」などを見学できるが、義経だ、秀吉だと、有名人のエピソードのオンパレードで、だんだんと辟易としてくる。出ると参拝の行列が。並んでまでそこで拝みたいとは思えず。

外へ。人出がすごい。食堂、茶処の類はみな混んでいるので、柿の葉寿司をばら売りしている店で買って、歩きながら食べる。12時40分頃に金峯山蔵王堂へ。現在修理中の仁王門(国宝)の勧進のため、本尊の金剛蔵王権現が特別公開されている本堂(蔵王堂)へ。チケット窓口で行列。1000円払って中へ。高い天井の本堂は国宝。そして青い彩色が印象的な巨大な蔵王権現像3体を仰ぎ見る。でかいということは信仰の説得力を増すものだ。しかも右足を高く上げるそのポーズはダイナミック。さらに並んでふすまで区切られた「発露の間」へ。簡単に祈った後は、ずっと見続けた。おひとり様一分とのことだったので、そこそこに退散。さらに写真展へ。修行や行事の写真、そして解説文もあって、わかりやすい。そして足が疲れてきた。

トイレへ寄った後、外へ。よもぎ餅、葛餅、桜餅を買って歩き食べ。13時45分頃に銅鳥居を通過。道路沿いには桜が結構美しく咲く。なので盛んにシャッターを切るが、どうにも吉野っぽくない。曲がりくねった坂道を降りていく。この辺りは「下千本」。桜は咲き始めているが、満開には程遠い。さぞやすごくなるのだろうと想像を膨らませながらひたすら下る。

14時半ごろに吉野駅の到着。少し早すぎた。近い時間の特急は満席なので、14時37分発の急行に乗車。なんとなく桜不足で欲求不満気味だったので、いろいろ調べて15時35分、高田市駅で下車。10分ほど歩いて高田川沿いの「高田千本桜」へ。ソメイヨシノが満開。縁日も立ち、地元の人で賑わう。残念ながら川は「水路」状態で、直線に流れ、護岸もしっかり整備され、子供が「どぶ」と呼ぶのも納得の風情だったが、桜はきれい。

30分ほど散策し、さらに5分ほど歩いて専立寺。へ。1786年の太鼓楼が立派。さらに10~15分ほど歩いて近鉄の大和高田駅へ。食事を提供する店がミスタードーナツしかないので、ドーナツとコーヒーを食べて駅へ。迷ったが特急券を購入して大阪難波へ。空いていることもあり、ゆったり。特急で正解。

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2017年1月17日 (火)

パキスタン旅行(5)ケウラ、イスラマバード

1月2日
6時半モーニングコール。朝食はいつものごとくカレーにソルティ・ラッシー、地元のスイーツ(「ハルワ」と総称される)など。8時10分ツアー出発。カラチとイスラマバードを結ぶスーパー・ハイウェイへ。沿道にはサトウキビ、麦、稲、菜の花に加え、オレンジの果樹が。時々「Speed thrills but kills」といった交通安全の標語みたいのが掲示されていて面白い。効果のほどは怪しいものであるが。

8時45分頃、10時45分頃とトイレ休憩。後者はケンタッキーやサブウェイも入る近代的なサービスエリア。ここのチャーエは紙コップにティーバッグを入れたものにミルクを注いで、自分で砂糖を入れる。なんとなくミルクが薄い気がする。水が入っているのであろう。

11時50分頃、ケウラの塩鉱山に到着。まずは昼食。チキンの「ハンディ」という小さな鍋料理に、ダール(豆)のカレーなど。そして1時間ほどしていよいよ鉱山に入っていくトロッコ列車に乗車。鉱山内はLED風の電飾で飾られている。7分ほどで下車。ここはアレキサンダー大王遠征の際に馬が地面をなめていたので岩塩があると分かったという伝説のあるところ。実際にはムガル朝期に始まり、現在に至るまで岩塩を産出。世界第二位、現役では第一位の塩鉱山とのこと。

岩塩はマグネシウムを多く含むものは白っぽく、鉄を含むものは赤っぽくなり、地層のような模様を描いている。また、地下水が染み出た部分は塩がツララ状に固まったり、壁や天井、床を白い塊で覆ったりしている。

広い坑道を歩く。掘りぬいた後に水がプール状にたまっているところをライトアップしていたりして幻想的。さらに塩のブロックで作ったモスクも。鉱山労働者のために作られたものだそう。さらには現在パキスタン人は入れないという「クリスタル・パレス」に入れてもらう。天井や壁に塩の結晶が大量に浮かび上がり、輝いている。さらに「鏡の宮殿」へ。こちらは壁がツルツル。
Khewra_salt_mine
ケウラ塩鉱山内部

14時ごろ、再びトロッコ列車に乗って、外へ。ちょっとバスで移動して、岩塩でできたランプシェードなどを売る土産屋街へ。いい感じの山中の田舎町の風情。ミルクをタンクに入れてバイクが各戸に配送していた。

14時40分頃、バスで出発。岩塩のブロックを積んだトラクターと何度もすれ違う。そして再び「スーパー・ハイウェイ」へ。峠を越え山間部になってきた。周囲は農地から未利用地へ変貌。

17時35分、パキスタンの首都、イスラマバードに到着。スーパーで買い物した後、夕食会場へ。パキスタン最後の晩餐はペシャワール料理。ひき肉を円柱状に丸めたもの(コフタないしキョフテ?)や、チキンのカレー、それにプラウ。それに甘くない緑茶。

19時半頃出発して約30分で空港に到着。メッカ巡礼のシーズンで、サウジアラビア行きのフライトが近いことから、空港内外は大混雑。セキュリティ・エリアにたどり着くまで80分ほどかかる。巡礼用の白装束に身を包んだ人をたくさん見かける。さすが信心深いようで、エリア内のモスクも人がいっぱい。

そして24時少し前のタイ国際航空で、一路バンコクへ。

1月3日
4時間15分ほどのフライトで、6時10分にバンコク・スワンナプーム空港に着陸。こちらもセキュリティ・チェックで大行列。それでも何とか間に合って8時半過ぎのタイ国際航空に搭乗。エアバス380だった。そして成田も混雑しているとのことで上空で待機させられたがバンコクから5時間40分ほどで到着。

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2017年1月14日 (土)

パキスタン旅行(4)ラホール

2017年1月1日
6時15分モーニングコール。なんとなく腹の調子がいまいち。朝食はおかゆ(オートミールか)など控えめに。7時50分ツアー出発。15分ほどでバードシャーヒー・モスクへ。ムガル帝国の第六代皇帝アウラングゼーブにより1674年に建造。ペルシャ風の庭園を横目に中へ。中庭は一辺160m、ミナレットは高さ50mで、まずはでかい。3つの大ドームに4つのミナレットと、デリーの金曜モスク(ジャマー・マスジッド、こちらは第五代皇帝シャー・ジャハーンによる建造)に形は似ているが、こちらのほうが断然大きく感じる。収容人員はパキスタン第二、世界でも第七位とか。
Badshahi_mosque_in_lahore
朝もやに包まれるバードシャーヒー・モスク【ラホール】

建物の内部へ。大理石を彫り込んだり、彩色して描いたりしてアラベスク模様が満ちていて、シンメトリーな構成とも相まって、どこからどこを撮っても絵になる。朝日の差し込み方まで芸術的に見える。素晴らしい。1時間ほど堪能。

その後、隣のラホール・フォートへ。こちらは最初の建造期は11世紀だが、今に残るはムガル帝国期に建て直されたもの。シャー・バージ・ゲートから中へ。象嵌細工っぽいのもみえる。第三代皇帝アクバルの王座は地味。シャー・ジャハーン、そして第四代皇帝ジャハンギールの庭園や宮殿は豪華だったと思われるが、傷みがひどく、また落書きがひどい。なんとかならないものか。「シーシュ・マハル」は「鏡の宮殿」とも言われ、イランにある聖者廟のように内部の天井や壁が小さな鏡で埋め尽くされ、輝く。同じ中庭に面する「ナウラカー」は大理石でできた小館で、柱の造形や象嵌細工が美しい。そして「象の通り道」を通って場外へ。

10時15分頃にバスに乗って10分ほどでラホール博物館へ。切符購入に10分ほどかかった後、入場。まずはガンダーラ美術。仏陀の前世、仏陀の生涯などを描いた彫刻や仏像など。有名な「断食をするシッダールタ」像は断食でやせ細った姿がリアルすぎて気持ち悪いほど。そのほかにヒンズー教やジャイナ教の像、パキスタン独立の歴史に関する写真、ビルマ(と表記)、ネパール、チベットの仏教関係の展示、細密画など雑多な展示。アフリカン・アートまである。

12時頃出て昼食会場へ。ファーストフード店を貸し切り。いつものように各種カレー。12時50分頃出発して20分ほどでシャリマール庭園へ。シャー・ジャハーンにより1642年に建造された、十字に水路が走るペルシャ式庭園。三段のテラスそれぞれが庭園になっていて、中央のテラスには池があり、噴水も(一部)吹き上げる。園内には木が生い茂り、地元の人々で賑わう。水は汚いし、枯れた水路もあるが。

14時15分に出て、1時間ほどかけてワガの国境に到着。バスを降りて簡単なボディチェックを受けた後、バスに再び乗り込んで駐車場へ。トイトレイン風のに乗ってスタジアムへ。ここはインド・パキスタンの国境で、毎日国境を閉鎖し、国旗を降納する儀式が行われるのだが、それを見るためにインド・パキスタンの双方に観覧席が設けられているのである。15時半頃入ると、すでにスタジアム内は大音量で愛国心をあおる歌が流れ、民間ボランティアの男性が片足で旋回舞を踊り(ちなみにもう片足は義足であった)、やんやの喝さいを浴びている。ゲートを隔ててインド側にも同様のスタジアムが見えるが、こっちが大音量と大歓声に包まれているので、インド側がどうなっているのか把握できない。

16時、羽というか扇子のような飾りのついた帽子の警備兵が入場。盛り上がり、立ち上がる観客たち。国旗が振られ、こぶしが上がる。打ち鳴らされる太鼓、そして後ろの舞台のようなところで兵士姿および警備兵姿の二人の男が代わる代わる何やら朗誦(時にロング・トーンを見せつける)。それらにあわせて、警備兵は足を高く上げて歩を進める。応援団長みたいのがいて観客を煽り立てる。盛り上がりは最高潮になり、「パキスタン・ジンダバード(万歳)」などと声をそろえて叫ぶ。みればインド側でも色違いだが同じような制服の警備兵が同じような動きをしている。どうやら動きを合わせている。そして両国そろって国旗を降ろし、握手。後はそれぞれ国旗を畳んで事務所に運んでおしまい。応援合戦のようなものか。

国威発揚ということなのか、なんにせよイスラム教徒という以外に共通点のない多民族の人工国家(人工的ではない国家などないのだが)において、こういうことを毎日やって、あるいはこういうイベントに参加することで、国家とか国民とかそういうものを意識し、させる、そのための装置なのであろう。それはまた同時に一大エンターテインメントでもあった。式は30分で終わったが、駐車場まで写真を撮り撮られながらだらだら歩いて30分、さらに大渋滞の駐車場を抜けるまで15分。後はラホール市街へとひた走り、18時40分頃、スーパーでちょっと買い物。スーパーというより菓子屋に雑貨屋が付属したような感じだったが。

ホテルでトイレ休憩した後、ラホール博物館近くまで移動。そこから5、6分ほど歩いて「フード・ストリート」とも呼ばれる商店街へ。その中の食堂へ。店の前で調理していて、鉄板の上でタカタカとリズミカルな音を立てながら包丁を打っている。贓物を鉄板の上で刻みながら焼く「タカータク」という名物。注文に時間がかかるということで、いったん店を出て10分ほど商店街を歩く。なかなかの活気。料理は「タカータク」として、ヤギの睾丸のカレー、それに羊の脳みそのカレーが登場。ラホール料理は本来はパキスタンの中でも激辛で有名らしいが、ガイドが日本人客向けに一番辛くなくしてくれと頼んだとのことで、あまり印象に残らない味。緑茶はレモンが入っているのか、甘酸っぱかった。

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2017年1月11日 (水)

パキスタン旅行(3)ムルタン、ハラッパー

12月31日
6時にモーニングコール。だんだん遅くなる。朝食はホテルのビュッフェ。それほど辛くない。機械で自分で入れるエスプレッソはまずいの一言。部屋に戻る。やや下痢気味。このホテルも7、8人ほどのライフルを持ったガードマンに守られ、車止めも完備。車が中に入るだけでも大変。

7時40分にツアー出発。寒い。そして今日も霧。5分ほどでシャー・ルクネ・アーラムへ。14世紀にたてられたダルガー(聖者廟)で、高さ33mとでかい。こちらは昨日のダルガーと異なり現役の聖地。中へ入ると大きな墓があり、その周りに聖者にあやかってつくられた「あやかりの墓」が並ぶ。「結婚したい」「子供がほしい」といった願いごとをしに人々が訪れるという。中にはミフラーブもあった。入り口近くでビニール袋に詰めた花びらを売っている・・・と思ったらただとのこと。ありがたくいただいて墓の上にまいて、地元の人をまねて頭をつけてみる。触るとご利益があるらしい。日本風に言えばパワー・スポット。スーフィズムの聖者廟はシーア派、スンニ派に関係なく礼拝の対象になっているという。

8時半に出発し、20分ほどでガソリンスタンドでトイレ休憩。囚人の護送車がやってきた。カメラを向ける日本人。柵をつかみ手を振る囚人たち。なんなんだこの光景は。ここパンジャーブ州はイギリス植民地時代に灌漑が整備されて一大穀倉地帯になっており、走っていると何度もまっすぐな水路というか運河を橋で渡る。菜の花畑が多いが食用油は主に菜種とのこと。レンガ工場なのか、煙を上げるずんぐりむっくりな煙突もよくみる。

10時半に再びトイレ休憩。いい感じの茶屋があるのでチャーエを頼もうとしたら・・・結局ガイドが全員におごってくれることになった。地元の牛乳を使い、トラック・ドライバーにも評判の店とのこと。確かにうまい。そして温まる。

再び出発。11時25分に踏み切りでストップ。せっかくなのでバスを降りましょうということになり、地元の踏み切り待ちの人々とともに列車の通過を待つ。ちょっとしたことでもイベントに仕立ててしまう。うまい。はたして約10分後、霧を突いて旅客列車が通過。

11時50分、ハラッパーに到着。インダス文明の遺跡。まずはハラッパー博物館へ。コート・ディジなどインダス文明期より前の遺跡のものも含め、雑多に展示。モヘンジョダロの博物館のほうが充実しており、ガイドの説明にも力が入らない。こちらの見ものは男性と女性一体ずつの人骨。女性のほうは腕輪をしている。一体どんな人物だったのだろうか。石の重りも展示。河川を通してモヘンジョダロ、それにバーレーン、さらにはメソポタミアと交易(物々交換)していたらしい。ただし、メソポタミアとはイラン高原を行く隊商ルートがあったとの説もあるそう。文字が解読されていないインダス文明は謎が多く、興味が尽きない。

12時20分頃に遺跡へ。我々にだけ、ライフルを持った警備員が付き添う(ローカルの観光客にはつかない)。まずは城塞地区。井戸や下水、土器の工房、印章の工房など。さらには穀物倉庫、それにレンガを焼いた窯など。19世紀の鉄道建設の際にレンガが掘り出されて線路の敷石代わりに使われてしまい、相当破壊されているといい、大変に残念。それでも遺跡全体の1~2割しか発掘されていないそうなので、今後の発掘・研究がまたれる。一方で、土器のかけらなどが地面に散在し、観光客が拾い放題。もう少しきちんと保護できないものか。
Harappa
散々破壊され、そして復元されているので、どこが本物かよくわからない【ハラッパー】

13時20分に出て、30分ほど走って食堂のある近代的なビルへ。何やら音楽が鳴り、人だかりができている。それを大型のテレビカメラが数台取り囲み、それにドローンまで飛んでいる。民族衣装風の楽隊がバグパイプとブラスバンドの小太鼓みたいなものを打ち鳴らす。お札が空へと撒かれ、男たちがそれをつかもうと手を伸ばす。どうやら、結婚式の儀式の一つで、新郎が新婦を迎え、親戚一同が集まる儀式「バラート」が行われるよう。花で飾った車も停まっている。我々の昼食はそれとは別会場で、チキンや豆のカレー、それに焼きそば(チョウミンのことか。そばというよりうどん風)。

15時過ぎに出発。1時間ほどでロードサイドの茶屋へ。地元の牛乳を使い、トラックドライバーに評判のチャーエの店。店の主人が、茶葉や砂糖を測りながら鍋に投入。そこから茶漉しに通しながら一杯一杯丁寧に注いでいく。その仕事ぶりを見ているだけでほれぼれする。そして、もちろん、甘くおいしい。

16時半に出発。パキスタンで人口第二の都市にして、パンジャーブ州の州都ラホールへと向かう。だんだん車の量が増えてきて、ついには渋滞に。サイズもスピードも違う車やバイクやトラクターが「ひしめく」という表現がぴったり。クラクションを鳴らしあい、隙あらばそこに突っ込んでくる。

19時半にラホールの高級ホテルに到着。こちらも入ると良い香り。そしてウェルカム・ドリンク(ザクロ・ジュースか)。ドアマンは先ほどの楽隊、さらにはムルタンのホテルのドアマンと同様に、大きな羽か扇子のようなものがついた帽子をかぶっている。パンジャーブの民族衣装なのだあろうか。このホテルでも「バラート」の儀式が行われ、セレブな感じの人々が三々五々集まる。特に女性たちの華やかないでたちに目を奪われる。ホテルのスタッフが写真をとっていいよと言って、儀式というかパーティ会場の入口に案内。花嫁らしき女性を説得してくれた。最初は嫌がっていたようで、申し訳ない。

夕食はホテルのルーフトップ・ガーデンで。焚火が燃え盛り、中東風の音楽が大音量で流れ、地元テレビ局の取材まで。雰囲気は大変セレブだが、食事は「スズメ」と説明された小鳥の肉(日本でいうところのスズメなのかどうかは不明)が珍しかったものの、あとはカレーもプラウも辛いだけで特にうまくもない。添乗員の持ち込んだカップそばが一番うまかった。

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2017年1月 8日 (日)

パキスタン旅行(2)サッカル、ウチュ

12月30日
5時にモーニングコール。今日も早い。朝食はパン、オムレツにおかゆ、みそ汁。チャーエは添乗員の配慮で砂糖なしで出てきた。せっかくなのでそのままいただく。甘くなくても、うまい。6時半ごろ出発。朝もやの中にナツメヤシの木の影が浮かび、幻想的。バスに揺られながら小刻みに夢を見る。夢か現か幻か。

7時10分にコート・ディジ・フォートに到着。鍵を持つ管理人が着くまで15分待つ。周囲にはスンニ派とシーア派のモスクがそれぞれあり、どちらかわからないが説教の声が聞こえる。時々、唄うような調子になる。門が開き、場内へ。タルプール(Talpur)藩王国の創始者であるソーラブ・ハーン(Mir Sohrab Khan、Mirは王などの称号)が18世紀に建てた砦というか城。レンガが積み上げられて城の形になっている。レンガでできたというかレンガが表面に出たままの城というのはたぶん見たことがなかったので、なんというかブロックで作った城のようで(しかも巨大)、壮観。眼下に広がる朝もやに煙るまち、そして朝日も美しい。

8時半ごろ、バスにて出発。ナツメヤシ畑を車窓に眺める。9時10分頃、ナツメヤシの実(デーツ)の土産屋が数軒並ぶところで買い物ストップ。種の代わりにアーモンドが入っているものをひと箱買ったところ、店のおやじが「俺からのギフトだ」と、普通のデーツを箱から取り出して小さな袋に入れてくれた。さらにフルーツケーキのようなものも「食わないか」といってくれた。やけに愛想がいい。ぼったくられた風でもなかったが。

9時半に再び出発。せっかく現地の日本語ガイドがパキスタンの歴史を熱く説明してくれたのに、眠気に勝てず、つい寝てしまう。その罰が当たったのか、首が痛くなった。1時間後にトイレ休憩。ドライバーは走り屋なのかよく攻める。トラックやら何やらで渋滞していたところでは、中央分離帯を乗り越え、反対車線に出て果敢に逆走。渋滞の起点にまで躍り出た。サトウキビを満載したトラクターが曲がり切れず、道をふさいでいた。

この辺りはサトウキビ畑が多く、また製糖工場があるとのことで、トラクター、ラクダ、ロバがサトウキビの束を引っ張っている姿をよく見かける。12時頃、シンド州とパンジャーブ州の境界を超える。検問があり、本当は乗客・乗員全員の身分証チェックなどが必要なようだが、ツアー会社が準備していた乗客名簿を見せるだけで通過できた模様。

13時頃、昼食ストップ。プラウ、チャパティ、レバーのカレー、豆のカレー、別の豆のカレー。食後の緑茶は甘い。厨房に見学に行くと写真大歓迎。我々は屋内で食べたが、屋外にも中東のベッド風の席が上がり、人々(イスラム圏ではよくある話だが外で飲み食いしているのは基本的には男性のみ)はそこに上がって胡坐をかいてくつろいでいる。停まっていたデコトラにガイドが交渉し、運転席に上がらせてくれた。中もデコレートされていた。

14時半頃出発。ドライバーは相変わらず攻める。一台の車を左右両側から二台の車が同時に抜き去ることも。それも二車線+側道という道路で、側道にはみ出て強引に走りながら抜く。バスは幹線道を離れ、農村地帯へ。そんな道でも渋滞を尻目に反対車線に突っ込んでまたも逆走。

16時頃、ウチュないしウチ・シャリフというまちに到着。草クリケットをやっている野原をガイドは構わず突っ切ろうとする。おいおい、と思っていたら、プレーをやめて笑顔でウェルカム。こちらがカメラを構えれば、バットを構えてポーズをとる。小高い丘を上がっていくと、崩れかかったレンガ造りの建物。イスラム教のスーフィズム(神秘主義)の聖者の孫娘の「ダルガー(廟)」、ビービー・ジャヴィンディン廟である。1492年建造。イランやウズベキスタンでよく見られる青いタイルが表面に使われていて美しい。さらに沈む夕日も美しい。一方、ここにいるガキどもはとてもすれていて、美しいとは言い難い。
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ウチュのビービー・ジャヴィンディ廟

16時半に出発。日が沈み、霧も濃くなって見通しが悪い。トイレ休憩をはさみつつ、20時20分頃、ムルタンに到着。ホテルは昨夜とうって変わってわりと豪華な外資系ホテル。アロマ・ディフューザーがロビーに設置され、ほのかに良い香り。夕食はここのレストランでマトンやダール(豆)のカレーなど。雰囲気にのまれていつもは警戒して食べない生野菜まで食べてしまった。

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2017年1月 5日 (木)

パキスタン旅行(1)モヘンジョダロ

2016年12月28日
スカイライナーで成田へ。今回は添乗員付きのツアーに参加。7時15分成田集合の早起きツアー。自分でチェックインして30分後に再集合。ここで、明日利用予定だったパキスタン国際航空の国内線が欠航になったと昨日になってわかったとの報告が。代わりにバスで8~9時間かけて移動に変更と。同航空は数週間前に事故を起こしており、事故機と同型の機材は運航禁止になっていたとのニュースが流れていたので、その余波と思われる。案の定の範疇。とは言え、旅行会社としてはドライバーや車の手配で大変であろう。逆に言えば、こういうことがあるからこそ、ツアーに参加する意味がある。

10時10分頃離陸のタイ国際航空で6時間半弱のフライトで14時半ごろにバンコク・スワンナプーム空港に着陸。安心・安定のTGクオリティの機内サービスであったが、なぜか座席がリクライニングせず、そのせいもありあまり眠れず。降機後、マッサージをと思ってインフォメーションに場所を尋ねると「ここから1km」とのご案内。広すぎる空港も考えもの。やっとたどり着いたと思ったら閉まっている。近くのインフォメーションで再度尋ねると、さらにその先にあるホテル内にあるという。ようやくたどり着いたマッサージは、割と痛めだが、まあよい。

19時半頃離陸のタイ国際航空に搭乗。今回はリクライニングして割とよく寝れた。4時間50分ほどのフライトで22時20分頃にパキスタンで人口最大の都市にしてシンド州の州都であるカラチのジンナー国際空港に着陸。南アジアのような、中東のような、そんな雰囲気。ツアーバスで30分ほどかけて移動し、24時15分にホテル着。割と立派なホテルに見えるが、室内のペットボトルの水はただのろ過水なので飲まないようにとの注意が。見掛け倒し系か。チェックイン、明日の説明などいろいろあって、部屋に入ったのは24時40分頃。さっさと寝たいところだが、外の車が割とうるさく、なかなか寝付けず。

12月29日
3時半にモーニングコール。シャワーは水のみ。ホテルで簡単な朝食をとった後、5時ごろにツアーバスが出発。パキスタン建国の父にして、初代総督であるムハンマド・アリー・ジンナーの墓「カーイデ・アーザム廟」を車窓に眺めてバスは首都・イスラマバードまで続く「スーパー・ハイウェイ」へ。まだ暗いうえに、朝霧が激しく、しかも街灯が一切ないのでよくわからないが、どうやら街を抜けて、大平原を走っているもよう。そして「スーパー・ハイウェイ」のわりに道が凸凹している。と思ったら、工事中のためのう回路であった。

6時半ごろ、ガソリンスタンドでトイレ休憩。トイレは建設途上で照明がなく、真っ暗。早速ヘッドライトを使用。どうやらモスクが併設されていて、そのトイレのよう。その後もガソリンスタンドにモスクが付設されていることが多かった。客寄せに有効なツールなのだろう。

日が昇ってきた。周りは砂漠のような感じ。ゴテゴテに飾ったデコトラをたくさんみかける。7時50分頃、再び休憩。デコトラを撮りまくり。9時50分頃、再び休憩。イラン風というか中東風のベッドのような台に上がって座り込む形式の喫茶店が屋外に。明るくなってきたものの霧が濃い。周辺は農村になってきていて、ヤギ、牛、水牛をよく見る。ロバやラクダの姿も。12時頃再びトイレ休憩。暑くなってきた。

その後、ハイウェイを降りて、農村地帯の中の道へ。水牛が小川で水浴びさせられていたりする、のどかな道。しかし途中で渋滞に。農村の中の中心部みたいな集落で、トラクターやらトラックやらバスやら自家用車やらバイクやら、さらには歩行者でカオス状態。警官もやってきた。どうやら、この道は工事中で先には進めないらしい。ということで、12時40分頃、Uターン。

14時頃にモヘンジョダロに到着。まずは昼食。食後に中庭にある屋外喫茶でチャーエ(ミルクティ)を。ミルクに茶葉と砂糖を入れて煮出すスタイル。インドなどと違ってスパイスはなし。甘く優しい。

14時50分頃、モヘンジョダロ博物館へ。世界四大文明の一つ、インダス文明の時代の、またそれよりもさらに古い時代の石器時代などの発掘物を展示。有名な神官像はレプリカだが。牛や一角獣の姿、それにいまだ解読されていない文字が刻印された印章が興味深い。

15時45分頃、いよいよ遺跡の中へ。まずは「城塞部」。2~3世紀ごろの仏教遺跡のストゥーパのふもとに、紀元前2600~1700年ごろに栄えたといわれるインダス文明期のレンガの建物・街並みが広がる。レンガは日干し煉瓦だけではなく焼成レンガも使われているという。沐浴場はきれいに形が残り(あるいは復元され?)、あちこちに排水路が張り巡らされている。続いて市街地跡へ。家々の区画がわかるほか、高い円筒形の柱があちこちで目に付く。これは井戸で、2階から直接井戸水を利用できたという。Moenjo_daro
レンガを積み上げてつくられた街の跡が残る【モヘンジョダロ・城塞部】

レンガの街並みの跡が広がる、素晴らしい遺跡。そしてこの後の観光地でも同様だったが、地元の人々にやたらとセルフィを一緒に撮ってくれと頼まれる。外国人が珍しいということか。確かに、ここに限らず、我々のグループのほかに外国人を見ることはほとんどなかった(ワガの国境やホテルの中では中国人らしき人々は見かけたが)。それにしてもスマホとは偉大な発明なのだと感じ入る。また握手を求められることも多かった。握手した後、胸に手を持っていく仕草は、南アジアに共通のものだろうか。なお、たいていは中国人と思われていたようだった。

17時半頃、バスで出発。30分ほど走り、インダス川に架かる橋で写真ストップ。もう日は落ちて、だいぶ薄暗かったが。そして18時50分頃、サッカルのロードサイドにあるホテルに到着。ライフルを持ったガードマンが7、8人がたむろ。フロントは小ぎれいで、ウェルカムドリンクとして冷えた缶コーラも。しかし部屋の中は古さを隠せない。もっともツアー会社から散々、期待するなと言い含められていたので、想定の範囲内。出ないと言われていたお湯も出た。

夕食はホテルの食堂で。ナン、プラウ(スパイス入りの炊き込みごはん)、魚のフライ(これは美味)、そしてシーフ・カバーブ(いわゆるシシカバブ、クセのある辛さ)。食後の緑茶は残念ながらティーバッグ。

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