2017年6月 1日 (木)

セネガル旅行(7)フォンテーヌブロー

5月8日
またも深夜食。機内のテーブルがどこかで何かが外れているのか、傾いたままでまっすぐにならない。片手で押さえながらとにかく早く片付けようと必死に食べる。何かの罰ゲームのようだ。エールフランスはシャンパンが出るぐらいしかメリットがないと思い、頼んでみたが、液体は邪魔なだけだった。そして着陸直前にはよく冷えたクロワッサンが。

5時間のフライトで6時40分頃、パリ・シャルルドゴール空港に着陸。トランジット時間に余裕がないのに30分ぐらい遅れている。前回よりは入国審査の行列などは短く、1時間ほどでパリ市内に向かうRERの駅に到着。券売機はまたも紙幣が使えない。前回はそれでひどい目にあったが、今日は大丈夫、ちゃんと硬貨を用意してきた。

硬貨を入れる。が、途中で迷っているうちに初期画面に戻ってしまった。やり直すが、再び迷う。そして入れた硬貨の金額がどこにも表示されない。これではいくら入れたかわからないではないか。困っていると、再び初期画面に。そして入れた硬貨は戻ってこないことに気づく。嫌な予感がする文字が光っているのに気づく。初期画面を英語にすると、小さなコインのイラストにNoみたいな表示が。硬貨は使えないらしい。でも投入はできるらしい。でも戻らないらしい。これは詐欺である。あるいは横領か窃盗か。4ユーロほど騙し取られた。そしてさらに券売機の画面が反応しなくなった。金を奪い取った後は、だんまりを決め込むとは、最新のAIでもまねできない技。

ともかく時間に余裕がないのでさっさと切符を買って列車に乗って移動したい。券売機を告発するのは諦め(こうしてSNCFは外国人旅行者から金を巻き上げているのだ)、有人カウンターへ走る。意外に空いていた。そして、フォンテーヌブローと告げると18.5ユーロ、往復と言い足すと36ユーロちょっと、しかしだったら「PARIS VISITE」という1日券のほうが24.5ユーロと安いと教えられる。ということでそれを購入。初めからこうすればよかった。

7時45分発のRER B線に乗車。各駅に停車。40分ほどでシャトレ・レアル駅に到着。乗り換えようと駅構内を歩いていたら切符を見せろと言われる。腹立ちついでに乗り換える路線のホームを聞いたら、元のホームの反対の番線だった。そしてRER A線に乗って、リヨン駅へ。今日は迷わないぞと思い、構内のディスプレーを見ると、フォンテーヌブローに行く列車は事前に調べた「R線」(近郊列車の線名のよう)ではないらしい。ともかく書いてあるホームへ。客車の列車であった。長距離用なのだろうか。旅情があってよい。

駅構内でパンとカフェオレ(薄い)を買い込んで列車へ。ダイヤより10分ほど遅れ9時40分頃にフォンテーヌブロー・アヴォン駅に到着。駅前に1番バスが止まっているので乗車。前面に「CHÂTEAU」と表示していた気がして安心して乗っていたが、宮殿につく雰囲気もないし、乗客は地元客ばかりになってきた。不安になって運転士に聞くとフランス語で何かがなられる。「パス」と聞こえた気がする。もう通り過ぎたのだろうか。結局、ここで降りろと言われた住宅街で降り、乗客の老爺が指し示す方向に5分ほど歩くと宮殿が見えてきた。正面には有名な馬蹄型の階段が。

こうして10時過ぎにようやくフォンテーヌブロー宮殿に入場。時間がないので「ナポレオン1世博物館」の部分は通り過ぎて、教皇のアパルトマンとグラン・アパルトマンという部分だけ見学。ここは16世紀にフランソワ1世により建築された宮殿で、その後、ナポレオン3世にいたるまで、歴代の王が暮らしたところ。フランソワ1世の回廊、舞踏会の広間は豪華だが、床や壁、天井に木が使われ、落ち着いた豪華さ。さらに皇后の寝室、玉座の間、会議の間など、次から次へと豪奢な部屋が続く。この辺りは調度品も派手派手しく、だんだん辟易としてくる。最後は三位一体の礼拝堂。木をデコレーションして大理石や金属のようにみせているようで面白い。
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フランソワ1世の回廊【フォンテーヌブロー宮殿】

建物を出て、広い庭園の一部も見学。残念ながら雨。大花壇には花が一つもない。11時15分頃、外へ。タクシーが停まっていないかと淡く期待したが、当てが外れる。バス停があるが、次のバスは12時。歩くしかない。40分ぐらい歩けば駅のようだ。しかし5分程歩き、クラシカルなメリーゴーランドなどがあるまちの中心部のあたりで、タクシー発見。助かった。

7分ほどで駅へ。ちょうど列車が入ってくる。走ってホームへ。しかし、これはパリから来た列車。と、反対側ホームにも列車が。走る。そして、11時半過ぎの列車に飛び乗る。フォンテーヌブローの街は白人だらけだったが、車内はむしろ黒人のほうが多い。これもフランス。そして40分ほどでパリ・リヨン駅へ。そしてRERのA線、B線と乗り継いで、40分弱でシャルルドゴール空港へ。

制限エリア内で昼食をと思ったが、ろくな店がない。ブランドショップに場所を割きすぎである。乗客の利便性よりも高額な買い物をさせて金を落とさせることしか考えていない。カフェらしきものもあるが行列。列が短い小さな店は、これだけ空腹なのに食欲が全くわかないサンドイッチ(しかも不要にでかい)ぐらいしか置いていない。困ったが結局、チョコケーキみたいな代物を買って食べる。

ダカールでは次の上海までしか発券できなかったので、上海・成田間のチケットはどうなるのかカウンターで聞いたら、上海についたらトランスファー・カウンターに聞けとのこと。なんとなく問題先送りな感じもしたがやむを得ない。そして15時頃離陸のエール・フランスで上海へ。

5月9日
9時間半のフライトで上海・浦東国際空港に到着。トランスファー・カウンターなどなく、まず入国審査。そう、たとえトランジットだけでも入国しないといけないのだ。こんな無駄で馬鹿々々しいことを強制するのは米国と中国ぐらいなものだ。入国後、預けた荷物を引き取る。その先に、トランスファー・カウンターの矢印が。そして順番が来て、eチケットを見せると――外へ出てデルタ航空のカウンターに行けと。ここは中国東方港のカウンターなので、と。そして、「急いで」、と。トランスファー・カウンターに行けと言ったではないか。デルタもエールフランスもこっちだと複数の看板に書いてあったではないか。Skyteamとして提携しているのではないのか。空港は虚偽表示と嘘つきだらけだ。

ともかく、急いで出口へ。しかし出口の荷物検査で行列。やっと出て、デルタ航空のチェックイン・カウンターへ。自動チェックイン機があるので自分で操作しようとしたら、職員が代わりにやってくれるという。そして、パスポートの読み取りに失敗し、ほかの職員が応援に呼ばれ、画面上にクレジットカードをスワイプしろと表示されたのでカードを出したら、なぜか止められ、eチケットの番号を入力すると言われ、しかしそれも失敗し――結局、有人カウンターに行けと言われる。そして有人カウンターに行ったら、やはりクレジットカードを出せと言われる。が、出したら、見ただけで返された。謎だ。さらに荷物を預けると、荷物検査に回される。カメラのバッテリーは手荷物に入れろと言われる。

そして出国検査の行列、手荷物検査の行列を経てようやく中へ。軽く小籠包でも、と思っていたがそんな余裕なし。沖止めなので、バスに乗り込んだら、スマホのデルタ航空のアプリに「出発時刻が変更された」との表示が。しかも予定より15分早まると。もっと早く知らせてくれなければ何の意味もない。

そして10時40分頃離陸のデルタ航空で2時間10分ほどで成田へ。

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2017年5月29日 (月)

セネガル旅行(6)ダカール、ゴレ島

5月7日
歯ブラシに小さいゴキブリが挟まっていた。割ときれいなホテルだと思ったのだが。そんな朝。朝食を兼ねて周囲のプラトー地区の散歩へ。裏通り感あふれる通りから、開店準備中の常設屋台を横目に歩きながら、この都市最大の目抜き通り、ポンピドゥー通り(Avenue George Pompidou)へ。大きな街路樹もあり、多少の風格はあるが、まだ店が始まっていない時間であることもあって、なんとなくわびしい。ゴミも多い。

何やら親し気に話しかけてくる男が。アーチストを自称。この町の父と呼ばれ、町のみんなに尊敬されていると自称。勝手についてきて、街をガイドしているつもりらしい。予想通り店に来いという話になったので、興味がないというと、ビジネスカードを渡すから来いと。ビジネスカードぐらい持ち歩けばいい。断ると、コーヒーをおごれと。断ると、なぜだと。おごる理由が一分もない。面倒くさい。

流れでこの都市の中心部ともいえる独立広場(Place de l’Indépendance)へ。コロニアル建築がいくつかあり、高層建築も工事中だが、中心感をあまり感じない。そして座って朝食を取れる店がなかなか見つからない。結局、朝から開いているパブへ。朝からビールを飲んでいる白人客が。今日は日曜日。ここでクローク・ムッシュとカフェオレの朝食。

ホテルに戻りチェックアウト。朝食どうぞと今更言われる。先に言ってくれ。外へ。チェーンのスーパー・マーケットがあったので入ってみる。外国人・富裕層向けのようでセネガルらしさに欠ける。出て歩いていると、久しぶり、昨日は警備の制服を着ていたけど、今日は非番だから私服なんだ、わからなかったかい、と親し気に話しかけてくる男が。いや、初めて会うと思いますけど。店に誘うまでもなく、何かをせびるわけでもなく、今夜必ず会おうと言って去って行った。謎。

謎の男に入り口を教えてもらって、今日の目的地、ゴレ島(Île de Gorée)に行くフェリー乗り場に到着。謎男はフェリーは10時半発だと言う。それで思い出した。フェリーの時刻表を調べてきたのだった。見ると日曜午前は7時、9時、10時、12時のみだった。時計を見ると、10時3分。これはまずいと焦る。が、それほど時間通りでもないようで、結局、10時15分過ぎに出港したフェリーに無事乗船。

20分ほどでゴレ島に到着。桟橋近くにちょっとしたビーチがある。海の水がきれい。細い路地へ入っていくと、奴隷解放の像(La Statue de la Libération de l’Esclavage)が。近くの「奴隷の家」(Maison des Esclaves)の入り口に11時15分にオープンとの表示があったので、それまであたりをぶらつく。視察っぽい団体客が入って行った建物について行ってみると、そこはサンドアートの店。様々な色の天然の砂と、人工的に染めた砂とを使って、絵を描いているという。

そしてこの島一番の観光スポット、1786年建造の「奴隷の家」へ。ゴレ島は西欧列強が貿易の拠点としていたところで、特に大西洋奴隷貿易の拠点となっていたことで知られる。この奴隷の家は2階建てで、1階には奴隷が収容されていた窓のない部屋や、奴隷としてアメリカ大陸に送られる際に通ったという「帰らずの扉」などが、2階には奴隷貿易に関する説明パネル(フランス語)や拘束具、銃などが展示されている。――ということになっている。

しかし、渡航前に読んだ本の説明は違った。フランス人男性と現地人女性の間にできた混血女性は「シニャール」と呼ばれるが、中にはヨーロッパ人との接触を通じて裕福になった者もいた。そして「奴隷の館」は、そうしたシニャールの所有した家で、奴隷が収容されていたわけではないというのである。そう言われてみると、中庭から2階までは対になる曲線の階段だったりと洒落れたつくりだったりして、奴隷収容所にはみえない。

そのため、なんとなく冷めた気分で展示を鑑賞。「『罰を与えるための部屋』だった狭い部屋に入ったマンデラが、10分間泣いていた」といった新しい伝説も語られていた。いずれにしても、この島が奴隷交易の中心地となり、大勢のアフリカの人々が奴隷として集められ、大西洋を渡って過酷な労働にさらされた(あるいはその前に命を落とした)のは事実であろう。様々なメッセージも寄せられており、その中にあった「先祖が生き残りの才能を授けてくれたんだ、だから我々は強いんだ」という文章が印象に残った。

なんだかんだで30分ほど見学した後、外へ出て路地めぐり。カラフルに塗られた壁に、木の窓扉、大きな樹木が木陰をつくり、あちこちに花々が咲く。ゴミも落ちておらず、車も走らない小島。美しく、静か。歩いているといつの間に島の南端のCastelという小高い丘へ。付近はアート市場といった趣で、道沿いに小洒落れた絵などが並ぶ。丘の上には第二次大戦中に使われたという砲台が。ここもアートというか土産物というかの展示場に。リモコンなどのちょっとしたごみを使った作品が並ぶ。周りには人々が住み着いている。
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南国コロニアルな路地【ゴレ島】

疲労感を覚え、丘の上の食堂へ。バオバブのジュース「ブイ」がドロッと甘く冷たくおいしい。米がないと言うので、フレンチフライと鶏肉を。ピーナッツも出てきた。落花生はフランス植民地時代以来、この国の特産品である。ぱさぱさのチキンに、まあまあな玉ねぎの昼食。

食後、丘を降りる。牛、ヤギ、アヒルに鶏、そこに野生のサギがやってきて、牛の体をつついている。空にはトビが飛び交い、地面をトカゲが走る。30分弱歩き、島の北端にあるIFANゴレ歴史博物館(IFAN Musée historique de Gorée)へ。1856年に完成した円形の砦(Fort d’Estrées)を使った建物で、屋上には砲台が並ぶ。内部の展示は石器時代からセネガル独立までと幅広い。写真を使った展示ばかり。もちろんフランス語。

20分ほどで退散。後は適当に島内をぶらつく。強い日差しにカラフルな壁の家々が生える。フォトジェニックな路地が多い。そして14時半発のフェリーで、20分ほどでダカールに戻る。朝と同じスーパーで水とジュースを買う。お釣りが20セーファーフラン(約4円)だったが、つり銭がなくて、キャンディを渡される。朝、同じシチュエーションになったときには50フラン(約9円)を渡された。いろいろ適当。

飲み終わったジュースの空き瓶を持って歩いていたら、シーシーと口を鳴らして呼び止められる。道端のポリバケツがごみ箱だと教えられる。そういうところは親切。ゴミ箱があるのもダカール中心部ならでは。2013年の火災の後はあまり活気がないというサンダガ市場(Marché Sandaga)を通り抜ける。市場として明確なエリアがあるというより、道端に出店が並んでいるタイプで、市場だかただの道だかよくわからない。

独立広場近くのバス停から7番バスに乗車。30分ほど乗車し、ワッカムあたりであらぬ方向にバスが進み始めたところで下車。次に目指すはアフリカ・ルネサンスの像(Le Monument de la Renaissance Africaine)。高さ52mの像が丘の上に立っているはず。少し歩くと見えてきた。像を目指して歩くが、スマホの地図をみても道がどうなっているのかよくわからない。丘の近くを通る高架道路があり、そこから道が伸びているように見えたので、近づいてみると、排水路だった。登れないこともなさそうだが、かなり無理しないと無理。

試行錯誤しながら30分ほど歩いて、ようやく像から伸びる階段の下のエリアに到着。横から見てもなんだかよくわからなかったが、正面から見ると、アフリカ人親子3人が風を切って空を見上げている姿。銅像建設に定評があるとされる北朝鮮の建設会社が建造した像で(デザインはセネガル人建築家のピエール・グジャビ・アテパ(Pierre Goudiaby Atepa))、多額の費用を要したことで論争を呼び、建造を提唱した当時の大統領アブドゥライ・ワッド(Maître Abdoulaye Wade)は、像の完成2年後の大統領選に敗れている。が、今となっては人気スポットのようで、記念撮影している地元民多数。威風堂々たる像ではあるが、イスラムの国の像の割には肌の露出が多い気もする。その辺はおおらかなのだろう。

階段を5分ほどかかって上って、像の台座部分に到着。像の中に入って上に上がることもできるらしいが、外国人料金は6500フラン(1200円)とのことなので遠慮。像の立つ丘の上も展望台になっていて、ダカール市内が一望。もっとも、一望して面白かったり美しかったりする町ではない。ただ、岬の先端にあるまちで、三方を海に囲まれているさまはよくわかる。また、空港が市街地の中にあるのもよくわかる。

その後、バス通りに出て、3番バスに乗車。スマホ地図上であらぬ方向に進み始めたと思ったら、終点のバスターミナル「Terminus Petersen」。周りは道路に文字通り店を広げている人も多く、市場と化している。フライパンのような鍋に砂を入れて落花生を炒って売っている人も。が、道路はゴミだらけ。そういう時に限ってかぶっていた帽子が風で飛ばされ、内側から着地。再び被る気が失せるほど汚い。

40分弱歩いて、プラトー地区の食堂へ。スマホ片手にGoogle翻訳でいろいろメニューの解説を受けるが、セネガル名物の料理は片っ端から「finish」といわれ、結局、オクラソースの魚(Sauce Gombo Poisson)と、キャッサバの団子というか餅のようなもの(foutou)、それにビサップを注文。魚はうまいとは思うが、粘り気あるオクラソースにまみれて、ますます小骨を取るのが大変。

ホテルに戻って荷物をピックアップして、サンダガ市場近くのバス停へ。セネガル人ドライバーは歩行者に道を譲ったりしてマナーが良いが、高級SUVを乗り回す白人ドライバーは狭い道を減速せずに走りマナーが悪いと感じるのは偏見であろうか。なかなか空港行のバスが来ないので、20分弱待ったところで断念しタクシーに。ようやく慣れてきてフランス語で金額を言って値段交渉。しかしこれが最後のタクシー。20分強で空港へ。ただいま20時45分。パリ行のエールフランスは22時45分。ちょうどよかった。

――と、思ったが、ここからが長い。まずターミナルに入る際の荷物チェックで行列。さらにエール・フランスのチェックインでさらに長い行列。次いで入国審査前の荷物チェックで行列。何やら放送が流れるがすべてフランス語で状況を把握できない。そのうえすぐ後ろの白人中年女性のおしゃべりがとめどなく、全く放送が聞こえない(聞こえても意味は分からないが)。入国審査が終わった頃にはもう22時45分。土産物を物色する間もなく走ってゲートへ。と思ったが、ターミナル内で道に迷う。が、何とか正しい道(通路か)を見つけ、走る。間に合った。というか、約1時間遅れで離陸。やれやれ。

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2017年5月26日 (金)

セネガル旅行(5)サンルイ、ダカール

5月6日
ヨーロッパ風カフェでクロワッサンとカフェオレの朝食後、サンルイ北部の街歩き。直射日光は強いが日陰に入れば涼やか。微妙な廃墟感が漂うコロニアルな街並み。街中にもバオバブの木が生えている。この国で大きな影響力を持つイスラム教の一派である「ムリッド教(Muridiyya)」団の創始者、アーマド・バンバ(Amadu Bamba)の写真を模したイラストが家や舟に描かれているのをよく見る。信仰の証なのであろうか。小さなカーペットを敷いて、一人で何やら唱和したり、書物(コーラン?)を呼んでいる姿もよく見かける。
Saintlouis_in_senegal
サンルイの街並み

ゴミ箱があちこちに設置され、家庭ごみもそこに入れている。ゴミ回収車がそれを回収していた。隣の漁村の砂州はゴミだらけだったが、こちらは路上のごみは少ない。海辺に出ると、白馬が。なんとなく不思議な絵。島の北端にはアシのような草が生えていて、サギのような鳥が飛んでいる。海沿いの道にテントの屋根が貼られ、市場になっていたので、通ってみる。布製品や化粧品の市場のようだ。木の小枝をくわえて街を歩いたり、たたずんでいる姿をよく見かける。歯磨き用の枝らしい。

昼食は「レストラン」という表示にひかれてのれんのようなものをくぐる。入ると、トタン屋根の下、一つの四角いテーブルを囲んで一辺は調理場所で、残り三辺に客が陣取り、それで終わりという、小さな部屋。超ローカルな感じ。刻んだ鶏肉と玉ねぎとジャガイモを炒めたものと、新聞紙に包んだバゲット、それに甘いカフェオレ(ネスカフェ製)を。小さなゴキブリが隅を歩いているが、不思議とハエがたかってこない。天井で回るファンのおかげだろうか。

ホテルに戻って、タクシーを捕まえ、バス・ターミナル(Gare routière)へ。ホテルのスタッフ曰く、ターミナルまでタクシーは500セーファーフラン(約90円)だというので、その値段で押し通す。途中で別の客が乗り、また降りて行ったが(しかも金を払っていない)まあよい。15分ほどで到着。

タクシーの運転手にダカールに行くと言ったら、ダカール行きのセット・プラス(乗り合いタクシー)乗り場の前まで行ってくれた。本日も最後列。セット・プラスの車内の写真を撮っていたら、先に乗っていた中年男性がタブレットを持ち出して、珍しいアジア人の写真を撮影。お互い様。若い軍人も乗り込んできた。その場で買ったココナッツのお菓子のようなものくれた。その流れで、同じ売り子(中年女性だが)からこちらも砂糖菓子のようなものを買ってみる。軍人曰く「バオバブの種」とのことだったが、食べてみるとしょうがの塊のような感じで、とてもたくさん食べられない。袋には「buiscuit de pain singe et de gingimbre」と。バオバブの実としょうがのビスケット、といった意味だろうか。

13時10分に7人の乗客(+ドライバー)を乗せて出発。今回は足を降ろせるから多少は楽。早速ガソリンスタンドへ。その後は、道路の状態も良く、ずっと飛ばす。途中でサービスエリアで休憩、といったことはしないが、売り子がたむろしているあたりで止まって、(運転手は用を足したり、タイヤのねじを締めたりしている間に)売り子が商売をする。相互扶助というか。おかげで客は車を降りることなく(降りたいのだが)買い物ができる(買い物はしたくないのだが)。

3時間弱でダカール郊外の街、Thiresに入る。ラジオを流し始めた。宗教系の歌のようだが、時折絶叫が入り混じり、割とかっこいい。ここらあたりから交通量が増え、スピードが落ちる。途中、運転手が買い物に行ったりして(同乗のセネガル人が怒っていた)、さらに歩みが遅くなり、ダカールのバス・ターミナルについたのは17時50分過ぎ。

ここから今夜の宿を取った中心部「プラトー(Plateau)」地区までは路線バスがあるはずである。しかしターミナルのバス乗り場に行っても該当する路線番号が書いていない。どうやら、プラトーまで行くバスはここが終点ではなく、近くの道路を通るだけらしい。そうなるとバスを見つける難易度が途端に高くなる。何度か周りの人に聞いたが、タクシーに連れていかれてしまう。周りの道路をうろうろしていたら、プラトーに行く番号のバスが通ったが、通り過ぎた。バスが通りそうな場所を何種類か変えて待ってみたが、その後は一度も求めるバスが通らない。

結局、1時間ほど無駄に過ごしたのち、諦めてタクシーに乗車。日が傾いてきた。そして渋滞。しかし高速道路に入ると、空いており快適に走行。20分ほどでプラトー地区のホテルに到着。降りる際、高速代を出せといわれるのかと思ったが、そうではなく荷物代を出せと来た。そうならそうと最初に言ってくれ。丁重にお断り。

時折白人が歩いたり、自転車に乗ったり、高級車に乗ったりしているのが見える、そんな場所。夕食はガイドブック掲載の食堂へ。まずローカルなジュースとして、ブイ(バオバブ)、ビサップ(ハイビスカス)、そしてショウガを薦められる。先ほどの菓子のリベンジと思い、生姜ジュースを注文したが、これが強烈。先ほどの菓子は甘辛かったが、これは辛いだけ。二口でギブアップ。結局、ビールを注文。料理は、チェブ・ジェン(thieboudienne)という、炊き込みご飯と魚。付け合わせのポテトとニンジンが甘みを感じさせてうまい。魚は骨だらけ。意地で食べる。そしてビールの炭酸込みで満腹。

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2017年5月23日 (火)

セネガル旅行(4)ダカール、サンルイ

5月5日
トイレなしの部屋になったおかげでディスカウントしてもらい、チェックアウト。「あなた、フランス語全くしゃべれないの?」とバカにされつつ、バスターミナルに行く際にタクシー・ドライバーに見せる行き先を書いてもらう。が、そこに書いてもらった地名「ピキン(Pikine)」行きのバス(35番)を見つけ、乗車。車内にはラジオが流れる。運転台近くにセネガル相撲のポスターが。30分ほど乗車したところで、バスターミナルと離れた方向に進み始めたので、慌てて下車。スマホの地図頼りにバスターミナルに向かって歩く。

あたりは牧畜エリアなのか、やたらヤギやら馬やらがいる。普通に馬車が走っている。出店がたくさん出ている線路を渡ると、警笛が。なんと列車が来る。現役の鉄道であった。さらにバスターミナルに近づいていくと、路上が市場。前から気になっていた「ネスカフェ」と書いた、人ひとりの幅ぐらいの小さな屋台へ。ここでコーヒーを注文。小さなプラスチックカップにたっぷりの砂糖とポットからコーヒーを入れ、それを高い位置から別のカップに注ぐ、というのを繰り返して渡される。コーヒーを飲みほして、周りをうろうろ。なんか楽しい。

バスを降りて40分ほどで、ボー・マレシェ(Baux Maraîchers)にあるバス・ターミナル(Gare routière)に到着。ここで、サン・ルイに向かうセットプラス(Sept-place、乗り合いタクシー)を探す。「サンルイ」の発音が全く通じないので、書いて見せて案内してもらい、乗り場へ。3列シートのワゴン車に、助手席1人、2列目3人、3列目3人で乗車するのでフランス語で7席を意味する「セットプラス」と呼ばれている。だいぶ年季の入ったプジョー505で、席はボロボロ、天井も一部破けている。席は3列目をあてがわれたが、これが想像以上に狭く、3人並んで座る上に、前の席との間が狭すぎて足を降ろせず、ひざを曲げて体育座りというかヤンキー座りするような格好。これはつらい。

10時15分頃出発。すぐにガソリンスタンドへ。いつも思うのだがなぜ給油してから客を乗せないのだろうか。2列目に座っている女性は、子供を抱えていることに気づいた。すごい。ダカール市内は渋滞気味。そこにサッカーボール売りがやってくる。そんなもの車から買う奴いないだろうと思っていたら、この車の運転手が買っていた。わからないものだ。

ダカール近郊のThiresという街を抜けるあたりから車窓はバオバブの木が時々みえる荒れ地に。ヤシの林が見えることも。車も少なくなり、スピードも上がる。しかし、出発から2時間ぐらいのところで突然路上で停車。運転手が降りてどうも車の下にもぐっている(身動き取れないのでよく見えない)。3列目の窓は開かないので、停まると風が入らなくなり蒸し暑い(当然エアコンなどない)。

5分ほどで走り出したが、10分ほどさらに走ったところでまたストップ。足をずっと曲げているのがつらかったので、思い切って足を隙間にねじ込んで降ろしてみる。何とか降ろせたが、席と席の間に足が挟まって全く動かせなくなる。ただともかく姿勢を変えたかったのだ。その後また走り出してはストップの繰り返し。何やらシフトレバーを取り外して、またつけている。何事なのだろう。古い車だけのことはある。横を真新しいレンジローバーが走り去っていく。ああ、格差社会。

13時ごろ、Meckheという街の、自動車整備工場が並んでいるような通りの前でストップ。外から男がやってきた。修理屋のようだ。時間がかかりそうだ。一部の客が降ろせと騒ぎ出し、降りれることに。周りには物売りもいる。ビニール袋に入れられた揚げ菓子のようなものを買ってみる。ほのかに甘い。これが昼食替わり。無性にトイレに行きたくなってきた。しかし、トイレを貸してくれそうな食堂や店はない。困ってさまよっていると、少女に話しかけられる。オートワレ?――え、なんといった?トイレ?そういうと、うなずく。これぞ、天の助け。民家(?)の門をくぐり、中庭にあるトイレを借りる。ありがたい。

45分後、修理が終わり、出発。砂地にアカシアのような木が生えている景色が続く車窓。時折、並走している線路が見える。ダカールとサンルイを結ぶ鉄道と思われるが、もう使われていないようで、砂に埋もれていたり、真ん中に木が立っていたりする。そして15時40分頃、サンルイのバスターミナルに到着。

ここからはタクシーに乗り換え。ガイドブックには町まで定額で600フランと書いてあったが、全くこちらの値切りに応じない。結局、1500フラン(約280円)。しかも、別の客が乗っていた。ただ、そのおかげでその客の行き先である住宅街を見ることができた。子供たちが路上で遊び、ヤギがうろつく。その後、目的地のサンルイの旧市街へ。20分ほどで到着。

ホテルにチェックイン後、街並みの散策開始。サンルイはセネガル川河口にある細長い三角州で、1659年にフランスが初めて商館を建設し、その後フランス領西アフリカの首都となったところ(1902年まで)。植民地時代の建物が残ることで知られる。雑貨店でオレンジジュースの100ml入りビニールパックを売っていたので面白いと思って購入。しかし店員の愛想がひどく悪い。そして飲み終わったパックは、周囲の子供たちに奪われた。

まず本土との間を結ぶフェデルブ橋(Pont Faidherbe)のたもとへ。そのあとは島の南部をぶらぶら歩く。大きな建物は植民地と関係なさそうなモスクぐらいで、あとは小さな古い(といっても19世紀のものが多そうだが)建物が並ぶ。いい感じの街並みだが、それほど観光化されていないのが好ましい。川にはペリカンなど水鳥も見える。CRDS博物館(Musée du Centre de Recherche et de Documentaion de Sénégal)では、人類の歴史についてのフランス語での常設展と、企画展として抽象画を展示。

西岸からは対岸が見える。漁師の小舟がずらっと並ぶ。こちらまで喧騒が聞こえてくる。それに惹かれるように橋を渡ってそちら側へ。ゴミだらけ。漁港にヤギ、そして馬がいる風景がシュール。海沿いを歩いた後、ちょっと奥の通りへ。女子はゴム飛び、男子はサッカーで遊ぶ。植民地時代の建物はなく、観光客は一切いない。大変ローカルな雰囲気で、写真を撮るのがためらわれる。子供に頼まれて写真を撮ろうとしたら、大人の女性に怒られた。とはいえ、歩いて、見ているだけで面白い。子供たちからは侮蔑的に「シノワ」(中国)とはやされることもあったが。
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サンルイ対岸の漁師町(右はサンルイ)

サンルイに戻り、割と立派な洋館を写真を撮ろうとしたら、なぜか守衛(軍人?)に止められる。何か重要施設だったのだろうか。そして夕食へ。まずは「ビサップ(Bissap)」という、ハイビスカスの花のガクを煎じた飲み物。砂糖たっぷりで甘い。そして「ヤッサ・ポワソン(Yassa Poisson)」。ライスと玉ねぎソース(ソースというか玉ねぎだらけだったが)をかけた魚。魚はおいしかった。しかし、接客にやる気なし。

ホテルに戻る。ビールが飲みたくなり、ホテルのバーに行ってみるが白人の団体(?)客が占領していて入りにくい。ホテルを出る。路上で音楽が鳴り、人々がテントの下に集まっている。どうもイスラム教関係の集会のような感じ。それを遠巻きに見た後、客引きに乗って食堂へ。ビールだけ頼んだら露骨にがっかりされた。「ガゼル(La Gazelle)」というセネガル産のビールを飲む。薄味で、暑い気候にあっていてうまい。イスラム教徒が大半の国なのにビールは国産である。しかしこういうのを飲んでいる外国人を、好ましく思っていない人もいるのではないか。サンルイでは地元の人たちの態度から観光客をあまり歓迎していないような空気を感じ、そんなことを考えた。

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2017年4月17日 (月)

吉野旅行

2017年4月9日
地下鉄で大阪阿部野橋駅へ。スマホで予約した特急券を発券するため券売機へ。しかし予約番号を入力しても「番号が間違っている」との音声案内が流れるのみ。番号は間違っている気はせず、憤懣やるかたなく窓口へ。すると「そのまま乗車して、予約した座席に座って結構」とあっさり。予約画面をよくよく見ると「チケットレス」と書いてある。そういうことか。

次いで朝食と思ったが、店がない。かろうじてスターバックスとマクドナルドがあるが、7時開店。大阪都心の中心駅なのに何たること。やむを得ずコンビニに入ってそのイートインコーナーで朝食。食後、駅へ戻って構内のコンビニでのんびりコーヒーを買って車両に乗り込むと、すぐ発車。腕時計が遅れていた。危うく乗り遅れるところだった。

とまれ7時10分発の近鉄特急さくらライナーで吉野に向かう。せっかくなのでデラックスカーに。3列シートで、2列並びの座席も少し離れて配置するゆったり仕様。窓も広く、フットレストもあり、なかなか快適。これで特急料金プラス210円とはお得。1時間15分強で吉野に到着。残念ながら雨。なのでまずは駅前からバスに乗車。20分弱かけて終点の中千本駐車場に9時前に到着。

バスを降りると目に入った「特別開帳」の文句につられて階段を上って桜本坊へ。天武天皇建立という古い寺。4月のみの公開の釈迦如来像は吉野唯一の飛鳥白鴎時代のものとのこと。本尊は修験道の開祖である役行者。英語の解説文もあるが、日本語とまるで違う。素人には英語の解説のほうが基本から解説しているのでわかりやすい。「空海さんとか密教が入るよりも前から始まったものですよ」「国家神道からすると神仏混交というのは理解できなかったんでしょうな」といった恨み節混じりの解説も聞こえてくる。面白い。世の中知らないことだらけだ。修験道は今でも続いているようで、修験者(山伏)の集合写真なども貼ってある。修験者風に頭襟を身に着けた人が案内しているが、本物の修験者かどうかは不明。雰囲気は出ている。境内には枝垂桜も咲いていた。

30分ほど滞在し、続いて竹林院へ。その中の群芳園へ。苔むした池泉回遊式庭園。枝垂桜、モクレン(?)などが点々と咲く。なかなか風雅でよい。枝につく水滴、池の水面に広がる波紋も美しく見える。雨の庭園歩きも乙なもの。
Chikurinin_gunpoen_in_yoshino
雨の竹林院群芳園【吉野】

25分ほど滞在し、外へ。門越しに見る桜が絵になる。ぬかるんだ山道を上に下にと歩く。この辺りは「中千本」と呼ばれる桜が多いエリアだが、残念ながらつぼみが多数派。10時半頃に五郎平茶屋に到着。茶屋は閉鎖。全部咲いたらさぞや壮観であろうと思いを馳せながら歩く。

このころには雨が上がる。下って上って息も切れ切れになって10時50分頃に如意輪寺に到着。境内に見事な枝垂桜が。宝物殿には楠木正行(正成の息子)が矢じりで辞世の句を刻んだ木製の扉など、怨念のこもってそうなものが多い。多宝塔の周りには桜が咲く。若い木も多数。「200X年 ○○○○」と札に書いてある。有料で植樹できるのだ。商売上手。境内には後醍醐天皇の墓である塔尾陵も。そこに上がる階段とその周りの薄暗い林が、これまた怨念こもってそうな雰囲気を醸し出す。しかしその一方で境内では茶屋に土産屋、そして「Facebookでいいねするとご利益」といった文字が躍る。腹も減ってきたが、ここでこれ以上金を落とす気がしない。

11時半ごろに出て、ひたすら下り。そして吉野元湯温泉から山道に入って、ひたすら上り。崖をジグザグに上がって行く。息も絶え絶えに正午前に吉水神社近くに到着。門前に通りが伸び、人通りも多く、急ににぎやかに。吉水神社に入ると、まず「一目千本」と記された展望スポットが。桜の木々が山々に広がるさまを展望。ほぼつぼみだが。最盛期にはさぞや素晴らしいのだろう。拝観料を払うエリアでは、「日本住宅建築市場最古の書院」などを見学できるが、義経だ、秀吉だと、有名人のエピソードのオンパレードで、だんだんと辟易としてくる。出ると参拝の行列が。並んでまでそこで拝みたいとは思えず。

外へ。人出がすごい。食堂、茶処の類はみな混んでいるので、柿の葉寿司をばら売りしている店で買って、歩きながら食べる。12時40分頃に金峯山蔵王堂へ。現在修理中の仁王門(国宝)の勧進のため、本尊の金剛蔵王権現が特別公開されている本堂(蔵王堂)へ。チケット窓口で行列。1000円払って中へ。高い天井の本堂は国宝。そして青い彩色が印象的な巨大な蔵王権現像3体を仰ぎ見る。でかいということは信仰の説得力を増すものだ。しかも右足を高く上げるそのポーズはダイナミック。さらに並んでふすまで区切られた「発露の間」へ。簡単に祈った後は、ずっと見続けた。おひとり様一分とのことだったので、そこそこに退散。さらに写真展へ。修行や行事の写真、そして解説文もあって、わかりやすい。そして足が疲れてきた。

トイレへ寄った後、外へ。よもぎ餅、葛餅、桜餅を買って歩き食べ。13時45分頃に銅鳥居を通過。道路沿いには桜が結構美しく咲く。なので盛んにシャッターを切るが、どうにも吉野っぽくない。曲がりくねった坂道を降りていく。この辺りは「下千本」。桜は咲き始めているが、満開には程遠い。さぞやすごくなるのだろうと想像を膨らませながらひたすら下る。

14時半ごろに吉野駅の到着。少し早すぎた。近い時間の特急は満席なので、14時37分発の急行に乗車。なんとなく桜不足で欲求不満気味だったので、いろいろ調べて15時35分、高田市駅で下車。10分ほど歩いて高田川沿いの「高田千本桜」へ。ソメイヨシノが満開。縁日も立ち、地元の人で賑わう。残念ながら川は「水路」状態で、直線に流れ、護岸もしっかり整備され、子供が「どぶ」と呼ぶのも納得の風情だったが、桜はきれい。

30分ほど散策し、さらに5分ほど歩いて専立寺。へ。1786年の太鼓楼が立派。さらに10~15分ほど歩いて近鉄の大和高田駅へ。食事を提供する店がミスタードーナツしかないので、ドーナツとコーヒーを食べて駅へ。迷ったが特急券を購入して大阪難波へ。空いていることもあり、ゆったり。特急で正解。

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2017年3月 3日 (金)

奏でる人々(5)北京(中国)

清朝の皇帝の庭園、頤和園の中の徳和園を歩いていると、楽隊が演奏中。
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頤和園内の徳和園にて【北京】

宮廷音楽の再現であろうか。広大な庭園を歩き回っていると疲れるので、休みがてら、音楽鑑賞。

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2017年2月25日 (土)

奏でる人々(3)バクタプル(ネパール)

バクタプルのトウマディ広場は、様々な人が行きかい、ぼーっと人間観察しているだけで飽きない場所。そんな広場を、打楽器を打ち鳴らしながら歩いてくる一団が。
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トウマディ広場を行く【バクタプル】

太鼓(ドールというものか)とシンバル状のものを鳴らし、通り去って行った。なぜかヤギを連れていた。

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2017年1月14日 (土)

パキスタン旅行(4)ラホール

2017年1月1日
6時15分モーニングコール。なんとなく腹の調子がいまいち。朝食はおかゆ(オートミールか)など控えめに。7時50分ツアー出発。15分ほどでバードシャーヒー・モスクへ。ムガル帝国の第六代皇帝アウラングゼーブにより1674年に建造。ペルシャ風の庭園を横目に中へ。中庭は一辺160m、ミナレットは高さ50mで、まずはでかい。3つの大ドームに4つのミナレットと、デリーの金曜モスク(ジャマー・マスジッド、こちらは第五代皇帝シャー・ジャハーンによる建造)に形は似ているが、こちらのほうが断然大きく感じる。収容人員はパキスタン第二、世界でも第七位とか。
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朝もやに包まれるバードシャーヒー・モスク【ラホール】

建物の内部へ。大理石を彫り込んだり、彩色して描いたりしてアラベスク模様が満ちていて、シンメトリーな構成とも相まって、どこからどこを撮っても絵になる。朝日の差し込み方まで芸術的に見える。素晴らしい。1時間ほど堪能。

その後、隣のラホール・フォートへ。こちらは最初の建造期は11世紀だが、今に残るはムガル帝国期に建て直されたもの。シャー・バージ・ゲートから中へ。象嵌細工っぽいのもみえる。第三代皇帝アクバルの王座は地味。シャー・ジャハーン、そして第四代皇帝ジャハンギールの庭園や宮殿は豪華だったと思われるが、傷みがひどく、また落書きがひどい。なんとかならないものか。「シーシュ・マハル」は「鏡の宮殿」とも言われ、イランにある聖者廟のように内部の天井や壁が小さな鏡で埋め尽くされ、輝く。同じ中庭に面する「ナウラカー」は大理石でできた小館で、柱の造形や象嵌細工が美しい。そして「象の通り道」を通って場外へ。

10時15分頃にバスに乗って10分ほどでラホール博物館へ。切符購入に10分ほどかかった後、入場。まずはガンダーラ美術。仏陀の前世、仏陀の生涯などを描いた彫刻や仏像など。有名な「断食をするシッダールタ」像は断食でやせ細った姿がリアルすぎて気持ち悪いほど。そのほかにヒンズー教やジャイナ教の像、パキスタン独立の歴史に関する写真、ビルマ(と表記)、ネパール、チベットの仏教関係の展示、細密画など雑多な展示。アフリカン・アートまである。

12時頃出て昼食会場へ。ファーストフード店を貸し切り。いつものように各種カレー。12時50分頃出発して20分ほどでシャリマール庭園へ。シャー・ジャハーンにより1642年に建造された、十字に水路が走るペルシャ式庭園。三段のテラスそれぞれが庭園になっていて、中央のテラスには池があり、噴水も(一部)吹き上げる。園内には木が生い茂り、地元の人々で賑わう。水は汚いし、枯れた水路もあるが。

14時15分に出て、1時間ほどかけてワガの国境に到着。バスを降りて簡単なボディチェックを受けた後、バスに再び乗り込んで駐車場へ。トイトレイン風のに乗ってスタジアムへ。ここはインド・パキスタンの国境で、毎日国境を閉鎖し、国旗を降納する儀式が行われるのだが、それを見るためにインド・パキスタンの双方に観覧席が設けられているのである。15時半頃入ると、すでにスタジアム内は大音量で愛国心をあおる歌が流れ、民間ボランティアの男性が片足で旋回舞を踊り(ちなみにもう片足は義足であった)、やんやの喝さいを浴びている。ゲートを隔ててインド側にも同様のスタジアムが見えるが、こっちが大音量と大歓声に包まれているので、インド側がどうなっているのか把握できない。

16時、羽というか扇子のような飾りのついた帽子の警備兵が入場。盛り上がり、立ち上がる観客たち。国旗が振られ、こぶしが上がる。打ち鳴らされる太鼓、そして後ろの舞台のようなところで兵士姿および警備兵姿の二人の男が代わる代わる何やら朗誦(時にロング・トーンを見せつける)。それらにあわせて、警備兵は足を高く上げて歩を進める。応援団長みたいのがいて観客を煽り立てる。盛り上がりは最高潮になり、「パキスタン・ジンダバード(万歳)」などと声をそろえて叫ぶ。みればインド側でも色違いだが同じような制服の警備兵が同じような動きをしている。どうやら動きを合わせている。そして両国そろって国旗を降ろし、握手。後はそれぞれ国旗を畳んで事務所に運んでおしまい。応援合戦のようなものか。

国威発揚ということなのか、なんにせよイスラム教徒という以外に共通点のない多民族の人工国家(人工的ではない国家などないのだが)において、こういうことを毎日やって、あるいはこういうイベントに参加することで、国家とか国民とかそういうものを意識し、させる、そのための装置なのであろう。それはまた同時に一大エンターテインメントでもあった。式は30分で終わったが、駐車場まで写真を撮り撮られながらだらだら歩いて30分、さらに大渋滞の駐車場を抜けるまで15分。後はラホール市街へとひた走り、18時40分頃、スーパーでちょっと買い物。スーパーというより菓子屋に雑貨屋が付属したような感じだったが。

ホテルでトイレ休憩した後、ラホール博物館近くまで移動。そこから5、6分ほど歩いて「フード・ストリート」とも呼ばれる商店街へ。その中の食堂へ。店の前で調理していて、鉄板の上でタカタカとリズミカルな音を立てながら包丁を打っている。贓物を鉄板の上で刻みながら焼く「タカータク」という名物。注文に時間がかかるということで、いったん店を出て10分ほど商店街を歩く。なかなかの活気。料理は「タカータク」として、ヤギの睾丸のカレー、それに羊の脳みそのカレーが登場。ラホール料理は本来はパキスタンの中でも激辛で有名らしいが、ガイドが日本人客向けに一番辛くなくしてくれと頼んだとのことで、あまり印象に残らない味。緑茶はレモンが入っているのか、甘酸っぱかった。

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2017年1月 5日 (木)

パキスタン旅行(1)モヘンジョダロ

2016年12月28日
スカイライナーで成田へ。今回は添乗員付きのツアーに参加。7時15分成田集合の早起きツアー。自分でチェックインして30分後に再集合。ここで、明日利用予定だったパキスタン国際航空の国内線が欠航になったと昨日になってわかったとの報告が。代わりにバスで8~9時間かけて移動に変更と。同航空は数週間前に事故を起こしており、事故機と同型の機材は運航禁止になっていたとのニュースが流れていたので、その余波と思われる。案の定の範疇。とは言え、旅行会社としてはドライバーや車の手配で大変であろう。逆に言えば、こういうことがあるからこそ、ツアーに参加する意味がある。

10時10分頃離陸のタイ国際航空で6時間半弱のフライトで14時半ごろにバンコク・スワンナプーム空港に着陸。安心・安定のTGクオリティの機内サービスであったが、なぜか座席がリクライニングせず、そのせいもありあまり眠れず。降機後、マッサージをと思ってインフォメーションに場所を尋ねると「ここから1km」とのご案内。広すぎる空港も考えもの。やっとたどり着いたと思ったら閉まっている。近くのインフォメーションで再度尋ねると、さらにその先にあるホテル内にあるという。ようやくたどり着いたマッサージは、割と痛めだが、まあよい。

19時半頃離陸のタイ国際航空に搭乗。今回はリクライニングして割とよく寝れた。4時間50分ほどのフライトで22時20分頃にパキスタンで人口最大の都市にしてシンド州の州都であるカラチのジンナー国際空港に着陸。南アジアのような、中東のような、そんな雰囲気。ツアーバスで30分ほどかけて移動し、24時15分にホテル着。割と立派なホテルに見えるが、室内のペットボトルの水はただのろ過水なので飲まないようにとの注意が。見掛け倒し系か。チェックイン、明日の説明などいろいろあって、部屋に入ったのは24時40分頃。さっさと寝たいところだが、外の車が割とうるさく、なかなか寝付けず。

12月29日
3時半にモーニングコール。シャワーは水のみ。ホテルで簡単な朝食をとった後、5時ごろにツアーバスが出発。パキスタン建国の父にして、初代総督であるムハンマド・アリー・ジンナーの墓「カーイデ・アーザム廟」を車窓に眺めてバスは首都・イスラマバードまで続く「スーパー・ハイウェイ」へ。まだ暗いうえに、朝霧が激しく、しかも街灯が一切ないのでよくわからないが、どうやら街を抜けて、大平原を走っているもよう。そして「スーパー・ハイウェイ」のわりに道が凸凹している。と思ったら、工事中のためのう回路であった。

6時半ごろ、ガソリンスタンドでトイレ休憩。トイレは建設途上で照明がなく、真っ暗。早速ヘッドライトを使用。どうやらモスクが併設されていて、そのトイレのよう。その後もガソリンスタンドにモスクが付設されていることが多かった。客寄せに有効なツールなのだろう。

日が昇ってきた。周りは砂漠のような感じ。ゴテゴテに飾ったデコトラをたくさんみかける。7時50分頃、再び休憩。デコトラを撮りまくり。9時50分頃、再び休憩。イラン風というか中東風のベッドのような台に上がって座り込む形式の喫茶店が屋外に。明るくなってきたものの霧が濃い。周辺は農村になってきていて、ヤギ、牛、水牛をよく見る。ロバやラクダの姿も。12時頃再びトイレ休憩。暑くなってきた。

その後、ハイウェイを降りて、農村地帯の中の道へ。水牛が小川で水浴びさせられていたりする、のどかな道。しかし途中で渋滞に。農村の中の中心部みたいな集落で、トラクターやらトラックやらバスやら自家用車やらバイクやら、さらには歩行者でカオス状態。警官もやってきた。どうやら、この道は工事中で先には進めないらしい。ということで、12時40分頃、Uターン。

14時頃にモヘンジョダロに到着。まずは昼食。食後に中庭にある屋外喫茶でチャーエ(ミルクティ)を。ミルクに茶葉と砂糖を入れて煮出すスタイル。インドなどと違ってスパイスはなし。甘く優しい。

14時50分頃、モヘンジョダロ博物館へ。世界四大文明の一つ、インダス文明の時代の、またそれよりもさらに古い時代の石器時代などの発掘物を展示。有名な神官像はレプリカだが。牛や一角獣の姿、それにいまだ解読されていない文字が刻印された印章が興味深い。

15時45分頃、いよいよ遺跡の中へ。まずは「城塞部」。2~3世紀ごろの仏教遺跡のストゥーパのふもとに、紀元前2600~1700年ごろに栄えたといわれるインダス文明期のレンガの建物・街並みが広がる。レンガは日干し煉瓦だけではなく焼成レンガも使われているという。沐浴場はきれいに形が残り(あるいは復元され?)、あちこちに排水路が張り巡らされている。続いて市街地跡へ。家々の区画がわかるほか、高い円筒形の柱があちこちで目に付く。これは井戸で、2階から直接井戸水を利用できたという。Moenjo_daro
レンガを積み上げてつくられた街の跡が残る【モヘンジョダロ・城塞部】

レンガの街並みの跡が広がる、素晴らしい遺跡。そしてこの後の観光地でも同様だったが、地元の人々にやたらとセルフィを一緒に撮ってくれと頼まれる。外国人が珍しいということか。確かに、ここに限らず、我々のグループのほかに外国人を見ることはほとんどなかった(ワガの国境やホテルの中では中国人らしき人々は見かけたが)。それにしてもスマホとは偉大な発明なのだと感じ入る。また握手を求められることも多かった。握手した後、胸に手を持っていく仕草は、南アジアに共通のものだろうか。なお、たいていは中国人と思われていたようだった。

17時半頃、バスで出発。30分ほど走り、インダス川に架かる橋で写真ストップ。もう日は落ちて、だいぶ薄暗かったが。そして18時50分頃、サッカルのロードサイドにあるホテルに到着。ライフルを持ったガードマンが7、8人がたむろ。フロントは小ぎれいで、ウェルカムドリンクとして冷えた缶コーラも。しかし部屋の中は古さを隠せない。もっともツアー会社から散々、期待するなと言い含められていたので、想定の範囲内。出ないと言われていたお湯も出た。

夕食はホテルの食堂で。ナン、プラウ(スパイス入りの炊き込みごはん)、魚のフライ(これは美味)、そしてシーフ・カバーブ(いわゆるシシカバブ、クセのある辛さ)。食後の緑茶は残念ながらティーバッグ。

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2016年11月 9日 (水)

金沢・五箇山旅行(2)金沢、五箇山

10月16日
朝から温泉。体が火照る。朝食は旅館で。ご飯は新米とのことで、うまい。タクシーで8分ほどで森本駅へ、そしてIRいしかわ鉄道で10分弱で金沢駅へ。そして北陸鉄道バスで8分ほどで近江町市場へ。日曜のせいか、あるいは早すぎるせいか、閉まっている店もあり、やや静かか。がうろうろしているうちに賑わいが出てきた。旅館で腹いっぱい食べてしまったことを後悔しながらも、生ガキ、次いでノドグロの刺身(軽く炙ったもの)を食す。美味。

バスで金沢駅に戻り、駅ビル内で金時草(加賀野菜の一つ)とリンゴの生ジュースを飲んで休んだ後、北陸新幹線「つるぎ」で15分弱で新高岡駅へ。空いていると思い、自由席へ。ツアー客もいる。最近はツアーでも自由席を使うのかと感心していたら、指定席を取っているけれど、自由席のほうが空いているのでこちらを使いますと説明していた。なるほど。

11時発の加越能バス「世界遺産バス」に乗車。途中、様々な解説がテープで流れる。山々の車窓も美しい。が、うつらうつらと。1時間ほどで五箇山の相倉口に到着。駐車場を突っ切って、森林浴気分の遊歩道を10分弱歩くと、相倉合掌造り集落に到着。緩やかな段々畑状の田んぼと、合掌造りの民家が並ぶ。電話してタクシーを予約した後、集落内をぶらつく。「勇介」という合掌造りの家(民宿も兼ねる)が内部を公開しているので入る。2階、3階では蚕を栽培していたとのことで、そうした展示を見学。昔の写真も多数展示。このあたりは信仰厚い地域だったとのことで、1階には立派な仏壇と神棚が並ぶ。日本的。

タクシーで7分ほどで上梨地区へ。ここでは国指定重要文化財となっている村上家を見学。入ると囲炉裏の前で中世風の衣装をまとった男性が、こきりこ(竹の棒2本)を打ち鳴らしながら、歌っている。こきりこ節のようだ。内部はやはり養蚕関連の展示。囲炉裏の煙で壁や柱がいい感じに黒く染まっている。

さらにタクシーで10分ほどで菅沼地区へ。タクシー運転手によると五箇山はいいところだが、オロロと呼ばれるアブの一種と、カメムシが多いのが難という。確かにカメムシは多い(深谷温泉にも多かったが)。壁や屋内のあらゆるところに止まっている。タクシーに降りるときに、車内にカメムシが入ってしまったらしく、運転手は慌てて追い払っていた。
Suganuma_in_gokayama
よく晴れた【菅沼合掌造り集落(五箇山)】

さてまず昼食。イワナの塩焼きを頼んだら焼くのに20分かかると言われ、だったらということで、イワナの刺身御膳を。こちらも美味。食後、菅沼合掌造り集落内を歩く。土地が狭いために住居と農地が分かれているということで、合掌造りの家々が密集して建っている。その半数近くは土産屋になっている感じか。塩硝の館、五箇山民族館と入る。火薬の原料である「塩硝」づくりや、山村の生活についての展示。カメムシも多く、「カメムシ以外も見なさい」と子供が親に叱られている。

集落を巡った後、エレベーターで上を走る道路沿いの駐車場へ。少し歩くと菅沼の集落を一望できる。そしてさらに歩いて、わかりにくいところにあるバス停から北陸鉄道の高速バスで50分強で金沢駅へ。駅ビル内の喫茶店で買った水出しコーヒーを手に北陸新幹線「かがやき」で、一路東京へ。奮発してグランクラスに乗車。足が延ばせて快適。車内のコーヒー(トアルコトラジャとの解説付き)も美味。

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