2017年7月28日 (金)

旅の飲み物(33)エジプトのタマリンド・ジュース

タマリンドはアフリカ熱帯原産のマメ科の木で、その果実は東南アジア、南アジア、中東、アフリカで食べられたり、ジュースにして飲まれているようである。エジプトではアラビア語で「タマール・ヒンディ」と呼ばれる。これがなまって「タマリンド」になったようだ。タマール・ヒンディというのはインドのデーツという意味のようで、アフリカ原産のものがインド経由でアラブに入って、エジプトでも「インドのデーツ」と呼ばれているというのが面白い。

カイロの市場、ハーン・ハリーリを歩いた際、とにかく暑くて、路上のジュース・スタンドには何度もお世話になった。その一つが、真っ黒なタマール・ヒンディのジュースであった。味はもう覚えていないのだが、甘酸っぱい飲み物だったようだ。
Tamarind_juice_at_khan_alkhalili_in
ハーン・ハリーリ―のジュース・スタンド【カイロ】

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2017年6月25日 (日)

世界の主食(20)セネガルの炊き込みご飯

セネガルではフランス植民地時代の影響でパン(バゲット)がよく食べられている。一方で、米飯も普及している。セネガル南部では稲作もされているそうだが、多くはタイなどアジアから輸入され、自給率が低いことが問題になっているという。

セネガル料理として必ず紹介される「チェブ・ジェン(thieboudienne)」は魚(と野菜)の炊き込みご飯。「ヤッサ(Yassa)」は多様な解説がなされていてよくわからないのだが、レモンと玉ねぎのソースをかけて食べるライスといったところだろうか。
Thieboudienne_in_dakar
チェブ・ジェン【ダカール】

セネガルで使われるコメはインディカ米で、輸送の途中で砕けて短く丸くなった「砕き米」「砕け米」と呼ばれるものである。そのため、最初見たときは、実は米ではなくてクスクスなのではないかと思ってしまったほどだった。

なお、ダカールのスーパー(おそらく外国人御用達)では、フランス企業による「楽Tanoshi」ブランドの(自称)寿司用のコメまで売っていた。日本産ではないと思うが。

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2017年6月22日 (木)

猫だらけ(24)ゴレ島

セネガルのゴレ島は車の走らない島であり、猫が我が物顔に暮らす。穏やかな島の空気の下、住民だけでなく観光客も猫には優しいのか、人慣れした猫も多い。それでもこちらが近づくと無視するかどこかへ行ってしまう猫が多いのだが、違うのがいた。

写真というのは近くで動かれるとうまく撮れないものだが、その猫は撮ろうとすると近づいてくるのだ。

かくしてカメラを構えると近づいてきて、少し離れてまた構えると、また近づいてきて、の繰り返しで四苦八苦。地元の子供にはにやつかれるし、他の観光客からは「猫、好きなんですね」とでも言いたげな生暖かい視線と微笑を受けてしまった。
Cat_in_gore
こっちに来たって何にもあげないから【ゴレ島】

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2017年6月19日 (月)

アニマル・プラネット(30)馬(サンルイ)

セネガルでは馬が現役で活躍している。いわゆる田舎だけではなく、都市部でもある。首都ダカールでも中心部を少し離れると個人用?の馬車が普通に走っていた。

世界遺産の街、サンルイにも馬はいた。ゴミだらけの漁港の岸にもいた。なぜか微妙な違和感を覚えた。
Horse_in_saintlouis
海と白馬【サンルイ】

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2017年6月16日 (金)

上から目線(20)アフリカ・ルネサンスの像の立つ丘(ダカール)

ダカールの観光地といえば海に浮かぶゴレ島と郊外のラック・ローズがメインであり、市街地にはめぼしい観光資源に欠ける。ダカール市内でどこを回ればよいか探していた中で出てきたのが、アフリカ・ルネサンスの像。北朝鮮の協力のもと、多額の費用をかけて作られたこともあって、たいていは賛否両論だがという前置きで紹介されている。
Le_monument_de_la_renaissance_afric
アフリカ・ルネサンスの像【ダカール】

さらに、像はともかくとして、像の建つ丘(標高約100mのよう)からの眺めが素晴らしいとの評価が多かった。その眺めがこちら。
From_bottom_of_le_monument_de_la_re
市街地、空港、そして海【ダカール】

市街地のど真ん中に空港があること、海が近いことはよくわかり、街を知るという意味では行く価値はあると思われる。眺めとしては特筆すべきものではなかったが。高さ52mの像自体は存在感があり、大きさは重要だと思わされた。地元の観光客もおおむね満足そうであった。中に入る人は少ないようだったが。

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2017年6月13日 (火)

マーケット・ウォッチ(31)ダカールのボー・マレシェ近くの路上市場

セネガルの首都、ダカールでは、道路に文字通り「お店を広げて」ものを売っている光景を特に都心部でよく見かけた。

遠方向けバスターミナル(バスだけでなく、乗り合いタクシー「セット・プラス」も発着)のあるボー・マレシェ(Baux Maraîchers)でもそれは同じ。ターミナル入り口近くの路上には、自然発生的に発生したのか、市場と化していた。
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野菜などを販売【ダカール ボー・マレシェ】

サンルイへ移動するセット・プラスに乗りに来たのだが、見ているといろいろ面白くてつい長居してしまった。

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2017年6月 7日 (水)

旅の飲み物(26')スーダンのカルカディ、セネガルのビサップ(ハイビスカス・ティ)<改>

スーダンはアラブの文化と、サブサハラの文化が交差する地。イスラム教国で酒は飲まない。もっともポピュラーな飲み物は中東諸国と同様に紅茶であろう。街角にはストールのような低い椅子が並べられた露店の茶店が多くあり(大きな木の下にあるのが典型か)、気軽に紅茶を楽しむことができる。

紅茶のほかに、「カルカディ」「ハイビスカス・ティ」と呼ばれる、ハイビスカスの近縁種である「ローゼル」という花の「がく」を乾燥させたものを煮だしたものもよく飲まれる。赤い色で、味は酸っぱい。そのため、砂糖をたっぷり入れて飲むことが多いようだ。
Karkaday_hibiscus_tea
カルカディをホットで【ナカ遺跡】

砂糖を入れて冷たくして飲むと、ジュースのような感じになる。最初に宿泊したハルツームの高級ホテルではウェルカム・ドリンクとして出てきた。「これは何か」とホテルの従業員に聞いたら、「カルカディ」だというので、「それは何だ?」と畳みかけると、「ローカル・ジュースだ」と面倒くさそうに答えられたので、すっかり果汁だと思ってしまった。

一方、西アフリカのセネガルではハイビスカス・ティを「ビサップ」と呼んでいた。こちらは常に冷たく、甘くして供された。なぜかグラス一杯なみなみと注がれていることが多かった。甘酸っぱい味は、疲れを取る効用があるように感じられた。
Bissap_in_saintlouis
ビサップをアイスで【サンルイ】

セネガルでは瓶入りのビサップも売られており、やはり冷たく甘酸っぱくて、炎天下を歩き疲れた身には心地よかった。

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2017年6月 4日 (日)

セネガル旅行(8)実用情報

■セネガルのガイドブック
残念ながらセネガルに関する日本語のガイドブックはない(「地球の歩き方」もない)。アフリカ37か国を収録した「旅行人ノート②アフリカ」はあるが、セネガルのページは8ページしかないうえ、発行(改訂版)が1999年と古い。
そのため今回は日本語のウェブサイトやブログをいつも以上にいろいろ見て参考にしたほか、「Bradt」というイギリスのガイドブックを購入。amazonなどで検索したところ、フランス語のガイドブックは複数出てきたが、英語のガイドブックでセネガルのみを対象としているのはこれのみだった。なお、「Lonely Planet」はかつてはガンビア&セネガルとして発行されていたが、今は「West Africa」というくくりで出版されている。電子書籍はばら売りされているらしい。

■通貨
セネガルでは西アフリカ8か国共通の通貨である、西アフリカ諸国中央銀行発行のセーファーフラン(Franc CFA)が使われている(セーファーフランには、もう一つ、中部アフリカ諸国中央銀行発行のものがある)。セーファーフランはユーロと固定レートであり、1ユーロ=655.957セーファーフランということになっている。空港内の両替所では1ユーロ=650セーファーフランであった。滞在中のレートでは、1円≒5.4セーファーフランだった。

■ダカール市内のバス
バスは二種類ある。一つはDakar Dem Dikk、略してDDDと呼ばれる、クリーム色の塗装の大型バス。もう一つはAFTUが運行する白地に青い線の入った小型バスで、こちらはインドの自動車メーカーTATAの車両が使われていることが多いため「TATA」と呼称されている模様。どちらも車体中央部に格子に囲まれた車掌室があり、そこで運賃を払い、チケットをもらう。時々検札が来るので、チケットは捨てないように。TATAのバス停は黄色い看板のようなもので、路線番号が表示されている。DDDのバス停には、青地にバスの車体のイラストを描いた道路標識が設置されているようだった。

このほか、「カー(ル)ラピ(ッド)(Car Rapide)」ないし「(ン)ジャガンジャイ」と呼ばれる、派手にペイントされた小型バスも走っているが、こちらは路線がよくわからず、また見た目もローカル色が強く、数日の滞在では乗りこなせる自信がなく、乗らなかった。

バスは失敗ばかりしたのであまり情報として役立たないが、参考までに。

・3番TATA:ヨフ(Yoff)~ンゴール(Ngor)~ワッカム(Ouakam)~プラトー(Plateau)のサンダガ市場(Marché Sandaga)~Terminus Petersenと走る。ワッカム~Terminus Petersenまで20分強、200セーファーフラン。

・7番DDD:独立広場(Place de l’Indépendance)からワッカムまで乗車。30分弱、150セーファーフラン。

・35番TATA:ンゴール~ピキン(Pikine)地区まで利用、30分強、200セーファーフラン。

・61番TATA:Mamelles(アフリカ・ルネサンス像のある地区)~ンゴール~ヨフ(空港ターミナル前も通る)~クール・マッサー(Keur Massar)と走る。ンゴールからクール・マッサーまでは1時間ほど。2000フラン札で払ったら1100フランしか戻ってこなかった。本当はもっと安いと思われる。

・73番TATA:ポスト・チャーロイ(Thiaroye Poste)~クール・マッサー~ラック・ローズ(Lac Rose)と走る。ラック・ローズに行く唯一のバス。クール・マッサーからラック・ローズまでは30分強、200セーファーフラン。ラック・ローズからポスト・チャーロイまでは100分強、400セーファーフラン。

・218番DDD:ポスト・チャーロイからワッカムまで利用(70分強、200セーファーフラン)。

■ダカール市内のタクシー
タクシーの車体は黄色と黒のツートンカラー(黄色だけの車体もあったかもしれない)。メーターはなく、事前交渉制。実際に払った金額は以下の通り。英語が通じない場合はあるが、フランス語は必ず通じた。

・ワッカム~アルマディ(Almadies):15分弱、1000セーファーフラン。
・アルマディ~ンゴール:15分強、1000セーファーフラン。
・ピキン~プラトー:高速道路(有料)を利用して20分、3000セーファーフラン。
・プラトー~空港:高速道路(有料)を利用して20分強、3000セーファーフラン。

なお、空港からのタクシー利用は定額。ンゴールまでは5000フランだったが、ホテルの送迎も5000フランだったので、ホテルに頼んだ。

■ダカール・サンルイ間の移動
セット・プラス(sept-place、7人乗りという意味)と呼ばれる、乗り合いタクシーで移動。プジョーの3列シートのおんぼろのステーション・ワゴンに1人の運転士と7人の乗客が乗る。満席になったら出発する仕組み。ダカール・サンルイ間は5000セーファーフラン、ただし荷物代が別途かかり、往路は1000フラン、復路は500フランだった。基本的には乗客には途中休憩がない(運転手は用を足したり買い物をしたりと降りるときがあるが、その間は路上の物売りの商売の時間になるので、乗客は乗っていなければならない(?)。乗客は車が故障しないと降りられない(?)。往路は途中、修理時間が計1時間ほどあり、それを含めて所要5時間20分ほど。復路は4時間40分ほどで、故障しなかったので一度も車から降りられず。
Septplace_at_meckhe
セット・プラス修理中【Meckhe】

ダカール、サンルイとも、セット・プラスは「gare routiére」(バス・ターミナル)から発着する。ダカールのそれはピキン地区のボー・マレシェ(Baux Maraîchers)にある。サンルイのターミナルは島の外側(大陸側)にあり、ターミナルから旧市街まではタクシーで15~20分ほど。ターミナルから旧市街に行くときは1500フランより値下げに応じなかったが(しかも相乗り)、旧市街からターミナルに行く際は、ホテルのスタッフから500フランと聞いたので、500フランで押し通した。

■ゴレ島(Île de Gorée)
・ダカールからゴレ島へのフェリーは、ダカールのプラトーの独立広場(Place de l’Indépendance)や鉄道駅の近くに乗り場がある。往復5200セーファーフラン。片道所要約20分。フェリーの出港時刻は下記ブログに写真が載っていたので参考にした。時刻以外にも詳しく解説されている。
http://kouhei50.hatenablog.com/entry/2016/11/21/120000
・ゴレ島では入島料500セーファーフランを払う必要がある。
・奴隷の家(Maison des Esclaves):500セーファーフラン。10時半~12時および14時半~18時。月曜は休み。
・IFAN歴史博物館(IFAN Musée historique de Gorée):500セーファーフラン。10時~17時。月曜は休み。
ちなみに金額はすべて外国人の場合。

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2017年5月29日 (月)

セネガル旅行(6)ダカール、ゴレ島

5月7日
歯ブラシに小さいゴキブリが挟まっていた。割ときれいなホテルだと思ったのだが。そんな朝。朝食を兼ねて周囲のプラトー地区の散歩へ。裏通り感あふれる通りから、開店準備中の常設屋台を横目に歩きながら、この都市最大の目抜き通り、ポンピドゥー通り(Avenue George Pompidou)へ。大きな街路樹もあり、多少の風格はあるが、まだ店が始まっていない時間であることもあって、なんとなくわびしい。ゴミも多い。

何やら親し気に話しかけてくる男が。アーチストを自称。この町の父と呼ばれ、町のみんなに尊敬されていると自称。勝手についてきて、街をガイドしているつもりらしい。予想通り店に来いという話になったので、興味がないというと、ビジネスカードを渡すから来いと。ビジネスカードぐらい持ち歩けばいい。断ると、コーヒーをおごれと。断ると、なぜだと。おごる理由が一分もない。面倒くさい。

流れでこの都市の中心部ともいえる独立広場(Place de l’Indépendance)へ。コロニアル建築がいくつかあり、高層建築も工事中だが、中心感をあまり感じない。そして座って朝食を取れる店がなかなか見つからない。結局、朝から開いているパブへ。朝からビールを飲んでいる白人客が。今日は日曜日。ここでクローク・ムッシュとカフェオレの朝食。

ホテルに戻りチェックアウト。朝食どうぞと今更言われる。先に言ってくれ。外へ。チェーンのスーパー・マーケットがあったので入ってみる。外国人・富裕層向けのようでセネガルらしさに欠ける。出て歩いていると、久しぶり、昨日は警備の制服を着ていたけど、今日は非番だから私服なんだ、わからなかったかい、と親し気に話しかけてくる男が。いや、初めて会うと思いますけど。店に誘うまでもなく、何かをせびるわけでもなく、今夜必ず会おうと言って去って行った。謎。

謎の男に入り口を教えてもらって、今日の目的地、ゴレ島(Île de Gorée)に行くフェリー乗り場に到着。謎男はフェリーは10時半発だと言う。それで思い出した。フェリーの時刻表を調べてきたのだった。見ると日曜午前は7時、9時、10時、12時のみだった。時計を見ると、10時3分。これはまずいと焦る。が、それほど時間通りでもないようで、結局、10時15分過ぎに出港したフェリーに無事乗船。

20分ほどでゴレ島に到着。桟橋近くにちょっとしたビーチがある。海の水がきれい。細い路地へ入っていくと、奴隷解放の像(La Statue de la Libération de l’Esclavage)が。近くの「奴隷の家」(Maison des Esclaves)の入り口に11時15分にオープンとの表示があったので、それまであたりをぶらつく。視察っぽい団体客が入って行った建物について行ってみると、そこはサンドアートの店。様々な色の天然の砂と、人工的に染めた砂とを使って、絵を描いているという。

そしてこの島一番の観光スポット、1786年建造の「奴隷の家」へ。ゴレ島は西欧列強が貿易の拠点としていたところで、特に大西洋奴隷貿易の拠点となっていたことで知られる。この奴隷の家は2階建てで、1階には奴隷が収容されていた窓のない部屋や、奴隷としてアメリカ大陸に送られる際に通ったという「帰らずの扉」などが、2階には奴隷貿易に関する説明パネル(フランス語)や拘束具、銃などが展示されている。――ということになっている。

しかし、渡航前に読んだ本の説明は違った。フランス人男性と現地人女性の間にできた混血女性は「シニャール」と呼ばれるが、中にはヨーロッパ人との接触を通じて裕福になった者もいた。そして「奴隷の館」は、そうしたシニャールの所有した家で、奴隷が収容されていたわけではないというのである。そう言われてみると、中庭から2階までは対になる曲線の階段だったりと洒落れたつくりだったりして、奴隷収容所にはみえない。

そのため、なんとなく冷めた気分で展示を鑑賞。「『罰を与えるための部屋』だった狭い部屋に入ったマンデラが、10分間泣いていた」といった新しい伝説も語られていた。いずれにしても、この島が奴隷交易の中心地となり、大勢のアフリカの人々が奴隷として集められ、大西洋を渡って過酷な労働にさらされた(あるいはその前に命を落とした)のは事実であろう。様々なメッセージも寄せられており、その中にあった「先祖が生き残りの才能を授けてくれたんだ、だから我々は強いんだ」という文章が印象に残った。

なんだかんだで30分ほど見学した後、外へ出て路地めぐり。カラフルに塗られた壁に、木の窓扉、大きな樹木が木陰をつくり、あちこちに花々が咲く。ゴミも落ちておらず、車も走らない小島。美しく、静か。歩いているといつの間に島の南端のCastelという小高い丘へ。付近はアート市場といった趣で、道沿いに小洒落れた絵などが並ぶ。丘の上には第二次大戦中に使われたという砲台が。ここもアートというか土産物というかの展示場に。リモコンなどのちょっとしたごみを使った作品が並ぶ。周りには人々が住み着いている。
Le_de_gore
南国コロニアルな路地【ゴレ島】

疲労感を覚え、丘の上の食堂へ。バオバブのジュース「ブイ」がドロッと甘く冷たくおいしい。米がないと言うので、フレンチフライと鶏肉を。ピーナッツも出てきた。落花生はフランス植民地時代以来、この国の特産品である。ぱさぱさのチキンに、まあまあな玉ねぎの昼食。

食後、丘を降りる。牛、ヤギ、アヒルに鶏、そこに野生のサギがやってきて、牛の体をつついている。空にはトビが飛び交い、地面をトカゲが走る。30分弱歩き、島の北端にあるIFANゴレ歴史博物館(IFAN Musée historique de Gorée)へ。1856年に完成した円形の砦(Fort d’Estrées)を使った建物で、屋上には砲台が並ぶ。内部の展示は石器時代からセネガル独立までと幅広い。写真を使った展示ばかり。もちろんフランス語。

20分ほどで退散。後は適当に島内をぶらつく。強い日差しにカラフルな壁の家々が映える。フォトジェニックな路地が多い。そして14時半発のフェリーで、20分ほどでダカールに戻る。朝と同じスーパーで水とジュースを買う。お釣りが20セーファーフラン(約4円)だったが、つり銭がなくて、キャンディを渡される。朝、同じシチュエーションになったときには50フラン(約9円)を渡された。いろいろ適当。

飲み終わったジュースの空き瓶を持って歩いていたら、シーシーと口を鳴らして呼び止められる。道端のポリバケツがごみ箱だと教えられる。そういうところは親切。ゴミ箱があるのもダカール中心部ならでは。2013年の火災の後はあまり活気がないというサンダガ市場(Marché Sandaga)を通り抜ける。市場として明確なエリアがあるというより、道端に出店が並んでいるタイプで、市場だかただの道だかよくわからない。

独立広場近くのバス停から7番バスに乗車。30分ほど乗車し、ワッカムあたりであらぬ方向にバスが進み始めたところで下車。次に目指すはアフリカ・ルネサンスの像(Le Monument de la Renaissance Africaine)。高さ52mの像が丘の上に立っているはず。少し歩くと見えてきた。像を目指して歩くが、スマホの地図をみても道がどうなっているのかよくわからない。丘の近くを通る高架道路があり、そこから道が伸びているように見えたので、近づいてみると、排水路だった。登れないこともなさそうだが、かなり無理しないと無理。

試行錯誤しながら30分ほど歩いて、ようやく像から伸びる階段の下のエリアに到着。横から見てもなんだかよくわからなかったが、正面から見ると、アフリカ人親子3人が風を切って空を見上げている姿。銅像建設に定評があるとされる北朝鮮の建設会社が建造した像で(デザインはセネガル人建築家のピエール・グジャビ・アテパ(Pierre Goudiaby Atepa))、多額の費用を要したことで論争を呼び、建造を提唱した当時の大統領アブドゥライ・ワッド(Maître Abdoulaye Wade)は、像の完成2年後の大統領選に敗れている。が、今となっては人気スポットのようで、記念撮影している地元民多数。威風堂々たる像ではあるが、イスラムの国の像の割には肌の露出が多い気もする。その辺はおおらかなのだろう。

階段を5分ほどかかって上って、像の台座部分に到着。像の中に入って上に上がることもできるらしいが、外国人料金は6500フラン(1200円)とのことなので遠慮。像の立つ丘の上も展望台になっていて、ダカール市内が一望。もっとも、一望して面白かったり美しかったりする町ではない。ただ、岬の先端にあるまちで、三方を海に囲まれているさまはよくわかる。また、空港が市街地の中にあるのもよくわかる。

その後、バス通りに出て、3番バスに乗車。スマホ地図上であらぬ方向に進み始めたと思ったら、終点のバスターミナル「Terminus Petersen」。周りは道路に文字通り店を広げている人も多く、市場と化している。フライパンのような鍋に砂を入れて落花生を炒って売っている人も。が、道路はゴミだらけ。そういう時に限ってかぶっていた帽子が風で飛ばされ、内側から着地。再び被る気が失せるほど汚い。

40分弱歩いて、プラトー地区の食堂へ。スマホ片手にGoogle翻訳でいろいろメニューの解説を受けるが、セネガル名物の料理は片っ端から「finish」といわれ、結局、オクラソースの魚(Sauce Gombo Poisson)と、キャッサバの団子というか餅のようなもの(foutou)、それにビサップを注文。魚はうまいとは思うが、粘り気あるオクラソースにまみれて、ますます小骨を取るのが大変。

ホテルに戻って荷物をピックアップして、サンダガ市場近くのバス停へ。セネガル人ドライバーは歩行者に道を譲ったりしてマナーが良いが、高級SUVを乗り回す白人ドライバーは狭い道を減速せずに走りマナーが悪いと感じるのは偏見であろうか。なかなか空港行のバスが来ないので、20分弱待ったところで断念しタクシーに。ようやく慣れてきてフランス語で金額を言って値段交渉。しかしこれが最後のタクシー。20分強で空港へ。ただいま20時45分。パリ行のエールフランスは22時45分。ちょうどよかった。

――と、思ったが、ここからが長い。まずターミナルに入る際の荷物チェックで行列。さらにエール・フランスのチェックインでさらに長い行列。次いで入国審査前の荷物チェックで行列。何やら放送が流れるがすべてフランス語で状況を把握できない。そのうえすぐ後ろの白人中年女性のおしゃべりがとめどなく、全く放送が聞こえない(聞こえても意味は分からないが)。入国審査が終わった頃にはもう22時45分。土産物を物色する間もなく走ってゲートへ。と思ったが、ターミナル内で道に迷う。が、何とか正しい道(通路か)を見つけ、走る。間に合った。というか、約1時間遅れで離陸。やれやれ。

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2017年5月26日 (金)

セネガル旅行(5)サンルイ、ダカール

5月6日
ヨーロッパ風カフェでクロワッサンとカフェオレの朝食後、サンルイ北部の街歩き。直射日光は強いが日陰に入れば涼やか。微妙な廃墟感が漂うコロニアルな街並み。街中にもバオバブの木が生えている。この国で大きな影響力を持つイスラム教の一派である「ムリッド教(Muridiyya)」団の創始者、アーマド・バンバ(Amadu Bamba)の写真を模したイラストが家や舟に描かれているのをよく見る。信仰の証なのであろうか。小さなカーペットを敷いて、一人で何やら唱和したり、書物(コーラン?)を呼んでいる姿もよく見かける。
Saintlouis_in_senegal
サンルイの街並み

ゴミ箱があちこちに設置され、家庭ごみもそこに入れている。ゴミ回収車がそれを回収していた。隣の漁村の砂州はゴミだらけだったが、こちらは路上のごみは少ない。海辺に出ると、白馬が。なんとなく不思議な絵。島の北端にはアシのような草が生えていて、サギのような鳥が飛んでいる。海沿いの道にテントの屋根が貼られ、市場になっていたので、通ってみる。布製品や化粧品の市場のようだ。木の小枝をくわえて街を歩いたり、たたずんでいる姿をよく見かける。歯磨き用の枝らしい。

昼食は「レストラン」という表示にひかれてのれんのようなものをくぐる。入ると、トタン屋根の下、一つの四角いテーブルを囲んで一辺は調理場所で、残り三辺に客が陣取り、それで終わりという、小さな部屋。超ローカルな感じ。刻んだ鶏肉と玉ねぎとジャガイモを炒めたものと、新聞紙に包んだバゲット、それに甘いカフェオレ(ネスカフェ製)を。小さなゴキブリが隅を歩いているが、不思議とハエがたかってこない。天井で回るファンのおかげだろうか。

ホテルに戻って、タクシーを捕まえ、バス・ターミナル(Gare routière)へ。ホテルのスタッフ曰く、ターミナルまでタクシーは500セーファーフラン(約90円)だというので、その値段で押し通す。途中で別の客が乗り、また降りて行ったが(しかも金を払っていない)まあよい。15分ほどで到着。

タクシーの運転手にダカールに行くと言ったら、ダカール行きのセット・プラス(乗り合いタクシー)乗り場の前まで行ってくれた。本日も最後列。セット・プラスの車内の写真を撮っていたら、先に乗っていた中年男性がタブレットを持ち出して、珍しいアジア人の写真を撮影。お互い様。若い軍人も乗り込んできた。その場で買ったココナッツのお菓子のようなものくれた。その流れで、同じ売り子(中年女性だが)からこちらも砂糖菓子のようなものを買ってみる。軍人曰く「バオバブの種」とのことだったが、食べてみるとしょうがの塊のような感じで、とてもたくさん食べられない。袋には「buiscuit de pain singe et de gingimbre」と。バオバブの実としょうがのビスケット、といった意味だろうか。

13時10分に7人の乗客(+ドライバー)を乗せて出発。今回は足を降ろせるから多少は楽。早速ガソリンスタンドへ。その後は、道路の状態も良く、ずっと飛ばす。途中でサービスエリアで休憩、といったことはしないが、売り子がたむろしているあたりで止まって、(運転手は用を足したり、タイヤのねじを締めたりしている間に)売り子が商売をする。相互扶助というか。おかげで客は車を降りることなく(降りたいのだが)買い物ができる(買い物はしたくないのだが)。

3時間弱でダカール郊外の街、Thiresに入る。ラジオを流し始めた。宗教系の歌のようだが、時折絶叫が入り混じり、割とかっこいい。ここらあたりから交通量が増え、スピードが落ちる。途中、運転手が買い物に行ったりして(同乗のセネガル人が怒っていた)、さらに歩みが遅くなり、ダカールのバス・ターミナルについたのは17時50分過ぎ。

ここから今夜の宿を取った中心部「プラトー(Plateau)」地区までは路線バスがあるはずである。しかしターミナルのバス乗り場に行っても該当する路線番号が書いていない。どうやら、プラトーまで行くバスはここが終点ではなく、近くの道路を通るだけらしい。そうなるとバスを見つける難易度が途端に高くなる。何度か周りの人に聞いたが、タクシーに連れていかれてしまう。周りの道路をうろうろしていたら、プラトーに行く番号のバスが通ったが、通り過ぎた。バスが通りそうな場所を何種類か変えて待ってみたが、その後は一度も求めるバスが通らない。

結局、1時間ほど無駄に過ごしたのち、諦めてタクシーに乗車。日が傾いてきた。そして渋滞。しかし高速道路に入ると、空いており快適に走行。20分ほどでプラトー地区のホテルに到着。降りる際、高速代を出せといわれるのかと思ったが、そうではなく荷物代を出せと来た。そうならそうと最初に言ってくれ。丁重にお断り。

時折白人が歩いたり、自転車に乗ったり、高級車に乗ったりしているのが見える、そんな場所。夕食はガイドブック掲載の食堂へ。まずローカルなジュースとして、ブイ(バオバブ)、ビサップ(ハイビスカス)、そしてショウガを薦められる。先ほどの菓子のリベンジと思い、生姜ジュースを注文したが、これが強烈。先ほどの菓子は甘辛かったが、これは辛いだけ。二口でギブアップ。結局、ビールを注文。料理は、チェブ・ジェン(thieboudienne)という、炊き込みご飯と魚。付け合わせのポテトとニンジンが甘みを感じさせてうまい。魚は骨だらけ。意地で食べる。そしてビールの炭酸込みで満腹。

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