2009年7月22日 (水)

踊る人(8)ラパ・ヌイ(イースター島)のポリネシアン・ダンス

ポリネシアとは、ハワイ、ニュージーランド、そしてイースター島を結ぶ三角形の範囲内のことを言うらしい。というわけで、イースター島でのダンス・ショーもポリネシアン・ダンスという位置づけになる。

行ったのはアリキ・ヌイというレストラン。食事をしているとステージ前に用意されている椅子に物を置いて席取りをする人々がぼちぼち現れ始めたので、こちらも食事をとっとと済ませ、最前列の席を確保。

ショーの名前は"MATATO'A"。と思ったら、後で調べるとこれはバンドの名前だったらしい。いずれにしてもエレキギターやらアコギやらドラムセットやらが並び、あまり伝統文化を売りにするタイプではないらしい。

ショーは22時過ぎから1時間強。ダンサー達はポリネシアンな身なりをしているが、踊り自体がポリネシアンなものかどうかはよく分からない。ただ、女性ダンサーの優美な動きも、男性ダンサーの激しい動きも、いずれも身体能力の高さを感じさせるもので、それだけで見応えがある。これだけ動けるのなら、伝統的なダンスだけでは飽き足らなくなるのかもしれないとも思えた。
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露出度も高め

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2008年7月11日 (金)

世界の夕焼け(11)チリ イースター島

イースター島はモアイ以外には見所はない。そして、モアイへは(基本的には)ツアーでしか行けない。ツアーから戻った後は暇をもてあますことになる。

イースター島3日目の夕方も特にすることがない。ホテルのある村内を、地元の人々がサッカーやらサーフィンやらに興じているのを眺めてぶらつく。親子でサーフィンをやっている姿などをみていると、スローライフの島だなあと、こちらもゆったりした気分になってくる。

オープンエア(というか壁がないだけ)のレストランで、若干早めの夕食をとる。海が見えるし、犬が遊びに来たりして、そこそこ楽しい。せっかくだから夕陽もここから眺めようと思うが、なかなか落ちない。あまりに長居していてもなんなので、結局、出て、海岸沿いを散歩。ちょっとした港になっているところから夕陽を眺める。

2日前にみた、アフ・タハイのモアイのバックに沈む夕陽(チリ旅行(5)イースター島参照)に比べると、いまいちだったが、気持ちはすっかりスローライフ。それなりでもそれなりに満足。
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スローライフな夕陽【ハンガ・ロア村(イースター島)】

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2007年2月 4日 (日)

チリ旅行(9)サンチアゴ

1月7日
ホテルのチェックアウト時、すでに支払い済みである宿泊料を再度払わされそうになる。一方、昨日の夕食代はこっちが言うまで気付かない。宿泊料が66米ドルで、夕食代が6000ペソ(もしチップ込みで1割増しなら6600ペソ)で、両方「66」になるので紛らわしい。そしてついに下痢に。

まず地下鉄でアルマス広場に移動。広場に面した大聖堂は立派な内装だったが、丁度ミサ中で、気が引けてなかなか思うように写真が撮れない。
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アルマス広場

続いてプレコロンビア博物館へ。展示を見る前にまずトイレへ。英語の解説もあるのでゆっり読んでいたら、時間がかかる。そしてまたトイレへ。

次にモネダ宮殿に行くが大したことない。少し歩いて中央市場へ。ここで「ソパ・デ・マリスコル」を食べる。ムール貝や牡蠣も含め様々な魚介類がどっさり入っている。市場自体はつまらない。そしてトイレがない。

いろいろ探し回って結局アルマス広場近くの公衆トイレへ。有料のくせに(だからこそ?)紙が個室の外にある不親切設計。完全な下痢になり、熱っぽくもなり、体調悪し。

地下鉄を乗り継いで中央駅へ。ここから歩く。途中、壁をカラフルに塗ったラテンアメリカっぽい(?)街並みがあったりして面白い。で、国立自然史博物館に行くが、目当てのイースター島のロンゴロンゴ文字の文字板は今はないと言われガッカリ。他の展示は一昔前の子ども向け科学館風で面白くない。

博物館のある公園で一休みした後、地下鉄でサンタ・ルチアの丘へ。アンデスの山並みの下にぎっしりと大都会が広がる様は珍しいが、それだけ。

続いて訪れたサンフランシスコ教会は入口が見つからない(休み?)。あともう一つ、サンクリストバルの丘に行こうとも思ったが、先のサンタルチアから類推するに大したことないだろうし、体調も優れないことからホテルに戻ることに。

ホテルから空港へは乗り合いのミニバスを頼んでおいたのだが、なぜか予定の1時間以上前にホテルで待っている。ミニバンのタクシーだったのだ。結局、想定外(タクシー代としては相場内)の大金をふんだくられる。そして、空港内のイミグレ直前(入口横)にあったワイン売場でおみやげに買ったチリワインは搭乗直前のチェックで「Duty Freeで買ったもの以外は持ち込み不可」と言われ没収。あぁ。

アメリカン航空でマイアミ、ダラス経由で成田へ向かう。

1月8日
早朝にマイアミに到着。もともと行列ができていた上に、入国審査の用紙を間違え、途中で便意を催してまた並び直し、とかやっていたら、結局入国するだけで1時間以上かかった。

荷物はサンチアゴから成田まで預けたのだが、不安になって一応、ターンテーブルを見に行ったら、案の定、荷物が降ろされている。だったら荷物はマイアミまでだと言ってほしい。しかもその荷物を再度預ける場所がわかりにくい。

で、改めて出発ゲートに行くと、セキュリティ・チェックでまたも長蛇の列。別にアメリカに入国したいわけでもないのに、入国・出国といちいち手続きと行列を強制されうんざり。

その後、ダラスに向い、次いで成田行きに乗りこんだが、電気系統故障だとかで全員降ろされて、機材交換。結局3時間遅れ。行きも帰りもさんざんだった。

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2007年2月 2日 (金)

チリ旅行(8)イースター島

1月6日
午前中は半日ツアーに参加。ラノ・カオのクレーターの火山湖を見下ろした後、「鳥人」の儀式が行われたオロンゴの儀式村へ。鳥人のレリーフが刻まれた石がある、儀式のレースの出発地点に登ったところ、丁度虹が。ラッキーだった。
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虹が架かった【オロンゴ】

最後に三度目の往訪となるアフ・タハイへ。5体並ぶモアイ、唯一目が復元されているモアイなどを改めて鑑賞。これでモアイも見納めと思うと名残惜しい。

空港へ行ってツアー終了。おみやげにモアイのネックレス(2ドルで市場で売ってた)をくれたのはいいが、ツアー会社の日本人職員が待ちかまえていて、やれ先にチェックインしろ、さっさとセキュリティ・エリアに入れとせき立てられ、げんなりする。島全体の雰囲気はのんびりしていたのだが。

その後、ラン航空でサンチアゴへ。

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2007年1月30日 (火)

チリ旅行(7)イースター島

1月5日
今日は終日ツアー。まず海岸沿いのアフ・ハンガ・テーとアフ・アカハンガへ。モアイが倒されており、それ自体は面白くないが、荒波が絶え間なく押し寄せる岩場の雰囲気が良い。


続いてモアイの切り出し場だった、ラノ・ララクへ。丘の中腹に無数(約400体という)のつくりかけのモアイが点在する、あり得ない光景。この旅最大のアドレナリン放出状態になる。
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あっちもこっちもモアイ【ラノ・ララク(イースター島)】

昼食後、15体のモアイが並ぶアフ・トンガリキへ。日本の政府及びクレーン・メーカーの援助で復元されたもので、ガイドは盛んに「ジャパン」「ハポン」を連呼。国際協力のあり方を考えさせられる。そして、モアイが15も並ぶとやはり壮観。しかしここは30分もいないで退散。もっとゆっくりしたかった。
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アフ・トンガリキ

最後は白砂とタヒチから運んだココヤシ林が美しいアナケナ海岸へ。プカオを載せたモアイ「アフ・ナウナウ」や、最初に復元されたモアイをのんびり見学。

夕食は島民がサーフィンしているのを眺めながら、魚のセビッチェを頂く。要は刺身を醤油ではなくレモンでしめたような感じで、日本人の口に合わないはずがない。脂ののった魚も多く美味しかった。

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2007年1月27日 (土)

チリ旅行(6)イースター島

1月4日
ホテルの朝食ではガラガラなのに相席を強要され、ハウスキーパーはこっちが部屋にいるのに、何度も来ては文句を言って退散する。朝からスタッフの対応の腹が立つ。

午前中はホテルから30分弱歩いたところにある「セバスチャン・エングレット神父人類学博物館」へ。小さな博物館だが、全展示の解説文の日本語訳を渡されたこともあって、じっくり見学。ラパ・ヌイ(イースター島の現地名)の文化とポリネシアの文化との共通性と独自性など、勉強になった。

その後、昨日も訪れたアフ・タハイを再訪。晴れた&順光にになったので、いろいろ撮り直し。海に面した広々とした芝生にモアイが立っていて、気持ちいい場所。
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海を背にして立つモアイ達アフ・タハイ】

昼食はマグロのエンパナーダ(具をパンに入れて焼いたようなもの)。ソースの味も合っていて美味。

15時過ぎから半日ツアーに参加。モアイの頭にのっている「プカオ」の切り出し場であった「プナ・パウ」に続いて、唯一、海の方を向いているモアイのある「アフ・アキビ」へ。7体のモアイの前に広がる開放的な草原も含め、いい雰囲気。
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アフ・アキビのモアイ

さらに生活の跡の残る洞窟「アナ・テ・パフ」、インカの遺跡を彷彿とさせる、隙間のない石組みが見られる「アフ・ヴィナブ」へ。後者には唯一の女性のモアイと呼ばれるものがあるのだが、女性どころか人間にも見えない。

ツアー終了後、島の教会の覗いた後、夕食。ここで伝統ダンスショーを鑑賞。エレキギターとか使っているし、ダンサーもいかにもポリネシアンな格好はしているが、踊り自体はバレエなど他のダンスの影響を感じるもので、これがラパ・ヌイ伝統の踊りとはあまり思えない。とはいえ、細かな動きも含め、身体能力の高さを見せつけるような踊りが高いテンションで次々と披露され、見応えのあるショーだった。

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2007年1月25日 (木)

チリ旅行(5)イースター島

1月3日
ランチリ航空でラパ・ヌイ(イースター島)へ。機内は従業員の対応も機材の調子も最悪。ガキもうるさく乗客も最悪。

イースター島に到着すると、お迎えの旅行会社からレイのプレゼント。蘭の香りが強烈。天気はあいにくの曇り、そして雨に。

ホテルにチェックイン後、寄り道しながら1時間ほど歩いて鳥人の岩絵が残るという洞窟「アナ・カイ・タンガタ」へ。しかし岩絵を識別できない。しかし海に向かっている洞窟で、岩場に波が打ち寄せる自然の景色は素晴らしい。しかし雨。

雨宿りしながらまちの中心に戻った後、雨のやんだ海沿いの道を歩く。ハンガ・ロア・オ・タイ、アフ・オロンゴという説明のあるモアイとまず遭遇。ろくな説明もなく、あまりにさりげなく立っているので、本物か偽物かも分からないが、多分本物。初モアイ。

さらに歩いてアフ・タハイの儀式村へ。5体並んだ「アフ・タハイ」、復元された目玉が入っている「アフ・コテリク」、そして「アフ・バイ・ウリ」と、モアイ像が集積。どうせすることもないので、結局ここで2時間半ぼんやり過ごす。待っているうちに雲がいいかんじに晴れてきて、結局最後は見事な夕焼けが。
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きれいなゆうひがみれました。【アフ・タハイ(イースター島)】

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2007年1月23日 (火)

チリ旅行(4)アタカマ高地

1月2日
3時半起床。昨晩、せっかく早めに寝たところをわざわざ起こされて、モーニングコールの時間を聞かれたのだが、結局モーニングコールはなかった。ふざけてる。

今日は一日ツアー(と思っていた)。ようやく見つけたツアーだったが、フランス語のツアーだった。おかげで説明は全く分からない。が、行けるだけマシ。文句は言えない。

まずは日の出前のエル・タティオの間欠泉群へ。あちこちから水蒸気が上がり、ゴボゴボ、ブツブツ、シューシューと音を立てており、異様な雰囲気。だが日の出前に来る意味が分からない。バスに乗って移動して又、間欠泉群の別の場所へ。4000mを超える高地のためか、息も切れるし、歩き回って写真を撮っていたら頭痛もしてきた。すっかり日が昇り、アンデスの美しい山並みを背景に、そこかしこから湯気が上がる様は壮観。
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エル・タティオ間歇泉群

その後、またバスで移動。頭痛と眠気と車酔い、さらには便意まで催してきてめちゃくちゃな気分。ようやく到着したカスパーニャという村で掘っ立て小屋のトイレに駆け込もうとして、斜面で思い切り転倒。

木の便座のトイレで用を足し、気を取り直して村を見渡す。高地の砂漠の中に現れたオアシス。水が流れ、鳥がさえずり、まるで桃源郷のようなところ。頭痛と息切れは収まらないが。
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まさにオアシス【カスパーニャ】

その後またバスで移動。標高3000~4000mの砂漠というなかなかありえない風景の中を上に下に、右に左にバスは飛ばす。続いて「インカ道」の拠点だったチウチウというまちに到着。白壁のサンフランシスコ教会を訪れるが、それだけ。さらに岩絵をみて、ラサナという遺跡のあるところで昼食。フランス人に質問攻めにあいながら昼食を終え、遺跡に入るのかと思ったら、そのまま出発。ありえない。

そして18時にカラマ空港に到着というツアーのはずが、15時前に到着。フライトは19時半であり、空港にはタクシー一台もなく、周りにも何もなく超暇。

ランチリ航空でサンチアゴに飛び、無事ホテルに到着したが、ここで合流予定だった友人がフライトのトラブルで渡航を断念したと知る。結局今回も一人旅に。

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2007年1月21日 (日)

チリ旅行(3)アタカマ高地

2007年1月1日
ニューイヤーの大騒ぎが朝5時まで続き、ろくに眠れないまま起床。今日は一日ツアー。砂漠の中をひた走る。

11時半頃、ミスカンティ湖に到着。ターコイズ・ブルーの静かな湖面と、周囲の斜面に生える草が印象的。湖の周りの白い砂を手にとってなめてみたら、塩だった。標高4,000mを超えており、散策するだけで息が切れる。

続いて隣のミニケス湖へ。天気は曇ってきたが静けさが印象的。しかし高山病なのか、頭痛もしてきて辛くなってくる。

昼食後、アタカマ塩湖内のチャクサ湖へ。フラミンゴが意外と近くで食事中。時にはフラミンゴが空を飛ぶ。群れというほど数は多くないが、フラミンゴに囲まれ夢のような景色。
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フラミンゴ食事中【チャクサ湖(アタカマ塩湖内)】

その後、トコナオというまちで一休みし、次は渓谷散策の予定のはずだが、なぜかあっさりカットされ、そのままサン・ペドロ・デ・アタカマへ戻ってしまった。

翌日の間欠泉ツアー(今朝、行く予定だったが、元旦朝ということで、どの旅行会社も催行していなかった因縁のツアー)を予約しようと思ったが、今日が休みだったせいかツアー客が集中しているらしく、結局8件の旅行会社をまわったが、すべてで「明日はfull」と言われる。アタカマのもう一つの名物、「月の谷」に行くのはすでに諦めていたが、これで間欠泉にも行けないなんて最悪。何をしにここまで来たのか分からない。運命を呪いながら、夕食を食べて、その後ふらっと入った旅行会社で一応聞いてみたら、若干思案げな顔をされたが、空きがあるとあっさり言われる。運命とは分からないものだ。もちろん、多少の落とし穴はあったのだが。

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2007年1月19日 (金)

チリ旅行(2)サン・ペドロ・デ・アタカマ

2006年12月31日
朝、サンチアゴ空港に到着。国内線の出発ゲートに移動するため、エレベータに乗ったら、ドアが開かなくなる。生まれて初めてのエレベータ監禁。一緒に閉じこめられたチリ人のおばちゃんの活躍で10分ぐらいで脱出。

その後、スカイエアラインでチリ北部のまちカラマへ飛ぶ。到着後、目的地のサン・ペドロ・デ・アタカマ行きのミニバスに乗り込む。なかなか発車しないのでぼーっと待つが、はっと、コートを機内に忘れたことに気付き、大慌てで降りる。小さな空港のためか、すぐにコートは出てきて、バスの発車にも間に合った。

ミニバスは砂漠を1時間強ひた走る。こんもりとした緑の塊が見えてきたと思ったら、そこがサン・ペドロ・デ・アタカマ。バスを降り、3軒目に訪れたホテルでようやく空室をみつけるが、値切っても一泊60ドルのぼったくり価格。

続いて明日のツアーを探すが、1月1日はホリデーだから休みらしい。何軒も旅行会社をまわり、ようやく一件、催行しているところをみつけるが、希望していた午前中に間欠泉を見に行くツアーはやはり休みで、別の一日ツアーしかないという。これに入るとここの目玉である「月の谷」に行けなくなる。一日到着が遅延した影響がもろに出る。

一通り手配を終え、村の中をぶらつく。未舗装で茶色い壁が続く田舎町をツーリストが闊歩している。
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2006年が暮れていく【サン・ペドロ・デ・アタカマ】 

夕食は、「歩き方」に5ドル程度と書いてあるレストランへ。「25」と言われてコース料理を勧められたので、それを頼む。しかし桁を一つ間違えて認識しており、2500ペソ(約600円)と思ったら、25000ペソ(約6000円)だった。失敗。

夜はホテルの周りでニューイヤーのお祭り騒ぎ。おかげでなかなか寝れない。記憶が正しければ、新年のカウントダウンを2回やっていた。あれは何だったのだろう。結局翌朝5時ぐらいまで、音楽ががんがん鳴り続けていた。

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