2009年12月 7日 (月)
2009年4月11日 (土)
空からの眺め(1)セスナからナスカの地上絵(ペルー)
バカと言われようとなんと言われようと、高いところに上って景色を眺めるのは得難い経験である。その中でも空まで上って、下を眺めるのは非日常性も高く、楽しい。そんな空からの眺めについて、いろいろと。
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ペルー、ナスカの地上絵は、全貌を見るには空から眺めるしかない。ということで、宿泊地であるリマから小型のプロペラ機でイカという街まで行き、そこからセスナに乗って地上絵を見下ろすというのが定番である。
地上絵ツアーのエアロ・コンドルのセスナ機【イカ空港】
パイロットも慣れたもので、右に左にと旋回しながら、窓から見下ろしやすいように機体を傾け、「サル~」「クモ~」と日本語で連呼する。そのたびに乗客はカメラ両手に右往左往。
地上絵はテレビや写真では何度も見たことがある。しかしセスナから見る地上絵は思ったよりも小さく、薄い。言われても分からなかった絵もあった。それでもどこまでも広がる砂漠に、「絵」だけではなく、直線や三角形などの模様がたくさん引かれている光景は、不思議なものだった。
2008年7月27日 (日)
世界の夕焼け(17)ペルー リマ
ペルー旅行は日本からのパッケージ・ツアーを利用したのだが、安ツアーだったためか現地のエージェントが極めていい加減で、毎日変わるガイドやドライバーと交渉とバトルの連続であった。
最終日のリマ到着の空港出迎えも遅れて来たため、そのお詫び代わりにツアーには含まれていなかったリマの旧市街へ連れて行ってくれることになった。しかし、広場に到着し、ツアー客を降ろすと、迎えの時刻を告げて、車は行ってしまった。輸送はするがガイドはしないということであった。
もっとも使えないガイドにつきまとわれるよりは、勝手に歩く方が楽。ガイドブックも持参してきたから、低能ガイドが説明することぐらいは、読めば分かる。かくして最後の観光はツアー仲間と気ままに楽しく過ごしたのであった。
時間は夕方に。空はいい色に染まっていく。ここが外務省から危険情報が出ているエリア。そんな場所に夕方までふらふらしているのもどうかとは思うが、何もなかったから結果オーライ。
紫の夕空と黄色い教会【リマ】
2008年2月15日 (金)
2007年7月16日 (月)
ペルー旅行(6)ナスカ、リマ
9月10日
6時40分にホテルを出発し、空港へ。そしてエアロ・コンドルでイカ空港へ。乗客13人、パイロット2人の小さなプロペラ機。
さらに小さなセスナ機(12人乗り、これもエアロ・コンドル)でナスカ地上絵の遊覧飛行へ。しばらく眼下はただの砂漠だが、そのうち、斜面に描かれた「宇宙人」が。そして続いて「猿」「ハチドリ」「オウム」「コンドル」「蜘蛛」「手」「木」と次々に地上絵が。宇宙人とハチドリは背景が黒いのでわかりやすいが、その他の地上絵は分かりづらい。しかも思ったよりも小さい。
ハチドリ【ナスカ】
飛び立ってから80分後、イカの空港に戻る。バスで移動。空からもバス車窓からも、イカのまちが砂漠の中にあることが分かる。マリア・レイヘ地域博物館へ。地上絵と共通するデザインの絵が施された土器や、子どもやオウムのミイラを見学。
続いてバスで砂漠のオアシス、ワカチナへ。白い砂丘をバックに池があり、周りには草木が茂り、ホテルが立つ。ここで一休み。
アエロ・コンドルでリマに戻る。また迎えの車が遅れる。今回もたまたま別の旅行会社の人が連絡してくれる。40分ほど待たされ、ようやくガイドが到着。時間が空いたのでセントロに行きたいと希望を伝えると、お詫びの印として空港→セントロ→ホテルと無料で(当たり前だが)送ってくれることとなった。
しかし、当然(?)ガイドはなし。成り行きでガイドブックを読み込んでいた自分がガイド役に。カテドラル、ラ・メルセー教会、サン・アグスティン教会、サンペドロ教会、サント・ドミンゴ教会とじっくり教会巡り。次第に日が暮れる。セントロは外務省危険情報も出ている、治安の悪い地区。歩いていてそうした感じはしなかったが、そういう地区にツアー客をほっぽり出すガイドもどうかと思う。こちらが希望したことではあるが。
カテドラル【リマ・セントロ地区】
車が迎えに来て(ガイドは来ない)ホテルに戻る。ガイドからはチェックアウトは21時半と聞いていたが(これも、こちらから確認するまで伝えようとしなかったのだが)、ドライバーにツアー客によって便が違う(チェックアウト時刻も違う)はずと言われる。驚いてガイドに電話して確認すると、ドライバーが正しく、チェックアウトは21時半と23時の二チームに分かれることが判明。自分は後者だったので、危うく意味もなくホテルのフロントで1時間半待ちぼうけを食らわされるところだった。
23時頃ホテルをチェックアウト。ここで最後のトラブル。デポジットとして預けた50ドルを、一部ソル(ペルーの通貨)で返してよこしてきた。ぬけぬけと「ドル札がないから」と言う。勝手に両替される筋合いはないし、帰国間近でソルをもらっても何の役にも立たない。容赦しがたいので猛抗議。20分粘り、「他のホテルへ行って両替してこい」と言ったのが効いたのか、フロントの上司らしき人物が出てきて、こそこそ相談後、引き出しからドル札が登場、無事全額ドルで返ってきた。出発前の慌ただしさにつけ込んだのか、おとなしい日本人をなめているのか、いずれにしても許し難い。
9月11日
ラン・チリでロサンゼルスへ、そして大韓航空でソウル経由成田へ。ツアーで楽な旅、と思っていたが、個人旅行以上に交渉の連続だし、こちらから確認したり具体的な提案を出したりで、疲れた。低能でのろまで嘘つきなエージェントに頼るくらいなら個人旅行の方がよほど楽。この時以降、日本からのパッケージツアーは利用していない。
2007年7月14日 (土)
ペルー旅行(5)プーノ、チチカカ湖
9月9日
バスでチチカカ湖畔へ。ボートにのりかえ、トトラ(葦)でできた浮島、ウロス諸島の一つ、サン・ミゲル島へ。真っ青な空、そしてもっと強い青の湖面が美しい。島にはおみやげ売りの子ども達が待ちかまえる。
トトラ(葦)でできたウロス諸島【チチカカ湖】
ここからトトラでできた小舟に乗る。トトラは島となり、舟となり、島の上の家となり、さらにむいて食べることもできる。小舟では艪をもってこぐことも体験できる(乗船料1ドルの他にさらに別料金1ドルをとられるが)。
島に戻ってちょっとした展望台へ。ここからの眺めはまさに絶景。トトラや湖の対岸の山々の土色も見えるが、視界のほとんどが青い空と青い湖だけに支配される。それだけなのに、いやそれだけだからこそ、素晴らしい。
陸に戻り、バスでフリアカ空港へ。他のツアー客と同じ航空券に変えると昨日のガイドは言っていたが、そんな連絡はなかったと今日のガイドが言う。しかも日程表では16時半発だったが、実際のチケットは17時45分発とさらに遅い。ここで4~5時間も待つだけなんて冗談じゃないので、猛抗議。ただ抗議しても能がないので、近くのシユスタニ遺跡へのツアーを入れられないかこちらから提案してみたところ、ガイドは「ボス」と電話した後、OKと(ただし追加で10ドル)。
バスでインカ・プレインカの時代の石塔の遺跡であるシユスタニ遺跡へ。墓である塔や日時計やらの石造の遺跡もいいが、その立地がまた素晴らしい。遺跡はクレーター湖であるウマヨ湖畔に位置し、やはり強烈な青の湖面と、青空、そして乾いた岩の島や山々の景色が美しい。飛行機の時間が遅くてよかった。交渉してよかった。
シユスタニ遺跡
今日のガイドはまともだったと思っていたのだが、なんと時計を持っていなかった。しかも急いでいるのに道を馬やら羊がのんびり渡り、バスはなかなか前へと進めない。空港に着いたのは出発予定時刻の4分前。肝を冷やしたが、30分ほど待ったらキャンセル待ちの席でも出たのか、結局乗れることになった。
アエロ・コンチネンテでリマへ。しかし、お迎えが来ない。先のガイドが飛行機の時刻が変わったことをリマのガイドに連絡すると言っていたのだが、伝わっていなかったのだ。たまたま、別のツアーを待っていたドライバーが気を遣ってくれて、旅行会社に電話してくれて事なきを得たが、まったくお粗末。
ガイドらの不手際はまだ終わらない。リマのガイドは朝食のルームサービスが含まれていると言っていたが、それがホテルへの車のドライバーに伝わっておらず(ガイドは空港で出迎えるだけで、ホテルには同行しない)、ホテルのチェックインの際に追加で10ドル請求される。後でガイドに確認するから部屋に行けとドライバーに言われたが、当然信用できないので、文句を言うと、ようやく携帯でガイドに電話し、確認をとったのであった。
さらに、先にリマに到着したツアー客には翌朝の集合時刻(6時半)の連絡がなかったという。夜、ホテルに連絡があったというが、その時刻は22時~23時頃と、集合時刻の早さを考えれば遅すぎる(実際、寝ていて、朝メモに気付いたという人もいた)。もうめちゃくちゃ。
2007年7月11日 (水)
ペルー旅行(4)クスコ→プーノ 高原列車
9月8日
若干頭痛がする中、8時クスコ発の列車に乗車。車内では高山病に効くともいうマテ茶が。茶葉をかんでみたらちょっと苦い。
しばらくクスコ市内を走り、家々が車窓だったが、しばらくすると岩山の中を走るように。さらに進むと車窓にはビルカノータ川が併走。時にはロバが河原で佇み、羊の群れが水を飲み、牛が草を食む。
11時間も乗車するが、車窓が変化していくため飽きることがない【高原列車】
時折、駅に停車。そのたびに物売りが登場。ちょっとプラットフォームに降りてみると、頭上には突き抜けるような青空が広がる。
列車は進み、川と別れる。山々と乾燥した大地が続く。それでも時々人と馬が見える。そして標高4000m以上のラ・ラヤ峠を走る。この辺は世界最高所(当時)の鉄道。遠くには雪山が見え、青空と黒い岩山、そして枯れ草とのコントラストが美しい。そして昼食。かなり揺れるが、こうした景色を眺めながらの食事とはなんとも贅沢。
さらに進むと近くに見えていた山々が遠ざかり、枯れ草の高原を列車は走る。リャマの群れも時折見える。と思えば、フリアカ駅近くではまちの雑踏のすぐそばを列車は走っていく。
段々景色が夜になっていく。無料と思っていたマテ茶やコーラは別料金だった。飲みたくもないのに頼んでしまったときもあった。有料なら最初にそう説明して欲しい。コーラ1杯+マテ茶2杯で14ソル(約450円)もの大金を取られる。そして頭痛が。
19時前にプーノに到着。頭痛が激しさを増す。ホテル到着後、明日のチチカカ湖観光終了後の飛行機は、他のツアー客と便が違うので4時間空港で待つ羽目になる(これもひどい話だが)ため、その間どうすればよいかガイドに問うたが、早く帰りたいらしく、適当にごまかそうとしてまともに取り合わない。こっちも負けていられないので何度も問うと、航空券を他のツアー客とあわせる、問題ないとのご返事。しかし、それはその場しのぎの虚言。そんな手配はされていないだけでなく、4時間待つことになる事実すら、明日のガイド(別人)に連絡されていなかった。
2007年7月 8日 (日)
ペルー旅行(3)マチュピチュ
9月7日
5時半過ぎにツアー出発。バスで山を下りていき、オリャンタイタンボのまちへ。駅前の市場が賑やか。8時前にここからバンドワゴン(列車)に乗車。9時半に下車し、バスに乗り換え。
9時50分頃に、いよいよマチュピチュに到着。ワイナピチュ山を背景とした遺跡の全景が美しい。まずガイドが説明。これが長く、20分以上、しゃべり続ける。疲れる。
ようやく遺跡内へ。緩やかにカーブした石組みの「太陽の神殿」から急峻な段々畑まで、まち全体が残り、素晴らしい。標高約2300mとクスコより低いこともあって、高山病も治り、歩き回り、撮りまくり。
似たような構図で何枚撮ったか気が知れない【マチュピチュ】
15時にバスでマチュピチュを離れ、つづら折りの急坂を下る。有名な「グッバイ・ボーイ」も登場、アトラクションとして面白かった。16時過ぎ発のバンドワゴンでは、川側の景色が美しいため、行きに山側だった人を川側に座らせる配慮をしているガイドもいたが、安ツアーではそうはいかない。ガイド自ら川側に座っているので、席の交換をこっちから要望しないとならない。
その後、バスに乗り換え、20時前にクスコのホテルに到着。ガイドは「会社から電話がある」と言い残し、明日の集合時刻等の連絡を何もせず、夕食がツアーに含まれているかの確認もせず、さっさと帰ってしまった。もちろん電話なんてかかってこない。ガイドが早く帰るためについた出任せの嘘であろう。ほんとに役立たず。
2007年7月 5日 (木)
ペルー旅行(2)クスコ
9月6日
4時前にホテルを出発。アエロ・コンチネンテでクスコへ飛ぶ。30分、時間がずれている便に乗るツアーメンバーと同じ車で送迎されたため(リマでもクスコでも)、意味もなく車の中で待たされる。しかも「ちょっと待って」の一言で何の説明もなし。
ホテルには9時に着いたが、ツアーは午後。そこで勝手に町歩きへ。メルセド教会、アルマス広場、ロレト通り、サンタ・カトリナ教会、宗教芸術博物館などを巡る。坂の多いまちで、インカ文明の建物の遺構の上にスペイン植民地時代の建物が乗っかったようなまち。石垣にある「十二角の石」などの精巧なものは、すべてインカのもの。
路上で少女から絵はがきを買う。2枚欲しかったのだが、「お釣りがないから3枚買え」と言われる。だったら買わないといったら、お釣りが出てきた。子どもでも油断できない。インカ博物館に寄った後、近くの展望台のような所からアルマス広場他クスコのまちを見下ろす。よい眺め。
アルマス広場を上から【クスコ】
ホテルへ戻る。高地のまちを、ヨーロッパと同じノリで歩き倒したらかなり疲れた。しかも昼食は腹一杯食べてしまった(高地では暴飲暴食・過激な運動は高山病になりやすくなるので厳禁)。なお、昼食がツアーに含まれているか否かでもめた(ついていないツアーメンバーもいたため、一緒くたにされかけた)。
午後はツアーバスでクスコのまちを離れ、山道を登る。まずサクサイワマン遺跡へ。インカの街並みを見下ろす位置にあり、遺跡自体も巨石が積み重なり、見応えがある。
サクサイワマン遺跡
さらにプカプカラ、タンボチャイ、ケンコーの各遺跡を巡る。ケンコーにはインカ人っぽい衣装(縄文人にも見える)のおっさんがいて、写真を撮ると金を取ろうとする。こっちは遺跡を取りたいのであって、エセインカ人に興味はないが(というか邪魔)、カメラを構えると勝手にフレーム内に入ってくる。結局1ソル(約30円)取られる。迷惑なことこの上ない。
その後、展望台からクスコのまちを眺めた後、クスコのまちに戻り、サン・イシドロ教会へ。このころから頭やこめかみが痛くなってくる。高山病である。最後にカテドラルに寄る予定だったが、バスはその周りを走るだけで、ホテルに戻ってツアーが終了してしまった。仕方なく歩いてカテドラルへ行くが、閉まっていて入れない。
仕方なくホテルへ戻る。頭痛が激しい。1時間寝て起きるとさらに激しい頭痛。我慢してフォルクローレ・ショー付きディナーへ。食事はしたものの、ショーの途中で頭痛に耐えかね、退散。そもそも、ディナー・ショーは明日の予定だったが、勝手に今夜に変更された。おかげでクスコ初日の慣れない体で高山病にかかった者は鑑賞できず。
2007年7月 3日 (火)
ペルー旅行(1)リマ
ペルー旅行について書きます。日本からツアーで行ったのですが、安ツアーだったためか、現地の代理店と幾多のバトルを繰り広げる羽目になりました。結果としてそれで良かった面もありますが。
1999年9月4日(土)
成田から大韓航空でロサンゼルスへ。大韓航空の搭乗カウンターでリコンファームしようとしたら、団体についてはできないとあっさり拒絶される。仕方なく公衆電話から電話してリコンファーム。なんかナンセンス。
そしてランチリ航空でリマへ。空港ロビーに当時のフジモリ大統領がいたらしいが、見逃した。翌午前2時に到着したホテルではデポジットとして50ドルも取られる。そんなに信用ならないのか。
9月5日
寝足りない中、10時にツアーが出発。集合時間が1時間早く教えられていたツアーメンバーもいて、若干混乱。ワヤマルカ遺跡、日本大使公邸跡、サン・マルティン広場などを眺めた後、アルマス広場で下車、カテドラルなどを見学。サンフランシスコ教会・修道院ではお祭り騒ぎが。マリアを乗せた御輿のようなものが繰り出し、楽団もいて大にぎわい。中庭の回廊のタイルの模様や、頭蓋骨が整然と並ぶカタコンベなども印象的。
お祭り中【サンフランシスコ教会・修道院(リマ】
続いて「黄金博物館」へ。ペルーの各文化の遺物が並ぶ。歴史などは無視し、所狭しと「黄金」が陳列されている。節操ないが、壮観ではある。海の見える「恋人達の公園」は、寒風が吹きすさぶが、一応本当に恋人達はいた。
15時にホテルに戻り、ツアーは終了。教会などがあるセントロは遠いし、博物館も閉まっている時間。日曜だから店も閉まり、ホテルのレストランすら閉まっている。大変使いづらいフリータイム。仕方なく近くのホリデーインのレストランでペルー最初の晩餐。大してうまくもないくせに、量だけは多い。なぜこんな苦労してまで食事しているのか、よく分からない。眠いし。
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